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 靴紐をぎゅっと縛り、コツコツと音を鳴らす。履き心地は上々。無理のない締め具合だ。


 愛用している黒のブーツ。それを確認して「よしっ」と、満足気に掛け声を上げる。



「――――もう行くんだね……」



 少しさみしげな色を滲ませた声。



「そうね。決意が揺らがない内に出たいのよ」


「そんなことないと思うけどね」


「うつろう季節と人の感情ほど、移り変わりやすいものなんてないでしょ」


「やけに風流なことを言うね」


「……そういう気分なのよ」


 立て掛けていた赤色の刀を馴れた手付きで腰に挿す。路銀が入った巾着を裾に入れ、鏡で身なりを整える。


「気をつけてね。今の貴女は……ただの“巫”なんだから」


「分かってるわよ」


 頭に付けた“狐の面”に触れる。それは自身のを封じたモノだ。


 今の自分はただの狐娘なのである。


 頬を撫でる髪は明るい栗色に大きな耳と尻尾は同系色に変化した。


 キュウビの魂とも言える九本の尻尾も今では一本だけが背後で揺れている。身体のそこかしこに伸びていた赤の刻印も今はない。



「大丈夫?」



 動かない俺を心配したのか彼女は問う。


「ええ、決めたもの。男に二言はないわ」


「そう……。男じゃないけど」


「うるさいわね。そこは無視しときなさい」


 彼女からの指摘を適当に流し、“彼ら”にも言葉を投げかける。


「悪いわね急な出発で。この社はあなたたちに任せるわね」


『きゅい!』『きゅきゅ!』『きゅいきゅい!』


 足元に集まった小さな眷属。その小さな身体で力いっぱい返事をしてくれる。実に可愛らしい存在である。


「少し長いお出かけになるけど……。必ず帰って来るから」


『きゅきゅい!!』


 頼もしい返事を聞き、満足気に俺は彼らから背を向ける。




「いってらっしゃい。キュウちゃん」




 少し逡巡し引き戸を開ける。そして、もう一度振り返った。




「ええ。――――――いってきます」




 寂しそうな笑顔を浮かべた彼女に……俺はそう返した。






 ――――捨てられずに残っていた想いはその優柔不断な足をどうにか動かした。


 10年の時を経て、彼女はその一歩を踏み出す。忘れられない過去の妄執。その先にある未来には何が待っているのか。不安を押し殺し、彼女は愚直に前を向く。







 ………………………………


 ………………


 …………


 ……




 静かになった玄関で一人立ち尽くす。


 硝子戸から光が差し込みそこは明るいはずだが、まるで暗くなったかのように空気が重たい。


 足元にいた小さな眷属たちは既に姿を消していた。主人がここの維持を任せてきたのだ。やることなど腐る程ある。



「これは分の悪い賭け。この行く末を見守っても……決して良いものになるかは分からない。それでも、私は――――」



 彼女は目を細め、独り呟く。



「この世に完璧なものなんてないんだ……ないんだよ。貴女だって分かっているはずでしょ――――








 ――――――――――――『迷える狐』終。





 

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