走馬灯からの景色

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走馬灯からの景色


 絵画によくある作者が死んでから作品の価値が発掘されるように、彼女は死んでから殺人鬼としての頭角を現した。そのことを僕だけが知っている。

様々な顔を持っていた彼女は、様々な意味で周囲の人間を魅了し、時には罪悪感を植え付け、18年のという短い人生で『死』という布石を打ち続けることに自分の人生を費やした。

 そんな彼女の人生が幸せだったかどうかは彼女自身にしか分からない。だが、少なくとも彼女が死ぬ前日、笑顔を作っていたことは確かだ。

今思えば、僕たちの関係は幼馴染と言ってもよかったかもしれない。彼女との数少ない思い出が蘇る。

「昨日、お母さんが三匹の子豚を読んでくれたんだ。狼さんって死んじゃうんだね」そういってから、彼女は縋るような目で僕を見てくる。「ねえ、死んだらどうなっちゃうの」部屋の隅で膝を抱えて震えている彼女に当時の僕はかける言葉が見つからなかった。

狼狽した末に大丈夫、という意味を込めて彼女の手を握った。彼女は驚いたように俺を見てから、安堵したかのような表情する。当時の僕はその表情に安心して、目を逸らしながら彼女が作った物悲しげに微笑んだ表情を見逃した。

おそらくこの時、僕が彼女に恋をしていると自覚した時だ。同時に、彼女が初めて『死』について考えた時なのだろう。たぶん、小学2年生の頃だったと思う。

 

 それを機に、彼女はあからさまに俺から距離を取るようになった。僕が好意を寄せていることを気づいたのだろう。孤立していく僕とは対照的に、彼女の周囲には人が集まるようになった。高嶺の花になった彼女を、僕は遠目から見つめることしかできなかった。

 博愛主義を体現したかのような彼女は中学に入ってから、まるで使命でも受けているかのように周囲の人間と分け隔てなく接していた。やがて、彼女は学校の憧れの的のような存在になり彼女の人柄の良さに心酔し、崇拝するかのような生徒すら現れた。

 事態が変わったのは、校舎の裏で水浸しになっている彼女を見つけたからだった。見上げるとバケツを持った女子生徒が三階にある窓から笑いあっていた。犯人はあいつらだろう。彼女らは俺の姿を見ると、逃げるように去っていった。先生に言われるとでも思ったのだろう。もちろん、僕もそのつもりでいた。

 僕は駆け寄って、彼女に来ていたブレザーをかぶすように着させようとした。

すると、彼女はまるで親の仇を見るような目つきで僕のことを睨んだ。

「なんで、キミはそうやって私の邪魔をするの」

 彼女は僕の手を振り払って、速足で遠ざかっていく。

「ちょっと待ってよ。僕は君を助けたいだけなんだ」

 彼女は振り返って、仲良くなりたいという本心を隠した偽善に包まれた言葉を吐いた僕のことを冷め切った目で見つめてくる。

「今は、キミのやさしさがとても迷惑なの」

それが、数年振りに交わした幼馴染との会話だった。

 それから、彼女は自分がいじめられていることを周囲の人間に隠し続けた。周囲が気づけなかったのは、いじめが陰湿で気づきにくかったわけではない。彼女が徹底していじめられていることを隠し続けたからだ。あの学校で、彼女に対するいじめを認知していたのは、加害者側の人間達を除けば、僕だけだっただろう。

