いのちの歌

結羽

いのちの歌

 歌が聞こえる。

澄んだ歌声。

流れるようなメロディ。

心が洗われるようで、なぜか涙が出た。


 寝転んでいた体を起こし、涙を拭った。

歌の主を一目見てやろうと立ち上がる。


 俺がいるのは海岸の岩場の陰。

歌声は俺が背もたれにしていたでかい岩の向こう側から聞こえていた。

俺が歩き出そうとした時だった。

ずっと聞こえていた歌声が少しかすれて、だんだんととぎれとぎれになっていった。

その声が消えていくのにあわせて子猫の鳴き声が聞こえた。

ミーミーと何かを訴えかけるかのように必死な鳴き声だ。


 俺が岩の裏に回ると子猫が駆け寄ってきた。

それを抱き上げてその先を見た。

胸を手で押さえ、苦しそうにうずくまっている女の子の姿があった。


「おい! どうした!?」


 慌てて彼女に駆け寄って、そばにしゃがんだ。

彼女は苦しそうに顔を歪めてチラリと俺を見た。


「大……丈夫。……いつものこと……だから」


「でも、誰か呼んだ方が……」


 立ち上がりかけた俺の服の裾を彼女がつかんだ。

弱々しく、だけどしっかりと。


「だめ……! 呼ば……ないで!」


 肩で息をしながら女は言う。

俺はその言葉に切羽詰まったものを感じ、彼女のそばにしゃがみ込んだ。

背中をさすってやってると、しだいに呼吸が落ち着いてきた。


「ごめんね。もう大丈夫……だから」


 岩にもたれて彼女は言った。

ふいに必死になっていた自分に恥ずかしさを覚えて、立ち上がった。


「あなた、どうしてこんな所にいるの?」


「うるせぇな! 関係ねぇだろ!」


 確かにとっくに授業始まってる時間に制服でこんなとこにいたら、聞かれてもしょうがない。

学校に居場所なんかなかった。

だから、よくサボっていた。


「あなたも行き場の無くした野良猫ね? 私はこの時間はここにいるよ。また、おいで」


「なっ!? 何だよ、それ!」


 彼女は子猫を抱き上げ、クスクスと笑っている。


「私はそろそろ戻らなきゃ。またね」


 そう言って彼女は去って行った。


 それから、俺は毎日、その岩場に来ていた。

行くつもりなんかなかったのに、なんとなく足が向いてしまったのだ。

2人でいろんな話をした。

少しずつ女のことも知っていった。


 名前は碧。

近くの病院に入院してること。

午前中、2時間だけ外出を許されてること。

いつもあの場所で歌っていること。


 そして――、

今度、大きい発作が起きれば……

助からないであろうこと……。


 それでも俺たちは、毎日のように会っていた。

だけど、少しずつ会える時間が減っていて、別れの日が近いことを薄々と感じていた。


 ある日、いつもの時間をすぎても碧は現れなかった。

嫌な予感がして、俺は病院の方へ歩き出した。

病院が見えて来た。

2階の端の窓に慌ただしく動き回る人影が見える。

直感でそこが碧の部屋だとわかってしまった。

その部屋で何が起こっているかということも。

俺はその場に立ち尽くした。

頭が真っ白で何も考えられない。


 気がつけば、俺は歌いだしていた。

出会った時に碧が歌っていた歌だ。

涙が伝う。

でも、歌うのを止められなかった。


 病室では碧が酸素マスクをつけ、ベッドで荒い息をしていた。

家族に囲まれて、最期の時を過ごしている。

碧は母親が握っている左手に力を込めた。


「碧?」


 母親は碧に顔を寄せた。


「歌が……聞こえる。……窓を……開けて……?」


「歌?」


 看護師の1人が窓を開けた。

確かに微かな歌声が聞こえる。

拙いが必死で、力強い歌声。

その場にいた全員が耳を澄ませていた。


「……ありが……とう……」


 碧がゆっくりと目を閉じて、無機質なアラームが鳴る。

その音は碧がもう目を覚まさないことを意味していた。


 俺は歌い続けた。

俺にできるのはこれぐらいしかない。

少しして、窓に中年の女性が立った。

俺の方を見つめて、深々と頭を下げた。

その意味を察して俺は言葉を無くした。

とめどなく涙が溢れ、声を出して泣いていた。


 ずっと何処にも行けず、入院したままの碧には歌うことしかなかった。

碧が歌うことは生きること、そのものだったんだ。

だから、あんなにも澄んでいた。

心が揺さぶられたんだ。


 碧は短い人生を強く生きていた。

俺は碧の歌を胸にしまい、強く生きたいと思った。

碧のように――。

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いのちの歌 結羽 @yu_uy0315

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