紫色の夢のあとさき
梔子
紫色の夢のあとさき
ミッションスクールに通う二人の女の子のお話。
真璃(まり)17歳
佳澄(かすみ)17歳
佳澄「この頃よく、故郷の夢を見る。澄み渡る空と一面に広がる紫と、優しい香りのする涼やかな風。恋しくても戻れない景色に包まれて眠ると、朝には枕がしっとり濡れている。もう吹っ切れたと思っていたのに、こんな夢を見るのは、あの香りのせいかしら。」
○
真璃「おはよう。」
佳澄「おはよう……早いのね。」
真璃「ええ、早起きは気持ちいいもの。」
佳澄「眩しっ」
真璃「朝日を浴びると目が覚めるわよ、お寝坊さん。」
佳澄「今からでもギリギリ支度できるからお寝坊じゃないわよ。」
真璃「ふふ、そうね。朝ご飯はギリギリだけれども。トーストでもいいかしら?」
佳澄「真璃はもう食べたの?」
真璃「朝は食欲がないから晩に作っておいた寒天ゼリーだけ。」
佳澄「そう。」
真璃「バターだけにする?それとも蜂蜜も塗る?」
佳澄「じゃあ、ハニーも。」
真璃「ん。先に身支度済ませておいてね。」
佳澄「はーい。」
真璃「はい、焼けたわよ。あと、ミントティー。」
佳澄「えー、私ミント苦手って言ったじゃない。」
真璃「頭がスッキリするしお腹にもいいのよ。水分補給にもなるからちゃんと飲んで。」
佳澄「むぅ……いただきます。」
真璃「よく噛んでね。」
(SE:チャイムの音)
佳澄「間に合ったぁ……」
真璃「次家に忘れ物したら、お寝坊でもご飯用意してあげないから。」
佳澄「仕方ないでしょー、課題置いてき忘れちゃったんだもの。」
真璃「理由にならないわよ。ほら、汗拭いて。」
佳澄「あっ、ありがとう。真璃ってお母さんみたいよね。」
真璃「お姉さん、じゃなくて?」
佳澄「失言だったわ、ごめんなさい。おねーさんよね、おねーさん。」
真璃「まぁいいけれど。あっ、先生がいらっしゃったわ。」
(SE:チャイムの音)
佳澄「こんな課題出て週明けまでにできるかしら……ねぇ、真璃。」
真璃「(顔色が悪く辛そうな様子)」
佳澄「真璃……?」
真璃「…………」
佳澄「大丈夫?」
真璃「はっ……ごめんなさい。」
佳澄「顔色が優れないわね。具合が悪いの?」
真璃「いいえ……大丈夫。気にしないで。」
佳澄「もしかして、朝走らせてしまったから?」
真璃「違うの、大丈夫よ。」
佳澄「倒れたら大変よ。保健室に行きましょ?」
真璃「……本当に私のことはいいから。佳澄、次選択授業でしょ。早くいかないと。」
佳澄「ええ…………本当に辛いのなら誰かに言わなければダメよ?」
真璃「…………あなたには言えないわよ。」
○
真璃「佳澄、帰りましょ。」
佳澄「ええ。」
真璃「今晩は何にする?」
佳澄「そうねぇ、食堂のメニュー何かしらね?」
真璃「オムハヤシ、あるかしらね?」
佳澄「あればいいけど。」
真璃「好きだものね。」
佳澄「ええ。真璃には好きな食べ物ってあるの?」
真璃「んー……そうね。口当たりのいいものかな。」
佳澄「例えば?」
真璃「ゼリーとかおうどんとか、あとかき氷もいいわね。」
佳澄「栄養偏っちゃうわよ?」
真璃「ふふ、色々な種類のものを食べるのがどうも苦手でね。」
佳澄「無理に食べなさいとは言わないけど……今日は一緒のもの食べましょ。真璃、元気ないみたいだし、栄養のあるもの食べてほしいの。」
真璃「佳澄が言うなら……頑張ろうかしら。」
佳澄「ハーフサイズもあるし、それでも多かったら私がお手伝いするから、ね。」
