第47話鉄砲の名手

 清洲城に居城を移した信長は、尾張国一の商業都市である清洲の町をさらに栄えさせるため、商業政策に重点を置いた。

 いずれ戦うこととなる最後の上役、織田信安に備えるためだった。


「しかし商業政策って言っても、俺にできることは不逞の輩を追い出すくらいだけどな」

「まあな。でもどうして殿は自分の領地の関所を取っ払ったんだ?」


 利家と毛利新介が清洲の町を見回りながら会話をしている。

 さんさんと光り輝く太陽を背にして、怪しい者がいないか、民や商人に迷惑をかける者がいないか、目を光らせている。


「そりゃ、関所がなけりゃ人が集まってくるからな」


 利家が新介の疑問に答えると「人が集まると面倒事のほうが増えそうだけどな」と呟かれた。


「だから俺たちがこうして見回りしているんだろ?」

「そうだな……しかし、毎日こう諍いがあると、大変だ」


 新介は関所を無くしたから、諍いが起きていると考えているが、実のところそれは正しくはない。

 前の清洲城城主の信友の配下や組していた商人がこうした諍いを起こしていた。彼らはまったくもって信長を歓迎していなかった。


 信長はそれを見越していたからこそ、清洲の町の治安を向上させ、商業を活性化させる策を取っていた。前者は信友の旧臣を捕らえるため、後者は清洲の商人を手懐けるためだった。


