第33日-3 ワームホール

「さて、困ったことになったな……」


 オーパーツ監理局の局長室に集まった俺たちは、台詞の通り、珍しく本当に困った顔のラキ局長を目にすることになった。ようやく捕まえられるはずのオーラスが煙のように消えてしまったものだから、無理もないっちゃあ無理もないけど。実際の俺らも、目標を突然見失ってどうすりゃいいだか判断に困ってここに居るわけだし。


「首謀者が行方不明では、しまらなくて困るな。本当なら、捜査員を総動員してもここでオーラスを確保すべきなのだろうが……どう思う?」

「普通なら、逃げたと考えるのが妥当なのでしょうが……」


 リュウライは困り顔。あの状況下で逃げたと思えないのは、リュウライも同じようだな。俺自身も、オーラスがとても逃げたとは思えなくて、だからこそこの状況に戸惑っている。

 う~ん、と皆で首をひねって考えていると。


「落ちたわね」


 オーラスのオーパーツの検証のためか、俺たちと同じように局長室に呼ばれていたキアーラが唐突にそう言った。


「落ちた?」


 問い返すラキ局長に向き合って、キアーラは首肯する。


「オーパーツがRT理論に絡んだものなら、その可能性は大いにあります」


 それがどうして〝落ちた〟になるんだか、俺たちにはまるで解らないが、局長はなんか理解したらしく、目をきらりと光らせる。


「RT理論は、ワームホールの形成に基づくものだったな」


 リュウライがサルブレアで見つけたRT理論提唱者デルージョの手記。そこからキアーラは、時間停止・時間遅延の原理は〝時空間に孔を穿つこと〟――すなわちワームホールの形成によるものだということを導き出した。

 自然は急激な変化を嫌う。物質の状態を変えても質量は保存されるし、動いているものが急に止まれば慣性が働く。それと同じように、時空間に孔が開いても、不足を周囲が補って孔を塞ぎにかかると考えたわけだ。水場に突如開いた孔に、水が入り込むように。粘土に開いた孔を、周囲を伸ばして埋めようとするように。

 例えば、過去から未来への時間軸が方眼用紙のように均等に区切られているとして、ある場所に一つ穴が開いたとする。すると、変化を嫌う自然は、その穴を塞ぎに掛かる。具体的には、粘土のときと同じような方法だ。周囲の時間を引き伸ばして埋めようとする。そのとき、均等だった間隔が、孔の周囲だけ変化する。そこだけ引き伸ばされているように見えるのだ。

 時空に穴を開けたオーパーツの使用者は、それが見える。

 だが、それ以外の人間は分からない。今までどおり時間が均等に流れているのだと錯覚する。

 その感覚・認識の差を、時間停止あるいは時間遅延に見せかけているのではないか、とキアーラは結論づけた。

 リュウライが追っていたビジネススーツの男ピート、メイ、そしてオーラスの三人が持っていたオーパーツ。それはつまるところワームホールを形成するためのものではないかというのが、現在の見解だ。


「ということは、オーラスはオーパーツを使用したことで、自ら形成した穴に落ちたということか」

「あくまで可能性の話ですけれど」

「だとしたら、どうしようもねーじゃねーか!」


 トンデモ話に頭を掻きむしる。ワームホールに入るなんて危ないことはできないし、仮に実行しようとしたところで、オーラスと同じところに落ちるとも限らない。為す術など有りはしない。


「このまま〝事故で行方不明〟で終わりかよ」


 なんとも呆気ない話に天を仰ぐと、


「事故とは限らないわよ。マーティアス・ロッシが意図的に起こしたのかも」


 キアーラがさらなる爆弾を投下した。


「そんな……っ!」

「何故そう言える?」


 これまでにないリアクションをするリュウライの横で、ラキ局長は冷静に問い返す。


「彼女、オーラスを囮にしたのでしょう? でしたら、殺そうとしてもおかしくはないはずです。ついでに、実験もできますし」

「実験?」

「本当に、人間一人が入れるくらいのワームホールを作りだせたかどうか」


 背筋がぞくっとした。また人体実験をしやがったのか、という点も驚きだが、ある意味恩人になるだろうオーラスを実験体――しかも、死ぬかもしれないやつ――に平然と利用するロッシの異常さに驚きを禁じ得ない。

 いったいそのオーパーツにどれほどの執念を持っていやがるんだろう? 敵としては手強い……というより、厄介でしかない。確かに何度かあったとき、冷たい女だなとは思ったけれどさ。


「彼女の目的は、過去に遡ること。ワームホールを作りだし、そこを潜り抜けて目的の時間に辿り着く。しかし、メイ・メラニーのオーパーツが作りだせるのは、数秒の時間を引き延ばせる程度の小さな穴です。人が入り込めるだけのものとは思えません。現に彼女は、〈クリスタレス〉の影響だけしか受けていない」

「ひと一人が入れるほどのものではなかった、と」


 それは……なんというか不幸中の幸いだったな。下手すると、メイもオーラスと同じ目に遭っていたかもしれないわけだ。

 時空間の狭間に一人放り出されて、その気分はどんなものなのだろう。メイがそんな目に遭わず本当に良かった。


「一方で――これ、ずっと気になっていたんですけど、リュウライくんがヴォルフスブルグの工場で見たという怪現象」

「手が壁から生えるって奴か」

「あれももともとは、時間操作のオーパーツによるものでしょう」

「何故だ? 私も見ていないが、予想するにその現象は時間でなく空間に作用するものだろう。作用するものとベクトルが異なるならば、オーパーツの力は働き得ないと思うのだが」