真璃「心強いわね。……(食堂に着く)あっ、オムハヤシあるみたいよ。」
佳澄「やった、混む前に並びましょ。」
真璃「ええ。」
佳澄「オムハヤシ、普通サイズを一つで。」
真璃「…………あっ、ごめんなさい。オムハヤシの、ハーフサイズ、を一つお願いします。」
(注文したものを受け取る)
真璃「どこ座りましょうか?」
佳澄「窓際にしましょ。」
(席に着く)
佳澄「空、綺麗ね。」
真璃「本当。明日も晴れそう。」
佳澄「そうね。それじゃあ、頂きましょっか。」
真璃「ええ……いただきます。」
佳澄「いただきます!」
(少し食べる間を空けて)
佳澄「そろそろ慣れてきた?」
真璃「え?」
佳澄「学校とか、寮とか。」
真璃「ええ、まあ。勉強の面では、前に通っていたところの方が進んでいたからあまり問題はないわ。」
佳澄「真璃、頭いいものね。」
真璃「そんなことないわよ。ただね……」
佳澄「ただ?」
真璃「……ううん、何でもないわ。ごめんなさいね。」
佳澄「そう。」
真璃「ええ。」
佳澄「…………」
真璃「佳澄?」
佳澄「あっ。」
真璃「冷めちゃうわよ。」
佳澄「ふふふ、ぼーっとしてたわ。とは言っても、真璃も手が止まっているんじゃない?」
真璃「ええ、あと少しなのだけれどお腹がいっぱいで……」
佳澄「私の分もう完食できそうだから、それくらいなら食べられるけど。」
真璃「いいの?大丈夫?」
佳澄「ええ、これくらいなら問題ないわ。美味しいし。」
真璃「それなら……お願いします。」
佳澄「(自分の分を食べ切ってから)それじゃあ、いただきます。」
○
佳澄「その夜はまた、いつも通りの夜になるはずだった。課題を済ませ、お風呂に入り、歯を磨いて、眠る。そして、夢を見た。ラベンダーの香りが漂う不思議な夢。私の立っているところから、紫色の丘の遠く、靄のかかった針葉樹の林の奥が見える。そこには真璃が立ち尽くしていた。その顔は……」
佳澄「はっ……!」
佳澄「……夢、よね。」
(SE:秒針の音)
佳澄「まだ3時……」
佳澄「頭の中は白くけぶっているのに、目はすっかり覚めてしまっていて、私は何か飲んで落ち着こうとベットから降り立った。ふと隣のベッドを見ると、」
佳澄「……真璃?」
佳澄「私は真璃を探しつつ、飲み物を取りに行こうとキッチンへ向かった。」
佳澄「ラベンダーの香り……」
佳澄「その香りはキッチンから漂っていた。誘われるように香りを辿っていくと、真璃がティーカップを片手に椅子に座っていた。」
真璃「あら、起きてしまったの?」
佳澄「真璃だってそうじゃない。……眠れないの?」
真璃「ええ、まぁ。」
佳澄「そう……」
真璃「佳澄も飲むかしら?」
佳澄「それは?」
真璃「ラベンダーティーよ。ラベンダーには安眠効果があるの。頭が痛い時にも良いみたい。」
佳澄「……」
真璃「淹れてあげるわね。」
佳澄「……」
真璃「(お茶を淹れている。)」
佳澄「……」
真璃「はい、どうぞ。」
佳澄「ありがとう。」
真璃「熱いからゆっくり飲んでね。」
佳澄「(息で冷ましてから飲む)……おいしい。」
真璃「気に入ってくれたかしら。」
佳澄「ええ。」
真璃「良かった。」
佳澄「……ねぇ、真璃。」
真璃「何?」
(SE:秒針の音 CO)
佳澄「いつから寝てないの?」
真璃「…………何故そう思うの?」
