第3章 時間の理論 形成と分解の手順
ドン・シンドルフォは続けた。 「暖炉で沸騰するスープの湯気が鍋から煙突を上る過程で蒸気に変質する現象は、誰もが見たことがありましょう。
まず湯気は空気に冷まされ水滴になります。水滴が底に落ちれば火は消えましょうが、凝縮した結露が火から大きく離れて固まると煤に変化します。
このように、鍋が何年にもわたって沸騰し続けていれば、やがてスープの中や周囲には、囲炉裏の上に形成されるものと同じように、蒸気の堆積物の膜や地殻が形成され、時間の経過とともに最終的には石化してしまうのです。
したがって、この原則を私たちのものごとに適用してみましょう。
この帽子を大地、ガーゼを高温のガスに見立てます。
ガーゼは上昇して凝縮しますが、ダンディの腰を縛るガードルや、イスラム教徒の頭を包むターバンのように、回転して周囲を取り囲みます。
そしてここで、回転から生じる地球に沈降した最初の固体の膜が惑星の火成岩の塊を隠したように、最初のガーゼの層が帽子の絹を隠しています。
今、ガーゼは、隆起と裂け目で一杯になっています。
ガーゼは何を表しているのでしょうか?山と平原ではありません。時間の総体です。
その時間はどこで生み出されたのでしょうか?大気圏の内部です。
ヒマラヤやプリンシペ・ピオの丘、ジョサファトの谷、アンドラ・ラ・ヴェッラなどが雲の上から降ってきたということでしょうか?そう言えましょう。
どうしてそうなったか。あまりに巨大な勢力のハリケーンは、融解した物質を地球の表面の一定の箇所に向かって押し上げ、そこでこれらの物質は、凝集して蓄積され、セモリナの更地の上で風が吹いた時に積み重なる均一な隆起さながらの突起を形成しました。
一方では、果てしなく続く稲妻と嵐が地殻に溝を開けたり、今日の岩礁となった水路に流れる溶岩を押し込んだりしました。
最後に、集中豪雨がそれをすべて冷却して固化させ、「原始の地面」を生じさせたのです。私たちの台座として機能する(最下層まで数えて)80kmの近くの最初の固体層です。
このことについて、私に異議を唱える方も何人かはおりましょう。
私はこうした大気の変動について何も確かめようがありませんが、本質的にこの変動がもたらしたもの自体は、時間という概念をもっておりません。
確かにこの世界は大気の変動がもたらしたものです。しかし動物や鉱物や野菜が、雷やハリケーンや雨そのものによる産物であることを認める理由にはならないと思われます。
時間とは何でしょうか?今の段階ではものごとの動きであるとお答えしましょう。静止の中には「前」も「後」もないからです。
地球に動きを与えたのは何でしょうか?放射線、火山の爆発、そして最終的には圧力の蓄積と高温による蒸気の噴出です。
火山・圧力・ガスの蒸気は何をもたらしたのでしょうか?今日の地球を構成するすべてのものです。
その証拠に、もし地球が動いていなければ、蒸気は宇宙空間に散逸し、蒸発によってすべての物質を運び去ってしまい、私たちが住める惑星として存在しないのです。
このように、大気は惑星の呼吸を常に受け続け、変化させることで発生する動きによって宇宙に変化の場をもたらすことで、ここに時間が形成されるのです。
雨の中、一瞬の稲光の中、ハリケーンの強風の中に見られるものは、豪雨の水滴だけではないのです。
心を開き、世界創造起源(※1)の日より今に至るまで終わりなき未来を提供する創造主を崇拝しましょう。神の行使された力によってあなたがたは今ここに生きています。驚くべきことです。
雲から湧いて出たものからやがてコンスタンチノープルのアヤソフィアの奇跡的な柱と、永遠の都ローマの教皇シクスト5世のオベリスクが作られ、雨は長石の白い結晶を埋め込んだエジプトの古代の赤い斑岩をもたらしました。
神の工房からは、クレオパトラの針とポンペイの柱が降ってきました。
ダビデとバテシェバの息子がエホバの神殿を塗るように命じた朱――それはラ・マンチャのアルマデンに降り注いだ硫化水銀でなければ、何が生み出したのでしょうか?
