第二章 バルトの少女
第5日-1 消える手掛かり、拾う手掛かり
「はあ!?」
受けた電話の内容があまりに信じられなくて、思わず椅子から腰を浮かせた。何事かとミューリンズさんがこちらを見てくるが、身ぶり手振りで「後で」と伝えて、電話の相手に集中する。
電話の向こうにいるのは、レインリットさんだ。暗い声音で嫌なニュースを伝えてくれた。
「ワット少年が保釈されたって?」
『ええ。つい先程』
「誰が金払ったんです。確か奴は、父親に勘当されてる……でしたよね?」
『署に来たのは代理人でしたので、確かなことは分かりませんが、委任状に書かれていたのは父親の名前でした』
思わず溜め息が漏れる。勘当した癖に、息子が犯罪起こしたら行動するのかよ。世間体を気にしてるのか、それとも甘いだけなのか。いずれにしても世間をナメているとしか思えない。
金払うだけで少年の窃盗程度なら保釈される制度も制度だが、親も親だよなぁ。だからあんなガキが出来上がるんだ。
力が抜けて、椅子に座り込む。ぎし、と背もたれが軋んだ。
「まーとりあえず承知しました。連絡ありがとうございます」
『いいえ。こちらこそ、ワットを引き留められずに申し訳ありません』
謝るレインリットさんに気にするなと伝えてから、電話を切った。肩が落ちる。せっかくの手掛かりが消えちまったよ。
「なに、容疑者保釈されちゃったの?」
様子を窺っていたミューリンズさんが、島の向こうから声を掛けてくれた。今日も同じ島の仲間は誰も居ない。だからつい、こうやって大声で会話しちゃったりする。
「そうなんですよ。父親が金払ったって」
「そりゃあ参ったねぇ」
全くだ。ラキ局長に頼まれた仕事の、確実な手掛かりが手の中をすり抜けてったってんだから、そのダメージのでかいのなんのって。
「大丈夫? 親父さん訪ねてみる?」
心配してミューリンズさんが提案してくれるが……なんとなく踏み留まる。ワット少年の家を訪ねたところでどうにかなるものだろうか。そこを頑張ってどうにかしたとして、果たして労力に見合うだけの成果が得られるかどうか。
ここは、アプローチの仕方を変えるべきじゃないか? 俺の頭に、ワット少年とは別の顔が浮かぶ。
……なるほど、俺は今、ワットじゃなくてあっちの少年が気になるのか。
「……いや、大丈夫です。一応手掛かりっぽいものあるんで」
この前にレインリットさんに会わせてもらったアスタ少年。あいつは確実に何かを知っている。しらばっくれたつもりらしいけど、ちょこちょこ失言していたことに、俺はきちんと気づいていたりするわけです。
「ならよかった。早く局長のお仕事片付けちゃってよ。こっちも人手足りないからさぁ。残業ばかりで、最近奥さんが怒るのよ。うちの子大事な時期なのに、あんたって人は! って」
確か、ミューリンズさんのお子さんは今年受験だったっけか。なんて、ことを思い出す。日頃、上司のプライベートの愚痴を聴いているだけに、ミューリンズさんの家庭事情にはちょいと詳しくなっている。
「受験前だからってそうやって根詰めてやったって仕方ないでしょうに。そんな付け焼き刃な実力なんて、いずれどっかで破綻して苦労しますよ」
自らの経験則を語ると、ミューリンズさんは何故か呆れだした。