 しかしそんなことを知らない利家と新介は、ほんの少しの疑問を持ちながら、ただ己の役目を遂行していた。


「うん? 利家、またなんか諍いが起きているぞ?」

「ああん? ……確かに騒がしいな」


 前方で何やら人が集まっていて、喧騒の声が聞こえる。

 おそらく喧嘩でもしているのだろう。

 利家と新介は足早に現場へ向かった。


「おい! お前ら何をしている!」


 利家が野次馬に向かって大声で喚くと、人々は織田家の侍だと気づいて、ぱあっと道をあけた。

 新介と共に開かれた道を進むと、既に喧嘩は終わっていた。


 その場にいたのは四人の男だった。

 倒れているのは二人。一人は大の字になって伸びていた。もう一人は腹を抱えてうずくまっている。そして引け腰の三人目にゆっくりと近づく浪人風の男。


「す、すみません! 許して、許してください――」


 慌てて土下座して謝る男だが、その顔面に男は思いっきり蹴りを入れた

 その容赦ない行動に利家は思わずひゅうっと口笛を吹く。


「……なんだ? お前ら」


 おそらく三人を一人で叩きのめしたのだろう浪人風の男は、利家たちを新手と思ったのか、臨戦態勢になる。

 利家は新介を制しながら、まずは目の前の男を観察する。

 歳は三十前後、無精ひげで眼光が鋭い。黒い着流しで腰には一本の刀。さらに背中に赤色の布を被せた細長い何かを背負っている。


「こいつらの仲間か?」


 慎重に訊ねる目の前の男を見てかなり強いなと利家は思った。


「いいや、違う。俺たちは織田家の者だ」

「織田家……最近、清洲の町を取った信長の配下か」


 男は気を緩めることなく「その織田家の者が何の用だ」とさらに訊ねる。


「殿の命令で清洲の町の治安を守っている。だから乱暴狼藉を働いたお前を捕らえる必要がある」

「……それは面倒だな」


 あくまでも冷静に返す男に「いいからついて来い!」と新介が怒鳴った。


「理由はどうであれ、狼藉を働いた者は罰しないといけないんだ」

「……今、倒れている三人が因縁をかけてきてな。それに応じただけだ」


 事情を説明して義務を終えたと思ったのか、そのままくるりと背を向ける男。


「おい、待てよ!」


 新介が追おうとすると、利家が「あんた、どこの大名に仕えているんだ?」と言う。

 男は「どこにも仕えていない。浪人だ」と答えた。


「そうか。なら織田家に仕える気はねえか?」


 利家の言葉に新介も野次馬も、そして男も驚いた。

 利家も内心、なんでそんなことを言ったのかと驚いた。


「……正気か? 見ず知らずの俺を自家に招くだと?」

「ああ。織田家は実力さえあればのし上がれるところだ」


 利家は腕組みをして、にかっと笑った。


「あんた、武芸でも何でもいい。得意なことはあるのか?」

「……ああ、あるぜ」

「じゃあそれを殿に見せてくれ」


 利家は男にゆっくりと近づく。

 そして「そういえば、名乗っていなかったな」と言う。


「俺は織田家家臣、前田利家だ」


 男は利家をじっと見つめて、それからふっと笑った。


「……滝川一益。それが俺の名だ」



◆◇◆◇



 鉄砲の名手がやってきたという知らせは、瞬く間に清洲城内に広まった。

 訓練場の一角で、次々に的のど真ん中に当てる腕前は、見る者全ての度肝を抜いた。


「ほう。凄腕の鉄砲名人か。これは見ておきたい」


 新しいものや珍しいものが好きな信長が、政務を放り出して見に行くのは無理も無い。

 傍に控えていた成政と可成も同行した。いざというとき、信長を守るためでもあった。


 信長が目の前に跪いている滝川に「そのほうが滝川一益か」と言う。


「どんな的にも当てられると聞く。それに間違いはないか?」

「……ええ、まあ」

「では、あの柿の木を見ろ」


 信長が指差した先には、柿の木があった。

 篭城に備えて実のなる木を城内に植えておくのはよくあることだった。


「あの柿を落とせ」

「容易いこと」

「――ただし、柿の実を打つな」


 滝川は眉をひそめた。

 柿の実を打たずに落とすとなると、枝を狙うしかない。

 かなり難しい要求だ。


「……かしこまりました」


 滝川は頷いて、打つ準備をする。

 その手馴れた火薬や弾丸の準備に信長は感心した。


 大勢が見守る中、滝川は柿の木に狙いを定めた。

 呼吸を最小限にして、手元の揺れを押さえる――


 だぁんという銃声。

 周りの者は息を飲んだ。

 柿の実が一つ、形を崩さずに落ちたからだ。


「す、すげえ……」


 利家の感嘆の声に全員が口々に賞賛の声をあげた。

 信長も提案したものの、できるとは思わなかったので「見事だ!」と大声をあげた。


「皆の者。この滝川を今日から鉄砲大将とする! 異存はないな?」


 新参者がいきなり重職に就くのは、普通なら反対の声が上がるが、これだけの腕前を見せられては、意見など述べられない。

 可成が「異存ありません」と言ったのを皮切りに、賛成の声があがった。


 滝川は跪いて「ありがたき幸せ」と短く答えた。

 まさか仕官できるとは思っていなかったところを、好待遇で迎えられるのは想像もしなかった。彼は信長の度量に驚いていた。


「良かったな。滝川殿」


 利家がそう言って肩を叩くと「お前のおかげだ」と滝川は頷いた。


「これからは一族同士の付き合いをさせてくれ」

「あー、そうだな。親父に言っておく」

「この恩、一生忘れない」


 こうして、前田家と滝川家は誼を持つこととなった。

 利家と滝川が親しげに話をしている。

 それを成政は複雑な顔をして見ていた。



◆◇◆◇



 信長が優秀な人材を身分や出自にとらわれず募集している。

 そんな噂が尾張国だけではなく、近隣の国々まで広まった。


「えー、木綿はいらんかねー。三河国の木綿はいらんかねー。三河国の木綿は丈夫だよー」


 清須の町で、木綿を売り歩く一人の青年。


「おや。ちょうど木綿が欲しかったところだよ。一つ分けておくれ」

「あいよー。今なら安くしておくよー」


 青年は木綿を分けて売りつつ、本当に様変わりしたなと感じた。

 以前の清洲の町は活気があったものの、治安は決して良くなかった。


「こりゃ、ご領主様が優秀なんだなあ」


 そう思いながら、木綿を売りさばいた青年は次にどうするか考える。


「松下様のところから暇を出されてしまったし、どうっすかなあ」


 青年は頭に手を組んで悩んでいる。

 すると「日吉丸じゃないか!?」と声をかける者がいた。

 振り返ると、青年の目には懐かしい友の姿が写っていた。


「一若じゃないか! いやあ、懐かしいな!」

「日吉丸のほうこそ、久しぶりじゃないか。お前が家を出たことは知っているが」


 日吉丸と呼ばれた青年は旧友に対し「今は別の名を名乗っている」と言う。

 そして猿のような顔で笑った。


「藤吉郎。木下藤吉郎という。なかなか良い名前だろう?」

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