第24話だって、生きているんだから
山口親子を謀略に葬った後、信長が次に着手したことは自身の家臣団の編成であった。
小姓や信長自ら集めた次男以下の男たちを中心に『馬廻り衆』という戦専門の親衛隊を作った。加えて銭で集めた流れ者を城近くに住まわせて、いつでも出陣できるようにした。
以前より行なっていた商業政策により、信長の構想の範囲内で多くの人が集まることとなる。しかしこれでも三人の上役である斯波義統、織田信友、そして織田信安は到底倒せない。それに上役を排除する大義名分もない。
「面白くないが、ここは耐えるのみだな」
心底つまらなそうに信長は傍らに控えている犬千代に言う。犬千代は「殿は何か隠している策があるんですか?」と敢えて問う。
信長は軽く笑いながら「実を言えば、まったくない」と答えた。
「だからこうして、城の庭を見ている」
信長は縁側に寝転びながら欠伸をした。一見すると仕事を放棄しているように見えるが、実際は多忙極まる政務の合間を縫って、休んでいるのだった。
馬廻り衆の一員となった犬千代も仕事がないわけではない。今まさに信長の護衛という任務に就いていた。傍から見れば信長の話し相手になっているのだが。
「なあ犬千代。お前はまだ、初陣していなかったな」
「ええまあ。奥方様のときは戦ではありませんから」
「多分、今度の戦で初陣することになる」
信長は気軽に言ったが、犬千代にとっては重大なことだった。
人を殺すという重み――
「そうですか……」
「しかしいつ起こるのかは分からん。心構えだけしておけ」
信長はそう言うと、上体を起こして「そういえば、お前は内蔵助と仲が悪かったな」と唐突に話題を変えた。
「いきなりなんですか? そりゃ、良いとは言えませんけど」
「嫌い合っているとはっきり言え」
「分かっていることを訊かないでくださいよ」
「最近、内蔵助の元気がないんだ」
家臣の様子をしっかり把握している。そういう目端が利くというか、目聡いところは凄まじいと犬千代は思った。
信長は「赤塚の戦いでは大いに手柄を立ててくれた」と内蔵助を評価した。
「しかし、覇気がない。何か思い詰めている感じがするんだ」
「……それを探れと?」
「探る必要はない。言い争いでも喧嘩でもすれば、少しは気が紛れるだろうよ」
なんだ自分は当て馬かよと犬千代は内心どころか、あからさまに顔に出てしまった。
信長は苦笑しながら「頼む。あいつもお前も大事な家臣なんだ」と手を合わせた。
「実を言えば、俺が直接聞けばいいんだけどな。政務に時間が取られてゆっくり話す時間がない。それにこれから爺やの息子の五郎右衛門の馬を見に行かねばならん」
「ああ。五郎右衛門殿が名馬を買ったのは聞いています」
信長は「もしも名馬だったら貰いたいと思っている」と腰を上げた。
「それでは頼むぞ。この時間なら内蔵助は城にいるだろう」
「承知しました、殿」
本当なら口もききたくもない相手だったが、主君の命令なので承るしかなかった。
代わりの護衛の者と一緒に、信長が平手五郎右衛門の馬を見に行くのを見送って、犬千代は内蔵助を探しに行く。
城をうろうろしていると、部屋の中で小平太と新介と一緒に話をしている内蔵助を見つけた。
犬千代はなるほど元気無さそうだなと感じた。確か竹千代という子供が今川家に送られた頃と同じ顔つきを内蔵助はしている。
部屋に入るなり、犬千代は内蔵助に言う。
「おい内蔵助。ちょっと面貸せや」
まるでこれから喧嘩でもしそうな雰囲気と言動だった。小平太と新介は思わず顔を見合わせた。
「お、おい。犬千代? 一体どうしたんだよ?」
「剣呑な顔になっているぜ……」
二人が心配そうな声をあげる中、内蔵助がすっと立ち上がって「いいだろう」と応じた。
「く、内蔵助も――」
「何の用か知らんが、まあ大したようではないだろう」
犬千代のほうに歩く内蔵助。犬千代は「良い度胸だ」と犬歯をむき出しにして笑った。
「こっちに来い」
「……ああ」
犬千代と内蔵助が部屋から出て行った後、残された小平太と新介はどうしたものかと考える。
「まさか、殺し合いするわけねえよな?」
「そんな馬鹿な。精々、喧嘩だろ」
二人は相談した結果、彼らの後をつけることにしたのだが――
「おや。仕事の時間ですよ」
間の悪いときに森可成が部屋に入ってきた。そういえば仕事の刻限であった。
「ああ、森殿。実は――」
新介が今の出来事を話すと可成は怪訝な顔で「犬千代が自ら喧嘩を売るとは思えませんね」と顎に手を置いた。