闇雲に流れる豊富な鉱物は、モルタルや建築用の石を採掘するための石灰岩や岩石をもたらすことによって、あなたはご自身の住家を手に入れることができました。
レンガの原料となる泥灰土を産出したのと同じ豪雨から、長石を混入したカオリンが産出され、日常的に使用されている食器や、リビングルームを彩る高級陶磁器が作られています。
大気の活動によって炭素層の植生が石炭に変化していなければ、モン・セニスとセント・ゴッタルド峠を横断する鉄道や蒸気機関車の存在はありえませんでした。
ゴッタルド峠を横断する鉄道や、スウェーデンのベガ号のような蒸気船は、すでにベーリング海峡を通る北東航路を開いています。
すべての雨粒の中に機関車や君宅型の帆船の原型があり、すべての嵐の中に列車や艦隊の原型があることは否定できません。
そして大気中にふりそそぐ雨の洪水から煙突や街灯、女性の抱擁をも生みだしました。なぜか。瀝青炭から炭化水素を抽出する際に発生するガスの運動による残留物が石炭を生み出す現象は、火のついた暖炉で家族が団らんしたり、石炭が結晶化してできるダイヤモンドが夫婦の絆をかたちづくる役割を果たしたりもするからです。
コンパスや電気電信は、稲妻を発想の源としています。温度の変化を記録したり、鉱石から金や銀を取り出すのに役立つ元素水銀がなければ、今日の人類はなかったでしょう。
しかし、それだけではありません。
大気現象を構成する要素の中で、神は中生代の貝類、亀、鳥、爬虫類、哺乳類のもとを地球に割り当てられました。第三紀に石炭を含む植生が炭酸を吸収することによって浄化された空気は、生物界にとってとても通気性がよく、雨粒とともに地上に落下する生物が発達し、交配し、マストドン、カバ、サイ、馬、雄牛、水牛、鹿、ラクダ、トラ、ライオンへと成長しました。
ハミルトンの「クウォーターニオン」では、マンモス、オーロックス、ウルス、休眠中の鹿、アイリッシュヘラジカ、そして巨大なナマケモノが紹介されましたが、結局のところこれは、天地創造の6日間にわたって一つの目的のために慎重に準備された、天より授かった資質の一部であり、そこからヒトも形作られ、神聖なる祝福が創造の王を人間と定められたのです。
皆さん、ガーゼの同心円状の包みは、自然界の地質学的な時代を表しています。これらの画期的な出来事は世界を読み解く数式と考えるべきです。
それらは自然の大気のプロセスの総和ではないのでしょうか?
であれば、そのプロセスを通して我々は時代の歩みを止められるのではないだろうか?
できるのです。全ての地層が何世紀にもわたる積み重ねならば、雨粒も光のきらめきも吹きすさぶ風も一秒ごとのひとかけらであることは明白であり、そして時間は宇宙を循環しています。皆さんに再び断言しましょう、時間とは大気なのです」
あっけにとられて鳴りをひそめていた聴衆の熱気は、休憩に入るや噴出し、拍手と歓声の嵐が会場や廊下に響き渡り、その場にいただけの人々も拍手をした。
出席者の一人が、追い出されかねないほどの勢いで席から立ち上がって、科学者の顔を見て言った。「疑問を述べてもよろしいでしょうか?」
「いかなる疑問にもお答えしましょう」とドン・シンドルフォは答えた。
「もしあなたが時間を密帯と考え、その極での任意の球状の平坦化を考慮するならば、このデモで帽子の上部とつばにガーゼがまかれていない状態だったように、地球の南北極にガーゼ(動き)はないものであるとの推定で正しいのでしょうか?」
「間違いありません――このことは私の定説を裏付けます。
大気は時間であり、時間は何かが起こる事によって形成されることを考えると、まだ誰も南北極にたどり着いていないのであれば、そこでは何も起こっていないことになります。活動のないところには大気に包まれている必要がないので、この大気の倹約は、自然が誂えたスーツの腕の穴に過ぎません」
科学者の愉快な反論は大きな笑いに包まれ、彼は目をつぶることなく続けた。
「皆さん、物体の構成要素が判明しているときにそれを分解することほど単純なことはありません。
もし私がこの帽子の包帯が円筒の周りに包まれたガーゼの同心円状の層で構成されていることを知っているならば、巻いたのとは反対の方向にガーゼを解くことによって、私は間違いなく最下層に到着し、帽子の極地を明らかにするでしょう。
これを宇宙に当てはめてみると、地層を突き進むことで、原初のカオスに到達することを意味しています。しかし、包帯ではなく時間そのものの場合どのようにして解かれるのでしょうか?
