利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~

橋本洋一

【第一幕】尾張国統一編

第1話二人の総大将

「お味方、総崩れ! 総崩れにございます!」


 早朝に始まった戦が、夕陽が照り映えて、終わりに差し掛かった頃。

 慌てて本陣に飛び込んだ伝令が、早口で総大将に報告する。それを受けて、総大将は目を瞑った。脳裏に浮かぶのは敗北の二文字。まぶたを開けずとも見えるのは味方が次々と討ち取られる光景。


「もはや、これまで! 総大将、ここはお退きくだされ!」


 傍らにいた家老らしき武将が総大将に進言した。

 それでも彼は動かない。

 まるでここを死に場所と決めたとばかりに――


「お退きください! ここで死んではなりませぬ、殿!」


 周囲が必死になって退却を進める中、不意に立ち上がり、総大将と呼ばれた老人は本陣の外に出た。

 逃げる味方の背に、多くの矢が突き刺さる。

 対抗しようと踏み止まる集団により多くの兵が長槍で追い立てる。

 最先端の鉄砲が、逆襲しようとした足軽を撃ち抜く。

 戦場が真っ赤に燃える夕陽のように血に染まり、青ざめた死体が無造作に転がっていく。


 どうしてこうなってしまったのか。何故、自分たちは争わなければならなかったのか。そのやるせない気持ちを吐き出すように、総大将は――叫ぶ。


「成政ぁああああ!」


 彼の昔の主君のように、戦場によく通る大きな声で、遥か彼方にいるかつての親友であり、好敵手であった男の名を叫んだ。


 一方、成政と呼ばれた男も本陣を出ていた。自身の軍が長年の友であり敵であった男の軍を駆逐している様を見つめていたのだ。

 そのとき、自身の名を呼ばれた気がした。聞こえるはずもないのに、聞こえた気がした。


「なんだお前。悔しがっているのか――利家」


 東軍大将の佐々成政は、相対する西軍大将の前田利家を思い浮かべながら不敵に笑った。

 それはまるで、大きな仕事を成し遂げた男の姿であると同時に、薄汚い仕事をし続けた卑怯者の姿でもある。

 東西を分かつ二人の総大将。そんな彼らの出会いは、利家が犬千代いぬちよ、成政が内蔵助くらのすけと呼ばれていた、今は遠い過去のことだった――



◆◇◆◇



「犬千代! どこにいるのだ、犬千代!」


 町外れにある小さな武家屋敷。

 どたんばたんと足音を鳴らしながら、織田家陪臣、前田家当主の利春は次々と部屋の襖や障子を開ける。そんな夫の様子を妻のたつはおろおろしながら「あの子、どこにもいないようです……」と困った顔をした。


「あの大馬鹿者めが! 今日が大事な日であることが分かっとらんのか!」


 怒りを吐き出すように吼えた利春。それから近くに控えていた家臣たちに命じた。


「首根っこを掴んででも、連れて参れ!」


 家臣たちは慌てた様子で各々主君の息子を探しに行く。

 利春は盛大に溜息を吐きながら「あの馬鹿息子めが!」とその場に座った。


「わしに恥をかかせるつもりなのか!」

「お前さま……申し訳ございません……」


 縮こまって平伏する妻に「お前の責任ではない」とぶっきらぼうに利春は吐き捨てた。


「犬千代は、どうしようもない……!」


 利春は天を仰いで呆れ返った口調で言う。


「せっかく、三郎信長様――若様のお付きになれるというのに!」



◆◇◆◇



 一方、その犬千代は子分たちを引き連れて、何の目的もなしに往来の多くない町を歩いていた。


「たいしょー。こんなところで油売ってていいんですか?」

「そうっすよ。あんた、今日から城勤めって言ってませんでした?」


 引き連れている子分たちが大将と呼び慕う少年――犬千代へ次々と心配そうに声をかける。しかし当の犬千代はいつもどおりの真っ赤で派手な衣装と朱塗りの長槍という、とてもかぶいた格好だった。しかも長身なために、かなり目立っている。だから犬千代を見る町の住人は遠巻きになって、ひそひそ小声で話す。かなり怯えているようだった。


 子分たちも犬千代に倣って真っ赤な衣装に身を包んでいる。よほど犬千代を慕っているのだろう。貧しい者でも真っ赤な手拭などを頭に巻いている。


「うるせえなあ。いいんだよ別に。尾張の大うつけなんぞに仕えたくねえし」


 乱雑な言葉遣いで返しながら、耳の穴をほじっている犬千代。子分たちは改めて凄い度胸だと惚れ惚れしたが、同時に心配にもなる。尾張の大うつけの噂は周辺の村々に知れ渡っている。中には物騒なものもある。


「親父も口うるせえしな。面倒だから出奔でもすっか」

「そんな軽い感じで言わないでくださいよ」

「俺ぁ四男だ。どうせ家は継げねえ」


 そう言って上を見上げる犬千代。空が青く広がっていて、雲一つない。まるで自由を表しているようで、彼には珍しく感傷的な気分になった。


「あーあ。もっと自由になりてえなあ」


 子分たちに言うでもなく、小さな声で呟いた、そのときだった。


「あ、たいしょー。変なやつがこっち来ますぜ」


 変なやつは犬千代も同じだったが、子分たちは気にしていない。そんな彼をして、変なやつというのは、犬千代の目の前で馬に乗りつつ瓜をかじっている、かなり着崩した半裸の男だった。目つきは悪いがかなりの美男子である。


