第28話奇妙な感覚

 眼前まで迫った坂井甚介の槍。利家は受けようと刀を力強く握った。

 そのとき、利家を助けようと成政が必死の形相で向かっていたが、敵兵に阻まれてしまった。

 絶体絶命と言うべき状況で、利家の脳裏に過ぎったのは、心を奮わせるために思い浮かべた面々だった――


「……諦めるのは、まだ早いだろう?」


 目は瞑らなかった。だから一切が利家の目に映っていた。

 甚介の槍を下から跳ね上げ、利家を守ったのは――あの柴田勝家だった。


「し、柴田様……!」

「ふふふ。間に合ったな」


 不敵に笑う柴田を見て、利家は戦場だというのに、安心してしまった。

 それはまるで、迷子になった自分を家族が見つけ出してくれたような心境と一緒だった。


「貴様、何者だ!」


 強い力で跳ね上げられたせいで、槍を握る手が痺れてしまった甚介は、突然現れた柴田に向かって喚いた。


「わしは柴田勝家だ。お前、大将の坂井甚介だな」

「だとしたら、なんだと言うのだ!」

「――その首、貰い受ける!」


 そう言うなり、柴田は甚介に襲い掛かる。

 甚介も応じるように槍を合わす。


「うりゃああああ!」


 柴田の気合が入った声。上段に構えた槍を振り下ろす。甚介は槍を横向きにして防ぐ。しかしあまりの怪力で槍が軋み手も痺れる。思わず槍を落としてしまいそうになるのを堪える。

