第27話心を震わせて
尾張国の萱津にて織田大和守家の家老、坂井甚介と雌雄を決する戦いを行なう。そして利家にとっては初陣でもある。
実を言えば、利家は緊張していた。帰蝶が賊に襲われたとき以来、実戦――殺し合いの場に出ていなかった。
だから身体を強張らせて、顔を真っ青にしていた。利家自身、情けないと思っていた。先ほどから何度も小便に行っていたりして、どうにも落ち着かない。
もうすぐ出陣だというのに、那古野城の一角をうろうろしていると、声をかける者がいた。
「うん? 犬千代ではないか」
その声に驚いて振り返ると、柴田勝家がいた。思わず利家が「ああ!」と大声をあげる。
「なんだなんだ。あやかしでも見たような声などあげて」
「い、いえ……すみません」
「小僧。もしかして初陣なのか?」
図星を突かれてどきりとする。利家は覚悟を決めて「は、はい。そうです」と正直に答えた。
「元服も済ませていない者が初陣か」
「いえ。少し前に済ませました。いや、済ませたことを後から聞かされたというか……」
「はあ? よく分からんが、名はなんという?」
利家は「前田利家といいます」と彼を知る者から見たら驚くような、とても丁寧な仕草で言った。柴田自身、見た目のわりに礼儀正しい青年だなと驚いていた。
「そうか利家。戦は怖いか?」
「……怖いとかそうではなくて、緊張で身体が震えるんです。落ち着かないんですよ」
いわゆる武者震いのようなものだろう。そう判断した柴田は意外と有望だなと思った。怖がっていないと言っているが、ほんの少しはそう思っているのだろうとも看破した。
「ならば、大切な者のことを思え」
柴田は利家に近づき、その肩を握った。
手の温もりが徐々に利家の緊張をほぐしていく。
「大切な者、ですか……?」
「わしが戦に出るとき、いつも大切な者を思い、その者のために戦おうと決意する。畏れ多いが、今のわしの大切な者は信行様だ」
そうして青い空を見上げる柴田。自然と利家も見上げた。
雲がまばらに広がる、晴れ晴れとした晴天。
「大切な者のために戦うと決めれば、身体の震えは止まり、心が奮える。何度も戦場に出た、わしならではの奮起の仕方だ」
「柴田様……」
「お前には大切な者はおるか?」
利家は目を閉じた。
嫌いだが大切に思っている父。
いつも困らせて申し訳ない母。
優しい利久兄と苦手な利玄兄。
頼もしい可成と憎々しい成政。
頼りにしてる仲間の馬廻り衆。
そして大切な主君の織田信長。
「はい。たくさんおります!」
「その者たちを思えば、自然と震えが無くなり奮え立つ」
柴田はそっと離れて、それから豪快に笑った。
「がっはっは! これで今回の戦、手抜きなどできなくなったな!」
「えっ……?」
「わしを尊敬している子供に、情けないところ見せられぬ!」
そう言い残して、柴田はその場を去ってしまった。
その後ろ姿を利家は呆然と見送った。
もう身体は震えていなかった。
心も落ち着いていた。
「……意外と面倒見いいんですね。柴田殿」
柴田が曲がり角を進んだ先に、可成が壁に背中をもたれていた。
柴田は「ガラではないと申すか?」と不敵に笑う。
「いえ。そっちのほうがらしいと思いますよ」
「ふふふ。まあわし自身、似合わない真似をしていると思う」
柴田は肩を竦めて韜晦するように言う。
「信行様のことを思えば、信長様が戦に負けるほうが良い」
「そうでしょうね」
「しかし、いくらなんでも手抜きなどできん。無駄死にする兵が忍びないからな」
すると可成は「柴田殿。殿の直臣になるつもりはありませんか?」と訊ねた。
「あなたなら、殿とも上手くやっていけると思いますが」
「冗談を申すな。わしは亡き信秀様から信行様を託されたのだ」
そう一蹴した柴田。可成は諦めることなく「それは信行様の野心と野望に手を貸すと?」とさらに続けた。
「あなたも殿が織田弾正忠家の当主に相応しくないと?」