 傍らには数人の少年を侍らせている。どの者も見栄えが良い。特に一番近しい少年は体格ががっしりとしていて、はっきり言えば強そうだった。


 犬千代は馬上の男が一目見て気に入らなかった。自分より偉そうな態度。派手ではないのに目立つ容貌。そして何より、自分よりも自由そうだった。


「なんだあいつ。ちょっと殴ってくるわ」

「ちょっと!? たいしょー!?」


 子分たちが戸惑う中、犬千代は男を睨みつけながら、目の前まで来る。瓜をかじっていた馬上の男は犬千代を見て「おう。食うか?」と瓜を差し出した。


「食うかそんなもん! てめえ、舐めてんのか!?」

「舐めてない。ちゃんと食ってる」

「……馬鹿にしてるのか? んなこと聞いてねえよ!」


 馬上の男は困ったように眉を八の字にした。そして一番近い少年に「なんか怖いんだけど」と大声で言った。


「内蔵助。ちょっと追い払ってくれ」

「ははっ。かしこまりました」


 内蔵助と呼ばれた少年は犬千代の前に立つ。他の少年たちは「やっちまえ、内蔵助!」と檄を飛ばしている。

 犬千代は「どけ。三下」と挑発するように睨む。内蔵助は「お前が消えろ」と返した。


「こんの……くそが!」


 犬千代が殴りかかる――内蔵助は拳を避けつつ、彼の懐に入って、思いっきり殴りつける。身体全体が揺れる感覚。犬千代はよろよろと二、三歩後ろに下がった。


「ふん。この程度か」


 内蔵助が主君に「終わりました」と一礼して報告した。鳩尾を殴ったのだ。しばらく動けまい。


「うん。ご苦労……あっ」


 主君が内蔵助の後ろを指差す。怪訝に思いながら振り返ると、眼前に拳が迫っていた。


「くらえ、このボケが!」

「うぐ!?」


 顔面を殴られた内蔵助はたたらを踏んでしまったが、決して倒れない。それどころか、唇から血が流れたのを見て――切れてしまった。


「何しやがるこのクソガキが!」


 内蔵助が素早い動きで犬千代に迫り、飛び上がって両足を揃えた蹴りを入れる。犬千代はふらつきながらも「ざけんなこら!」と拳で応じる。しばし応酬が続いた後、取っ組み合いが始まった。地面に引き倒されたり、上に乗っかられたりして、まるで子どもの喧嘩のようだった。


 いきなり始まった喧嘩に町の住人たちは、なんだなんだと集まってくる。悲鳴や歓声が辺り一面に響き渡る。


 子分たちは、自分たちの大将と互角の戦いをしている内蔵助という少年と、その主らしき男が何者なのか、図りかねていた。加勢しようにも組んでしまったら何もできない。


「あーもう! やめろ二人とも!」


 馬から降りた男は二人を無理矢理引き剥がした。まだ喧嘩をしそうだった二人の頭に拳骨を食らわす。物凄く痛いらしく、二人は悶絶した。


「そこの者はともかく、内蔵助も大人気ないぞ」

「す、すみませぬ……」


 内蔵助は涙目になりながら、主君の前で恥をかかせた犬千代を睨む。

 犬千代も血を流しながら、自分と対等にやりあった内蔵助を睨む。


「まるで狂犬みたいだな」

「うるせえ! てめえ、何者だ!」


 頭を抑えつつ涙目で男に問う犬千代。すると男は「ふむ。俺の名か」とにっこり笑った。


「俺は織田三郎信長だ」

「はあ!? 尾張の大うつけ!?」

「貴様……! この無礼者が!」


 内蔵助がもう一度犬千代に襲い掛かろうとしたのを「ええい、やめんか!」と叱り付ける信長。そして「おぬしは何者だ?」と犬千代に訊ねた。


「……俺は、犬千代。前田家の犬千代だ!」

「なに!? 犬千代だと!?」


 内蔵助は心臓が飛び出そうなくらい驚いた。まさか目の前のクソガキが前田利家だとは……


「いぬちよ……ああ、今日小姓になる男だな!」


 ぽんと手を叩いて納得した信長。犬千代は二人が自分の名を知っているのかと驚いた。


「そうか。しかし、お前は城で待っているはずではなかったのか?」

「俺はあんたに仕えるつもりはない」


 内蔵助が怒りに震えている。後世に名を残す男に向かってなんていい草だ。刀があれば斬り捨ててしまいたいと思っていた。


「どうして俺に仕えたくないんだ?」

「顔も名前も知らん男に、命を預けられるか!」

「……なるほど。気に入った!」


 信長はにっこりと微笑んだ。訳が分からない犬千代は「何が気に入ったんだ?」と首を傾げた。


「仕える以上、命を懸ける。それはおぬしの信条なのだろう? そこが気に入った」

「…………」

「犬千代! この俺に仕えろ!」


 信長は甲高い声で笑いながら、若殿らしい傍若無人な命令をした。

 犬千代は断ろうとしたが、次の言葉を聞いて、思いとどまってしまった。


「俺と一緒に来たら、物凄く楽しいぞ!」


 無邪気な言葉だった。根拠もない言葉だった。

 だが――惹かれてしまった。心動かされてしまった。

 これが、織田三郎信長なのか――


「……ふん。分かったよ。一応付き合ってやるよ」


 そう言って犬千代は埃を払いつつ立ち上がった。

 信長は嬉しそうに「で、あるか!」と犬千代を見上げた。


「ならば内蔵助と仲直りしろ!」

「……はあ?」

「俺の家臣になるのなら、仲良くしておけ!」


 犬千代は内蔵助を見た。信長からは見えない角度でこっちを蔑んでいた。その目が気に食わなかった。

 一方、内蔵助は生意気な犬千代が生理的に受け付けなかった。いきなり主君に気に入られて、はっきり言えば仲良くしたくなかった。

 二人は同時に思った――こいつ、大嫌いだ!

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