 柴田はそのまま槍を振り回して甚介を追い詰める。防戦一方になってしまった甚介。このままだと危ういと感じた彼は「こいつを撃ち殺せ!」と自分の部下に命じるが――


「柴田様の邪魔はさせねえ!」

「同じくだ!」


 利家と追いついた成政が甚介の命令に従おうとした者を次々と討つ。

 自分にできることは柴田の手助けをすること。そう考えた二人の行動だった。


「――よくやった、お前たち!」


 柴田は犬歯をむき出しにして笑った。利家ともう一人の若者を讃えながら、柴田は膂力の限りを尽くして――甚介の槍を真っ二つに折った。


「げえええ!?」

「しまいは、お前のほうだったな」


 柴田は酷く冷めた顔となり、低い声音で呟いた。


「お前たちは軽率すぎた。信長様の真価を見極める前に攻めたのが、失策だった――負けて死ね」


 甚介の喉笛目がけて、柴田は槍を繰り出し――突き抜けた。


「あ、がが、かかかか……」


 声にならない潰れた声を出して、甚介はその場に膝をついて絶命した。

 柴田が槍を引き抜くと大量の血液が噴水の如く噴き出た。


「敵将、坂井甚介――討ち取ったり!」


 高らかに宣言する柴田。

 周りの味方は勢いづき、逆に敵の士気が下がった。

 この戦、信長の勝ちが決定した瞬間だった――



◆◇◆◇



「ようやった、柴田勝家! 褒美として感状を渡そう!」

「ははっ。ありがたき幸せに存じます!」


 評定の間にて、信長は上機嫌で柴田に申し渡した。

 柴田は慎んで感状を賜った。

 この場には信長と柴田以外、誰もいない。

 無論、信長が大声で呼べばすぐさま来る距離には人がいる。


「実を言えば、お前は適当に戦をするとばかり思っていた。こちらの戦力を見定めるため、そしてこちらを不利にするためにな」

「めっそうもありません。わしは戦となったら本気を出します」


 豪快に笑う柴田に信長は「それにしても惜しいな」と渋い顔をした。


「お前が弟の信行の家老でなければ、感状だけではなくもっと大きな褒美を与えたのに」

「ほう。それは一体なんですかな?」

「たとえば――この城だ」


 柴田は信長が冗談を言っていると思い「それは凄い褒美ですな」と受け流した。

 それもそのはず、自身の居城を渡そうとする大名などいるはずないからだ。


「冗談と思っているだろうが、俺は本気だ」

「……ではあなた様は、いずこの城に住まわれるおつもりか?」


 信長はにやりと笑って「清洲城だ」と答えた。

 柴田の眉がぴくりと引きつった。


「あそこは尾張国一の商業都市がある。さらに国の中心近くあるため、政治がしやすい」

「……織田大和守家を滅ぼすおつもりか?」

「うん? 駄目なのか?」


 不思議そうに問う信長。まるで子供が木になった実を食って良いか訊ねている感じだった。


「駄目とは申しませんが……」

「では、大言壮語だと思うのか?」

「…………」


 柴田が沈黙したのは、返答に窮したからではない。

 今回行なわれた萱津の戦いを見て、本当にできてしまうと思ったからだ。

 もしそうなれば、先代の信秀を超えることとなる――


「だからこそ、お前を直臣にしたいのだが。とても面白そうだしな」

「わしは、信行様の家老ですので」

「……親父もなかなか酷いことをする。信行を『守るため』とはいえ、お前を家老に据えたのだから」


 信長が言った『守るため』の意味が分からない柴田ではなかった。

 用心深く、柴田は平伏した。


「さて。もう下がって良いぞ。俺は他の者に用がある」

「ははっ。かしこまりました」


 柴田は作法通りその場を退出した。

 部屋を出てからも上機嫌な笑顔を崩さなかった信長。

 そして柏手を鳴らして、後ろの部屋に隠れて護衛をしていた可成を呼ぶ。


「あいつはどうだった?」

「特に怪しいところは見受けられませんでした」

「そうか……まあ、裏でこそこそ画策するような奴じゃないしな」


 そこで初めて、信長は笑顔を崩して、真剣な表情になった。


「可成の報告でも俺と向かい合っても、俺のことを『殿』と呼ばなかった。心服していない証拠だ」

「…………」

「まったく、戦国乱世は面白いな」


 可成はいずれ柴田と戦うことになるのだろうと主君の話を聞きながら思った。

 そのとき、はたして自分は勝てるのだろうか――



◆◇◆◇



「柴田様! お待ちください!」


 那古野城の馬屋で、自身の馬の手綱を引いていた柴田に、急ぎ足で駆け寄った利家が寄ってきた。

 その後ろには成政もいた。彼は複雑そうな顔をしていた。

 柴田は嬉しそうに「おお、利家か!」と笑いかけた。


「お前のおかげで感状を貰ったぞ!」

「お、俺のおかげじゃないですよ……」

「何を言う。坂井甚介の兵からわしを守ってくれたではないか! ……うん? そこにいる者、見覚えがあるな」


 利家の後ろにいた成政は「佐々成政と申します」と礼儀正しく頭を下げた。


「おお、成政か。お前のおかげでもあるな!」

「あの混戦の中、私の顔を覚えていたのですか?」

「手助けしてくれた者の顔は忘れんよ」


 意外と記憶力が良いなと感じつつ、成政は「あの戦い、お見事でした」と言う。


「私とは実力が違いすぎて、正直参考になったのかは微妙ですが、少しでも柴田様に近づけるように精進します」

「うむ。励めよ」

「あ、あの! 柴田様!」


 利家は柴田に跪いて、それから熱心に頼み込む。


「俺を、あなたの弟子にしてください!」

「むう? 急だな」

「俺は、あなたみたいに強くなりたいんです!」


 柴田は一瞬、嬉しそうな顔をして、それから険しい顔に戻って厳しい問いをした。


「わしの弟子になるとしたら、お前も信行様の家臣にならねばならんぞ」

「……えっ?」

「名目上は与力ということになるな。だが信行様の家臣となれば、この城や主君、同僚とはお別れだ。それでも良いか?」


 その言葉に、成政ははっとした。それは利家が迷っていたからだ。

 柴田について行きたいと真剣に考える一方、別れを惜しんでいる。

 成政は竹千代との関係と似たものを利家に感じてしまったのだ。


「……利家、行くのか?」


 成政から出た呟きは、ほとんど無意識なものだった。

 その言葉に淋しさを滲ませてしまったのを責める者など、誰もいないだろう。

 だがその言葉が、利家を思いとどまらせた。


「……すみません、柴田様。俺は行けないです」


 利家にとって大きな存在であった柴田の誘いを断る。それは彼自身、惜しいと思うことだった。しかし言いようのない奇妙な感覚が、誘いを断らせたのだった。

 奇妙な感覚。それは信長への忠義心ではなく、嫌いだったはずの成政への友情からだった。


「がっはっはっは。良き友を持ったな」


 袖にされたのにも関わらず、柴田は大笑いして、馬に乗って、門まで向かう。

 二人の青年もついて行った。


「では、また会おう。そのときは――敵か味方か分からんがな」


 そう言い残して柴田は馬を駆け出した。

 遠ざかって小さくなっていく背中に対して、利家はいつまでも頭を下げ続けた。

 成政もまた、奇妙な感覚を覚えつつ、その背中を見続けていた。

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