腑に落ちるよう説明するためには、少々ばかり私のこの装置をご紹介する必要があります。
このノアの箱舟の一種である「時間遡行機・アナクロノペテー(El Anacronopete)」の名前は、ギリシャ語の3つの言葉に由来しています。アナ(Ana)は「逆行」、クロノス(cronos)は「時間」、ペテス(petes)は「飛ぶ者」という意味をもち、時間を逆行して飛ぶという使命をおびているのです。
この装置により、19世紀のパリで午前7時に朝食を食べ、ロシアで正午にペテロ大帝と昼食をとり、(その日にお金が用意できれば)マドリードで午後5時にセルバンテスと夕食をとり、一晩の航行を経て、夜明けにコロンブスとともにアメリカ大陸の浜辺に初上陸することができるのです。
この装置の駆動力は電気であり、現代科学で電気はいまもって導電体のない移動には用いることは不可能とされてきました。しかしながら、近しいことは行われており、その力と速度をコントロールすることに算段をつけることができました。
つまり、二つの同じ仕組みの絞り弁を操作することで航行可能にします。絞り弁が一つあれば1秒で2回地球を一周できますし、残りの一つでこの荷車を減速、上昇、下降、静止させることができます。
推進手段があれば、あとの他のすべては、特にジュール・ヴェルヌの冒険小説を記憶している多くの人々にとっては、取るに足らない従事者の機械的な手続きに還元されます。
ヴェルヌの小説と私の理論の真面目な科学的性質と比較するつもりはありませんが、物理的・自然的研究に基づいた仮説をカプセル化している娯楽作品は、調整器、補正器、温度計、気圧計、精密時計、高出力双眼鏡、ライゼーとレグノーの呼吸可能な空気を作り出す装置で使用された炭酸カリウムの容器、他多数の基本的な取るに足らないものごとを些細に説明する必要から私を解放してくれます。
したがって、私は大気の中心部に身を投じようと思います。大気はまさに分解される物体であり、私が「時間」と呼び続けるものです。
さて、時間は地球の自転とは逆方向に地球の周りを回っているので、アナクロノペテーは時間を解きほぐすために、地球が西から東へと自転する方向とは正反対に移動しなければなりません。
世界が日進月歩を行うための軸の回転には1解につき24時間かかりますが、私の装置は、これよりも175,200倍速い速度で移動します。その結果、地球における1日分の旅において、480年分過去へと航行することを可能としたのです。
いずれにせよ、まず思い浮かぶのは、どんな速度と高度で移動しようとも実質的に大気が変化していなければ、アナクロノペテーは惑星を周回する月と同じように地球の周りを周回しているだけでしょう。しかし軌道上では大気の日々の作用を乱し、止まった所で昨日になってしまいます。
この現象を検証してみましょう。
ナントのイワシやカラホラの唐辛子を保存するためには、ブリキ缶から空気を抜く必要があるというのは一般常識といわれていますが、それは違います。
空気は窒素と酸素の化合物に過ぎませんが、大気は窒素80%に対して酸素20%の割合で構成されているのに加え、水蒸気と炭酸が含まれております。真空を形成するときには決して残されない元素です。
しかし、科学的なことは気にせず、常識的に話してみましょう。
世界が空気を抜いていない赤唐辛子の缶詰であると想像してみてください。
この予防措置なしで缶詰を密封すれば何が起こるのでしょうか?
時間が影響力を発揮し、以下の仕事を実行し始めます。
最初に、いくつかの分子が容器の側面に付着して、凝集して固まり、年月の経過とともに石化し、原始的な岩石の鉱物の起源となる物質が生成され、そしてその物質には、原始的な植物に他ならないカスのようなものが付着していることに気づきます。そして最後に、水蒸気の中の微細な生物が生命を誕生させ、蛆が繁殖し発達していきます。
まだ大気が時間であることを疑うことができましょうか?