佳澄「前の子が居なくなって、真璃が転校してきて、この部屋で一緒になってから、私の夢の中にラベンダーの花畑が出てくるの。」
真璃「そう……」
佳澄「本当にそこにいるかのような、香りのする夢なの。私、故郷がラベンダーの名産地でね、ここに来て間もない頃はホームシックで眠れなかったの。でも学年が一つ上がってからは、ここにも慣れてきたみたいで眠れないことは少なくなってきたの。だからもう大丈夫って思っていたわ。」
真璃「そう……」
佳澄「なのに、あなたが来た途端、前触れもなく香りのする不思議な夢を見始めたんですもの。私にはどうも偶然だとは思えないのよ。」
真璃「ええ、そう……」
佳澄「真璃……教えて、ずっと眠れていないんでしょう?」
真璃「そんなこと、知らなくてもいいことじゃない。」
佳澄「良くないわ。」
真璃「別に、眠れなくたっていいでしょう。」
佳澄「良くない。」
真璃「あなたと私を一緒にしないで……!」
佳澄「……っ」
真璃「心配されなくても私は大丈夫だし、眠れなくたって他に落ち着ける方法があるのなら、それでいいじゃない……私は、目を閉じて眠りに心を委ねることができないの……」
佳澄「……それは、どうして?」
真璃「夢を見るから。」
佳澄「夢?」
真璃「故郷の夢を見てしまうから。」
佳澄「何か、あったの……?」
真璃「私は、故郷から逃げたくてここにいるの。あそこが嫌いだったわけじゃないけれど、あそこにいる人達が怖かったから。」
佳澄「真璃……」
真璃「あの場所のことは、愛していたわ……私の故郷にもね、ラベンダーの花がたくさん咲いていたの。このお茶もそこで摘まれたものを使っているの。」
佳澄「…………」
真璃「本当は戻りたいわ……あの景色の中で一人きりになれるのならね。」
佳澄「辛かったわね……」
真璃「……もういいの。」
佳澄「真璃、あのね……私、あなたを一人にしたくない。」
真璃「……佳澄。」
佳澄「そうだわ、ここを卒業したら一緒に私の故郷へ行きましょう。あなたの住んでいたところにきっと似ていると思うの。」
真璃「そんなこと……あなたに迷惑がかかるわ……」
佳澄「あなたと私は一緒じゃない。」
真璃「…………ごめんなさい。」
佳澄「いいの。私にとってあなたと居ることは迷惑なことではないわ。私は、真璃のことが好きよ。」
真璃「…………ありがとう。」
佳澄「眠れなくてもいいわ。けれど、あなたが苦しんでいるままなのは嫌。」
真璃「苦しくなんて……」
佳澄「そんな顔して、苦しくないなんて言わせないわよ。」
真璃「……」
佳澄「真璃が落ち着いて、穏やかに過ごせるように、私がそばにいてできることは何でもするから。」
真璃「……」
佳澄「もう、抱え込まないで。委ねて。」
真璃「っ……(泣く)」
佳澄「香りは記憶。似て非なる私たちは、一つの香りに二つの思いを抱えて、寄り添って歩み出した。」
(2年後)
真璃「素敵なところね……本当によく似てる。」
佳澄「気に入ってくれたかしら?」
真璃「ええ、とても…………ねぇ、佳澄?」
佳澄「何?」
真璃「これからも一緒に暮らしましょう。」
佳澄「ふふ、私もそう言おうとしていたの。この景色の中で二人きりになりましょう。」
真璃「夢みたいね。」
佳澄「夢じゃないわよ。」
真璃「ずっとよ。」
佳澄「ええ、ずっと。」
紫色の夢のあとさき 梔子 @rikka_1221
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