こうして、彼女を取り巻く関係は、彼女を奉り上げる人間と彼女に嫉妬に似た感情を向けて嫌悪する人間の二つに分かれた。中学二年の頃だったと思う。


 彼女と最後に会話をしたのは彼女が死ぬ前日だった。彼女は夜の公園に僕を呼び出した。

寂れた公園で、必要最低限の電灯しかないが、それがステージ上に当たるスポットライトのように、彼女を照らしていた。

「キミとは、もう随分と長い期間友達をやっているね」

 まるで、今まで嫌悪に似た感情向けていたのが嘘だと思えるほどのほど柔らかい口調だった。

「友達っていうよりかは、知り合いに近かった気もするけど」

 彼女は困った笑みを浮かべながら、頬を掻く。

「少なくとも、私は友達だと思ってたよ」

 弱弱しく呟いた彼女の言葉を夜の冷たい風が攫っていって、二人の間に沈黙が残る。

 寒さを紛らわせるように、彼女が口火を切った。

「ねえ、小さい頃2人で赤ずきんちゃんの話しをした事、憶えてる?」

「憶えているよ。君は狼が死ぬことに酷く怯えていたね」

「あの時は私も小さかったからなぁ。あと、一つキミに質問したよね」

「死んだらどうなってしまうのか。でしょ」

 彼女は頷いた。

「今、同じことをキミに訊いたら、なんて答えるの?」

 彼女はあの時とは違って震えてはいなくて、真っ直ぐに僕の目を捉えていた。

試すかのような彼女の眼差しから、逃げるように目を逸らしてぼんやりと見えるブランコを見た。

「どうなってしまうかは分からないよ。天国や地獄なんてものはなくてずっと、眠っているだけみたいな真っ暗な世界かもしれない。だから、悔いがないように死ぬまで生きるようとは思ってるよ」

 見ると彼女は僕の目ではなく、じっと僕の手を見つめていた。

今思えば、この時の答えは、あの頃のように手を握ってあげることだったのかもしれない。

「私は怖いや。死ぬのがとても怖い」

「でも、死が訪れるのは当分先のことでしょ」

 彼女は首を横に振った。

「そんなことないよ。大抵の人は自分がいつ死ぬか気づけない。一歩足を進めただけで、もの前を走る車に轢かれてしまうのに」

「そんな間違いが起こらないようにできてる」

 この時の僕は少し感情的になってしまったような気がした。彼女の言っていることを肯定したくなかったからだ。もっと言ってしまえば、認めてしまったら彼女がいなくなってしまう気がした。

「死はいつも自分のすぐ隣にいるんだよ」彼女は寂し気に、囁くように言う。

「でも、だめだなぁ。こうして最後にキミに会ってしまった」彼女は立ち上がって、出口に向かって歩き出す。

離れていく彼女に声をかけようとするが、制するように彼女が振り向いた。

笑顔とも、悲しみともいえない表情をしている。

彼女は最後に一つだけ言わせてと前置きをした。

「私はキミのことが大嫌いだよ」

 これが、彼女と最後の会話になった。高校二年の時だ。


 次の日の朝、何の変哲もない水曜日。

彼女は駅のホームから迫る電車に向かって飛び降りた。

遺書のようなものは見つからなかったらしく、状況から鑑みて死因は自殺だという。

その次の日、彼女の両親が後を追うように自殺をした。

彼女を心の底から愛していた両親は彼女がいなくなったことに耐え切れなかったようだ。

さらに次の日、彼女といつも一緒にいた女の子の親友が死んだ。

以降、流れるように自殺者が多発した。自殺した人間はいずれも彼女と関係がある人間で、彼女に好意を寄せいていた人間など、様々な人後を追うように自殺をしていった。

驚いたのは、彼女をいじめていた人間が自殺したことだ。彼女らは、自分たちの陰湿ないじめが彼女の自殺の原因だと勘違いをしたようだ。彼女を追って自殺していく人間を見るたびに襲い掛かる罪悪感に耐え切れなくなり、三人揃って校舎から飛び降りた。

 僕はそこでやっと気づき、確信した。

 今、彼らを殺しているのは紛れもない彼女なのだということに。

 彼女は明確な意思、殺意を持って彼らを自殺に追い込んでいる。

 人一倍、死を恐れていた彼女が、みんなで横断歩道を渡ることを促すように。

 今になって思う。死ぬことが避けられないと気づいたあの瞬間から、布石を打ち続けていたのだとしたら。

 なぜ、彼女は僕にだけ冷たかったのか。


 なぜ、僕にだけ布石を打ってくれなかったのか。


 僕は彼女になんて声をかければよかったのだろうか。


 自分の人生を反芻させるような走馬灯は時に、気づけなかった真実を教えてくれる。

 彼女の真意に気付いた瞬間、視界が開け、時間が動き出す。

 迫りくる光源が、僕の視界を照らし、目を焼く。

 その光は世界の美しさそのものだと錯覚するほどに眩しく、夢のような世界にいた僕を現実に引き戻した。

 死にたくないと思った。

 走馬灯からの景色は僕の全てを美化してくれた。

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