「……君、いい加減なようで何気に秀才だよねぇ。後学のために言っておくと、思春期ナメないほうがいいよ」
「そういうもんっすか?」
「そういうものだよ」
なにぶん、近くに年頃の子がいないもんでわからん。あ、リュウライがいるか。俺が面倒を見たときはまだ十代半ばだったし。
うん、でもあれは世間一般の少年とは違うだろう。適応外だ。
「ま、いっす。とりあえず〝手掛かり〟んとこ行ってみます」
思春期の少年なんちゃらは、今はどうでもいいことだ。それよりも、お仕事お仕事。
革ジャンを引っかけて外へ出る。目指すはバルト区。アスタ少年のグループのいる半地下倉庫。レインリットさんに相談すべきか悩んだが、事前に教えられていたアドレスにメールで一言送るに留めた。毎度声を掛けるのも煩わしいし、向こうもO監の捜査員にいつまでも引っ張り回されても困るだろう。グレンみたいに回し者扱いされちゃ、大変だし。
さて、セントラル東側にある駅から列車に乗り、バルトへ行く。
列車はシャルトルトのメインの交通機関だ。シャルトルトを南北縦断する際は、ほぼ確実に利用する。シャルトルト市民で自家用車を所持している人間は少ない。島だから土地は狭めだし大陸から運んでくるの大変っていうのもあるが、シャルトルト創設初期に島と大陸間を結ぶ鉄道を造った『ダーニッシュ交通』が、島内の交通整備も担って事業を拡げたというのもある。電車と路線バスで、この島の人間は移動の不便を感じない。
産業と都市インフラと島の経済を整えたオーラス。島の交通を担うダーニッシュ。シャルトルトはこの二大企業を柱として成り立っている。
ガラス張りの近代的な建物であるセントラルの駅は、人でごった返していた。黒の制服を着た駅員さんが、構内を慌ただしく右往左往している。駅員はわりと激務であるらしいんだけど、ここ数日は特に顕著であるようだ。というのも、三日前にここより北方、工場立ち並ぶアーキン区の駅で、脱線事故があったから。死人は居ないが結構派手な事故だったらしく、ホームの一部が使えなくなったらしい。おかげでその駅で列車が飽和し、連鎖的に各駅で同じことが起こり、更に事故現場の先にある車庫に車両が戻せなくなって……と、芋づる式にトラブルが発生。臨時ダイヤを組まなきゃいけないわ、苛立つ客の対応をしなきゃいけないわで、駅はいろいろとパンク状態になっている。
そんな鉄道を申し訳なく利用して、バルト中心部の煉瓦組のレトロな駅舎の階段を下りて北の方へ足を向ける。そのとき通りすがった女の子が、ふと気になった。あれは、そう。アスタんところで見た子だ。きつめの美人で、派手めだがセンスの良いおしゃれさん。名前は確か、メイだっけ。お姉さんな立場だったのが、印象に残ってる。
彼女は旧市街の中心部へと向かっているようだった。なんとなく気になって、足が彼女を追いかける。
彼女は周りに目をくれず、慣れた足取りで古い街並みを通り抜けていく。バルトの中心部に向かっているようだが、どうも商店街や住宅街を目指しているわけではないらしい。周囲は次第に、会社関係の建物が増えてきている。ここは、古くから残る中小企業の拠点が乱立するビジネス街。どう見て、彼女には縁のなさそうな場所だ。不良少女が、いったいこんなところに何の用だ?