「私たちの考えは少し違います」


 キアーラは、ワームホールを掃除機、時間をゴミ、空間を絨毯に例えた。RT理論の適用するオーパーツは、掃除機が塵を吸うように、ワームホールに時間を吸引する。このとき、ワームホールは時間と一緒に空間を吸引する。まるで塵と一緒に吸引してしまった絨毯のように。

 この瞬間、絨毯は吸引された分だけ面積が小さくなる。

 同じように、ワームホールに吸引された空間も、一時的にその分だけ削り取られる。


 さっき、オーラスに銃を向けたときのことを思い出した。


「なるほど、弾が変なところに飛んでいったのは、オーラスが時間操作だけでなく空間操作もやったからっていうことか」


 この俺の発言が、オーラスのオーパーツが空間操作もできたということを裏打ちしたらしい。やっぱりね、とキアーラは頷いて、


「オーラスのオーパーツが、ちょっとした時間や空間だけでなく、ある程度大きな物が入り込むだけの範囲で――それこそ、人間を取り込めるくらいの大きさの穴が開けられるとしたら」

「マーティアス・ロッシの研究は完成間近に至っていてもおかしくはないということになるな。奴の目的は何だと思う?」

「おそらく……七年前の事故の日付に戻ることだろう」


 そう横から入ってきたのは、なんとアルフレッド・ワグナー前O研所長だった。


「事故後……ロッシが隠れて〈クリスタレス〉の研究をしていた頃か。何名かの研究者が譫言うわごとのような彼女の言葉を聴いたんだそうだ。『アヤを生き返らせなくっちゃ』とな」

「アヤ……アヤ・クルト?」


 マーティアス・ロッシと同じく大学の修士課程にいたときに抜擢された〝特別研究員〟で、親友同士だったっていう彼女か。遺跡の爆発事故で亡くなったんだよな。


「生き返らせるって……無理だろ」


 死んだ人間が蘇ることはまずないし、オーパーツで死体を蘇らせた例もない。現状、死人を蘇らせることは不可能だ。


「そうだな。だが、目的が時間を遡ることなら?」


 時間を遡って、オーラスはこの島からダーニッシュを排除しようとしていた。友人を喪ったロッシの場合は――


「……そうか。事故から親友を救い出そうってことか」


 キアーラの表情が歪んだ。オーパーツを弄り続けていたキアーラたちの父親は、オーパーツの事故に巻き込まれた母親を救うつもりだった。同じ目的だということになるんだもんな、その胸中は複雑だろう。

 もっともキアーラは、そんな父親を強く否定していた。ロッシに対してもきっと同じだろう。……そのことに、密かに安堵する。


「なんにせよ、O監としては、黙って見過ごすわけにはいかない。一刻も早くマーティアス・ロッシの居場所を突き止め、阻止するぞ」


 局長の号令に了解を返してから、部屋を出る。まずは、ロッシの居場所を突き止める手がかりを、となるわけだが、その前に気になってたことがあった。廊下でリュウライを捕まえて、自販機の置いてある休憩スペースまで引っ張っていく。


「なあ、リュウくん。ちょっと聴きたいんだけどさぁ……」


 突然俺に捕まえられたリュウライは、心当たりがないらしくきょとんとしている。まったく無垢な子どもみたいで可愛らしいじゃないの。


「ロッシのこと、好きだったの?」


 確か、リュウライは子どもの頃、両親の食堂でロッシに会ったことがあると言っていた。客だったということだから、きっと何回も会ったことがあるんだろう。

 それだけならまあ、という感じだが、気になるのはこれまでのリュウライの、ロッシに対する反応。例えば、サルブレアの施設でバルマを見たとき。あのときロッシとバルマが同一人物だと気付いたって話だが、あの呆けようはそれだけじゃないような気がしていた。それに、さっきキアーラがロッシを狂人扱いしたときの過剰な反応もそうだし、オーラスと話しているときも違和感があった。

 それらを総合して、ロッシの目的について話しているときに俺が導き出した結論が、これだ。

 だけどまあ、リュウくんってばたまに感情の機微に疎いから。


「は……? なにを言ってるんですか」

「やっぱりなぁ。無自覚だ」


 自分では気づいていないんだろうな、とは思ったんだよなぁ。案の定だ。

 これは突いてやるしかない。


「初恋の人とかだったりするんじゃない?」

「あり得ません。意味がわからないんですが?」


 必死になって否定しているけど、そのムキになっているのがますます怪しい。……まあ、これも気づいていないんだろうけど。


「別に。リュウくんが公私混同しないキャラだってのは、よくわかってるし。ただ、自分の感情をはっきり認識しておかないと、後悔するぜ」


 そう。リュウライは自分の私情を他所において行動できる人間だとわかってはいるのだ。ただ、自分の感情に気付いていないというのはまずい。すべてが終わった後、必ず抱くだろう喪失感。その正体が分からないままだと、今後リュウライがどうなってしまうかが分からない。

 だから、それがどんな感情であるにしろ、リュウライには自分の気持ちがなんであるかをはっきりして置いてもらわないと、はっきり言って心配過ぎて困ってしまう。


「マーティアス・ロッシの逮捕は決まってるんだ。それまでに気持ちの整理、しっかりつけとけよ」


 もし、気持ちの整理がついたうえで、リュウライが困るようなことがあれば、俺はできる限りは助けてやろうと思う。ただし――ないとは思うが――それがロッシを見逃すとか、そういうことではないという限りの話だけれど。

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