ならば、逆に考えてみましょう。
空気を完全に抜いてから100年後に缶を開けたとしましょう。
どうなるでしょう?まるで時間が過ぎ去ったかのように、唐辛子は完全にそのままの状態です。
つまり、本来破壊されたり変成されたりしたはずの唐辛子は、大気の活動がなかったからこそ無傷のままだったのです。
100年後に私たちが食べているものは、100年前の植物です。
それゆえ、我々は100年前に時間を遡ったことになるのです。極めて明快です。
仮に空気を抜いていなかったとして、腐敗が始まった瞬間に缶詰を開けたとします。
スプーンで唐辛子に付着したカビを取り除けば、空気が敷き詰めた腐敗の下に、まだ新鮮そうな赤みがかった色が出てきましょう。
これが時間の理論です。溶融したコアがまだ未発達であるにもかかわらず、カビの膜でおおわれていることに気づくのです。時間遡行機(アナクロノペテー)がその角の先端に取り付けられた4本の大きな「スプーン」と呼ばれる空圧装置を用いて、その中を掘り進めようとしています。
同心円状の層で私たちの地球を囲むわずか20リーグのガス状物質を取り除くだけでなく、それらを除去した上で、真空の中を航行します。
これによって、大気の摩擦による船の炎上を防ぐことができるのです。
もう一度、例え話を考えましょう。
浜辺が何百万もの砂粒の集まりに過ぎないのと同じように、大気は知覚できない原子の集合体に過ぎないのです。
あるいは、もっと鮮やかな例えを考えてみましょう。大気は、革命の日に人々で埋め尽くされた広大な広場です。
丸腰の無謀な人間が、群衆の流れに逆らって端から端まで無理に走ろうとしたら、彼はあちらこちらに押され、いたるところで抵抗に直面し、アナクロノペテーが最終的に大気の摩擦と撹拌によって燃えるような結末を迎えるのと同じように、最終的には人の波に引っ張られることになります。
では、(この例では科学に代表される)賢明な統治者は何をするのでしょうか?
彼は個人を運ぶために馬(電気を応用したアナクロノペテー)を提供し、広場を騎兵隊の分遣隊(4つの空気圧装置)で囲み、走る準備をするために、彼は群衆を隣接した通りに分散させるように命令します。結果は言うまでもありません。
原子が騎兵の前に散らばっており、残った分子は他の場所へ移動または分散することによって形成された真空を埋めようとします。
しかし騎馬隊員が反乱軍の後衛を掃討し、前列にいた者が槍の手が届かないところへ逃げていくと、群衆は追い払われ、すべての敵から解放された男はその瞬間、中隊の槍によって開けられた真空の中を楽しそうに駆け抜けていきます」
錯乱した客席は、熱狂的に割れんばかりに拍手する寸前だったが、再び立ち上がった質問者がスピーカーに向かって叫んだのを見て、動きを止めた。
「別の疑念を申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」と科学者は言った。
「この反論の余地のない方法でタイムトラベルをするならば、年月が経てば経つほど遡行者は若返るのではないでしょうか?」
「その通りです」
性別を問わず歓喜の声があふれた。
「その力は遡行者を無に返してしまうのでしょうか?」
「科学で起こりえるすべてを予見しました、そうはなりません」
「では、閣下はどのようにしてこのような効果を無効化するのですか?」
「非常に簡単に言えば、私自身が設計した一連の電気ショックによって、自分自身を不変にするのです。
自分の体を過去に戻すことというのは問題ではありません。
新鮮なイワシを未来のために保存するのと同じくらい簡単です。昨日得たことが明日の自分のものになることを保証します。
単に動物の生命に適用される食品の缶詰の手順で、その効果を逆にしているだけです。
これで講義を終了させてください。今夜はフィリップ2世との約束があります、マドリガルの菓子職人がポルトガルの王様であったか否か(※2)をうかがうためです。セバスチャン1世の失踪は過去の謎の一つではなくなります」
歓声の洪水が部屋に降り注いだ。
男性の三角帽子や帽子が宙に舞い上がり、演説者の壇上には女性たちからの花束に溢れ、オルガン奏者はこの祝賀会のために特別に作曲された行進曲を演奏していたが、自由奔放な聴衆の騒動の中では、その演奏もほとんど聞こえなかった。
最後に、科学委員会に囲まれ、多くの人を従えて、なんとかドアにたどり着いた私たち(スペイン人)の同胞は、手すりを渡り、トロカデロの丘を下り、シャン・ド・マルスの遊歩道に堂々と置かれている巨大な塊・時間遡行機(アナクロノペテー)へと向かった。
(※1)原文では「7000年前」とあるが、旧約聖書の創世記にある天地創造の日/ビザンティン歴の始まりを指していると考えられる。伝承上のできごととして、紀元前5509年9月1日は世界が創造された日と東ローマ帝国で信じられていた日であり、正教会の一部では今も世界創造起源の暦が用いられている。
(※2)ポルトガル王・セバスチャン1世が1578年8月の戦いで失踪した後、マドリガルの菓子職人、ガブリエル・デ・エスピノーサが、「自分が失踪したセバスチャン1世だ」と主張した話。彼は絞首刑に処され、その首と四肢をバラバラにされた。
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