なんか少年少女が関係する会社なんてあったっけ、とビルに打ち込まれた看板を見ている途中、壁にかかった時計が目に入った。時刻、午後二時半。ミツルくんへの定時報告の時間だ。
ミツルに繋がる無線を教えてもらってからというもの、定期的に彼と連絡を取ることになっている。そんなん紙ベースでも良いだろうに、わざわざ定時報告なんて、局長、俺がサボるとでも思ってるのかね。
まあ、喋るのは好きだし、あのオバサン相手に話すわけでもないので、良いんだけど。
「もしもし? ミツルくん?」
回線をオンにして、袖に仕込んだ小型マイクから話し掛けると、機械的な返事があった。
『受信中』
「どーも。グラハムさんでーす」
肺から空気を押し出すような重い溜め息が聴こえた。マイクが拾うんだから、相当大きな溜め息だ。
『……分かっています。報告は?』
「今、この前あったアスタ少年んところのグループの女の子追いかけてる」
『……一応訊きますが、何故』
「スラムじゃなくて、ビジネス街まで来てるんだよ。学校行くとも思えねぇし、ちょっと妙だろ? なにせ、家出少女だし」
沈黙による返答。先を話せということで、続ける。
「一応言っておくと、ナンパじゃないよ? 確かに年齢のわりに色気のある美人だけど」
『…………思っていません。訊いてもいません』
「今、ちょっと間が長くなかったか?」
『下らないことを言うから、呆れただけです』
「ほんとかなー」
『どうでもいいですから、黙ったらどうですか。一応尾行中でしょう。あまり喋ってるとバレますよ』
「大丈夫よー。一応離れてるから」
『どうだか』
声がとうとう苛立ちを覚え始めていた。遊び心のない奴だな。こういう四角四面の奴には、ついちょっかいを出しちまうんだけど……潮時かな。
『まあ、へまをしなければそれでいいです。また二時間後に報告を』
「はいはーい」
無線を切って、尾行を続ける。
辿り着いたのは、中心部から少し逸れたところに建っていた研究所。石造りの門には、『オーラス光学研究所』と書いてある。オーラス財団経営の研究所、か。確かVGを利用したレーザーとかの研究を行っているんだったか。
そんなところに、どう見ても職員とは思えない少女が、正面から中へ入っていった。
バイトかな、とも思ったが、妙に引っ掛かる。だから、出てくることを待つことにした。近くに都合よく喫茶店があったので、そこでコーヒー片手に様子を窺う。出てきたのを見計らって店を出て、偶然を装ってその子に近づいた。
「あっれぇ? 君、確かスラムにいた――」
「あんた、ワットのことを訊きにきた警察」
ぽかん、としたその子は、みるみる怒気を現していった。
「私のこと、つけてたってわけ」
怒りに満ちた低い声。敏いな。いや、俺の声の掛け方がわざとらし過ぎたか。しょうがないから白状しよう。降参の印に両手を上げる。
「まあ、たまたま見かけたからなんだけどな。あそこでどんなお仕事してんのか、ちょっと気になって」
そうやってオーラス光学研究所の方を指差すと、メイちゃんはさりげなく俺から視線を逸らした。
「別に、大した仕事じゃないわよ」
「そこんとこ、もうちょい詳しく。ほら、あの研究所ってなかなか高度なもん扱ってるじゃない。そんなおいそれと入れるところじゃなさそうだからさぁ、何やってんのか気になるのよ」
ウザったらしく絡むと、メイ嬢は観念して肩を竦めた。
「……ただちょっと、身体検査に協力してるだけ」
「身体検査?」
「モニターってやつ? 本社が作った医療用の機械がきちんと動くのかどうか、私の身体で実験してんの」
確かにあの研究所は、オーラスが過去に事業拡大で創設した精密機器の製造業『オーラス精密』の付属組織だ。さっきも言ったレーザーの類の他、医療用の測定機器も作ってるらしいから、その試験をすることもあるだろう。んで、医療用ともなれば、やっぱ人間の身体も見たいだろうし。
この娘の言うことも、それなりに筋が通っている、気がするが。
「そんで、どうだったの測定結果」
「別に。異常なしよ」
「そりゃあ良かったな」
と言ったら、少女は顔を歪めた。ウザったいこいつ、と顔に書いてある。ごめんよ、わざとなんだ。
嘘を言ってる感じはないが、なんとなく隠し事があるような気もするんだよなぁ。斜に構えた態度はまあ良いにしても、あからさまに視線を逸らすし、服の下にペンダントでもあるのか、胸元をさっきから弄っているし。一刻も早く立ち去りたい感じがするし。
……けど、ここで追及しても仕方ねぇか。
「悪かったな、呼び止めて」
「疑いは晴れた?」
「疑うなんて大袈裟な。ちょっと気になっただけだって」
メイ嬢は胡乱な目で俺を睨むが、結局何も言わず、
「……それじゃあ、もういい?」
「どうぞどうぞ。お帰りください」
恭しく道を譲ると、メイはこちらを一瞥して、逃げるように足早に俺の前を通りすぎた。
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