「……まだ信長様の真価を見たわけではない。だが一つだけ言えることがある」
柴田は可成に少しだけ淋しそうな笑みを見せた。
思わず可成の心が動揺してしまいそうになる。
「わしはこたびの戦、全力でとりかかる」
「…………」
「さすれば信長様の勢力が強まり、信行様も――諦めてくださるだろうよ」
そして大笑いしながら、その場を去った柴田。
可成はその背中をずっと見続けていた。
◆◇◆◇
そして、萱津での戦いが始まった。
相手方の坂井甚介は、信長を侮っていた。
自身が織田信友の配下の中で一番の戦上手なのも理由ではあるが、一番の理由は信長がうつけと呼ばれていることだった。その時点で信長の術数に嵌っているのだが、彼自身気づかなかった。
しかしそれが過ちであることに気づくのは、そう遅くなかった――
「何故だ!? 相手はうつけであろう!?」
伝令が知らせる、不利な報告に焦りを感じる甚介。
赤塚の戦いでは二倍の戦力を打ち破ったと聞く。しかしそれは山口親子が偽りの謀叛を起こしたからだと認識していた。
しかし三間半もある長槍や実戦では初めて見る鉄砲など、最新の武器が揃っている軍勢を見て、それらが勘違いであると知る。
「くそ! こうなったら俺も出る!」
甚介は自身の槍を持って本陣から出た。
周りの兵たちは彼に随行する。
このとき、戦上手であるはずの彼の頭には退却の二文字がなかった。
一方、利家は多くの敵をなぎ払っていた。
周りの馬廻り衆たちも感嘆の声をあげる。
利家の活躍、それはひとえに、目の前の柴田の活躍に他ならない。
前方での奮闘。一撃で、あるいはまとめて敵の雑兵を片付ける柴田を見て、利家は心を奮わせていた。
凄い。この人の動きには無駄がない。それに戦いながら指揮もしている。
まさに自身が理想とする武将の形だった。利家はいつか、ああなりたいと自然に思っていた。
「利家! 一人で先走るな!」
成政が一人の敵を片付けながら、利家に忠告した。
普段は仲が悪いが、戦になると二人は協力し合っていた。
「初陣だからって気張るんじゃない!」
「分かっているよ!」
利家がそう返したとき、馬上で槍を振るう男が見えた。
おそらく、名のある武将だと利家は確信した。
「成政! あそこにいる武将を狙うぞ!」
「だから待てよ!」
成政の制止を無視して、利家は味方の兵を次々と倒す男に近づき、左側の後ろから槍を繰り出した。そこは馬上の武者にとって死角だった。
「――危ねえ!? ちくしょう、なんだあいつは!」
しかしだからこそ、警戒しているところでもあった。甚介は気づいて飛び退くように馬から降りた。
「くそ! 貴様何者だ!」
周りの兵に起こされながら、その武将は喚いた。
そんな彼に利家は堂々と名乗る。
「俺は前田利家! 貴様の首頂戴する!」
「下郎め! この坂井甚介、やすやすと首は取られないぞ!」
坂井甚介――この戦の大将だ!
利家は思わぬ大将首に身体を強張らせた。
だが柴田に言われたことを思い出し、心を震わせる。
「……行くぞ!」
気合を乗せた槍の一撃を、利家は繰り出した。
しかし甚介は軽く槍で槍を受ける。
「子供のくせに、なんて馬鹿力だ……! だがまだまだ拙いぞ!」
そう言うと利家の槍を掴み、腰の刀を抜いて、槍の先端を切った。
これでは槍は使い物にならない。
「……ちくしょう!」
利家は腰の刀を抜いた。しかし相手は槍を構えている。
長槍が証明しているように、得物は長いほうが有利だ。
それに槍術の稽古は積んでいるが、刀はあまり扱ったことがない。それもそのはず、戦で刀を用いるのは敵の首を斬るぐらいだからだ。
「――これで、しまいだ!」
甚介の槍が利家を襲う。
利家は刀を中段に構えて、迫り来る槍に備えた――
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