「とりあえず、二人は仕事に行きなさい。後は私に任せて」
小平太と新介はまあ森殿に任せておけば大丈夫かと思い、素直に仕事をすることとなった。
「……さて。急いで二人を追わなければ」
一人呟いて、可成は駆け出した。
物の弾みということが起こり得るかもしれなかったからだ。
◆◇◆◇
「それで、何の用だ?」
元々、内蔵助たちがいた部屋から少し離れた庭。
奇しくも昔、内蔵助が犬千代に三人の上役の話をした場所だった。
「殿がお前の元気がないから、調べて来いって言ったんだよ」
「……はあ?」
犬千代がいきなり訳の分からないことを言い始めたので、内蔵助は面食らった。
分からないことと言うのは、どうして犬千代が探りに来たのか、どうして殿が犬千代に命じたのか、そしてどうして殿が自分の元気の無さを分かったのかということだった。
「なんでお前がそんなことを探るんだよ」
「なんだ。やっぱり元気ないのか」
「……馬鹿のくせに、案外鋭いんだな」
「あぁん? てめえ、馬鹿にしてんのか?」
子供のように悪口を言われただけで怒り出す単純な犬千代。
内蔵助はどうしてこんな馬鹿に殿は探るように言ったんだと考える。どう見ても犬千代には不向きだろう。
「いいから答えろよ。どうして元気がねえんだ?」
「…………」
言えるわけがない。自分の無力さを思い知らされたことや歴史を本当に変えられるかと思い悩んでいることなど。もし言ったとしても犬千代には理解できないと内蔵助は断じていた。
「別に、理由なんてない」
「それは理由のある奴の言い方だぜ。すげえ苛々する」
「……もしあったとしても、お前に言うことは何もない」
そう吐き捨てて、その場を去ろうとする内蔵助。
その背中に向かって「一人で格好つけてんじゃねえよ!」と犬千代は怒鳴った。
「俺はお前のこと嫌いだけどよ。何も殺したいほど憎んでいるわけじゃねえ」
「…………」
「一応、同じ馬廻り衆だ。悩みがあるなら、言ってみろよ」
内蔵助は溜息をついて、それからくるりと犬千代に顔を向けた。
「具体的には言えない。だから曖昧な言い方になってしまうがいいか?」
「ああいいぜ。それでお前の悩みが晴れるならな」
内蔵助は庭の池を眺めた。そして石を拾って投げ込んだ。水面に波紋が広がって、やがて消えていく。
「私がやろうとしていることは、こういうことだ」
「……池に石を投げることか? 禅問答ならやめてくれ」
「違うな。なんと言えばいいのか……私の行ないは虚しいのかもしれない」
内蔵助は自嘲するように笑った。
「いくら石を投げても、波紋はやがて消える。私が変えようと思っても、すぐに元通りになってしまう」
「…………」
「生きるって、一体なんなんだろうな」
内蔵助は不意に前世を思い出していた。
何をしても認められず、全てが徒労となってしまった、あの人生を。
そしてここでも同じことを繰り返すのかと思うと、虚しくなる。
「……よく分からねえけどよ」
犬千代はそう言って、歩き出した。
向かう先には昔、織田家の現状を説明する前に内蔵助が腰掛けていた岩があった。
犬千代はその岩を両腕に抱えて、一気に持ち上げた。
「お、お前!? 一体何を――」
いきなりの奇行に思わず言葉を詰まらせる内蔵助。
「うおりゃああああ!」
顔を真っ赤にしながら、犬千代は岩を池に向かって投げ飛ばす。
どぼんと音を立てて、池の中心に岩が着地する。
池の水が飛沫となって周りに飛び散った。
「……石で駄目なら、岩を投げ込めばいいんじゃねえか?」
ぱんぱんと手を鳴らしながら犬千代は内蔵助に言う。
「見ろよ。浅い池だから岩が小島のように見えるぜ」
「お、お前――」
「波紋なんかよりも大きな変化だ」
それから犬千代は内蔵助に笑いかけた。
爽やかで何の悩みもない、澄み切った笑顔だった。
「てめえが頑張れば、そんぐらいできるだろ」
「…………」
「だってよ。お前、生きているじゃねえか」
内蔵助は滅茶苦茶な理屈だと思った。筋道も立っていない、ただの屁理屈だった。
だが、それでもその馬鹿馬鹿しさが――とても笑えた。
「あ、ははは、ははははは!」
自然と漏れる、内蔵助の楽しそうな笑い声。
「あははははははははははは!」
そんな内蔵助を犬千代は面白そうに見つめる。
そして言った。
「なんだよお前。楽しそうに笑えるじゃねえか」
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