第2話 王子の来世はレッサーゴブリンよ

「勇者って、俺が?」


 桃色の髪と瞳が印象的な、黒いドレス姿のリリスは、セクシーにほほ笑んだ。


「ええそうよ。アナタ、名前は?」

「サトリです」

「敬語なんていいわ。これからワタシとアナタの仲になるんだもの、未来の勇者君」


 白くて細い指先が、ちょんと俺の鼻の頭に触れた。


 それだけで、俺は全身に電流が流れたように心臓が跳ね上がった。


 鼻の奥には甘い香りが広がって、それだけで腰砕けになってしまいそうだ。


 なのに、せっかくの気分を台無しにするような声が飛び込んできた。


「待て! その奴隷が勇者とはどういうことだ!?」


 喋ったのは、さっきまでは冷たい表情をしていたクレイズ王だった。

リリスの超然とした視線が、するりと王様へ注がれた。


「だって、【勇者誕生】の儀式なのだから、当然でしょう?」

「勇者誕生!? 生贄を使った勇者召喚の儀式ではないのか!?」


 王様だけでなく、みんなの顔が驚きに歪んだ。


「えぇ、違うわよ。どうも、千年の間に歪んで伝わったらしいわね」


 悪びれもしないリリスに、王様はわなわなと震えながら、玉座から立ち上がった。


「ふざけるな! そんな奴隷の小僧が勇者だと!? そういうことならば、今からでも遅くはない! 我が息子、ヴェスナーを勇者にしろ!」

「そうだ! 奴隷なんかに勇者が務まるか!」


 王様の隣では、顔立ちの綺麗な金髪の青年が、こめかみに青筋を立てて怒鳴っていた。


「アナタが勇者に?」

「そうだ。オレはクレイズ王の一人息子、ヴェスター王太子(次期国王の王子の意)だ。勇者の相棒となるべく、今日まで一流の師匠のもと、剣の英才再教育を受け、19歳にして免許皆伝を会得した。巷じゃ【剣の貴公子】と謡われている。王族で教養溢れ、将来は民を導くオレこそ、勇者に相応しい!」


 王子の発言に、みんな笑顔で、大きく頷き始めた。


 中には、拍手を送る人さえいた。


 一方で、リリスの視線は酷く冷ややかだった。


「無理ね。アナタの魂は汚れている。今、死ねば来世はレッサーゴブリン確定ね。ちなみに隣のおじさんはスカトロワームよ」

「はぁっっん!?」

「きさまッッッ!!」


 王子と王様の顔が真っ赤に固まった。


 レッサーゴブリンは、小さく醜い魔獣、ゴブリンの中でも、さらに小さくて知能が低くて醜い種類だ。


 スカトロワームは、森で動物の糞が主食のミミズだったかな?


「やれやれ、その年でこれだけ魂を汚せるなんて、ある意味大物だわ」


 リリスが肩をすくめて呆れると、王様と王子を中心に、謁見の間が騒がしくなる。


 みんなで思いつく限りの悪口を吐き捨てて、リリスを罵るけれど、本人はどこ吹く風だ。


「汚い口を開かないでくれる? 救う価値もない害物が」


 無感動な一言と同時に指を鳴らすと、声が消えた。


 みんなの口が閉じて開かない。


 そのことにみんな慌てふためいて、手で自分の口を開けようと必死だ。


 体格のいい貴族の一人が、腰から剣を抜いて走ってきた。


 怒りに燃えた目は、『この無礼者が、殺してくれる』とか言っていそうに感じた。


「わぁっ!」


 俺は驚いて、逃げようとするも、縛られているから、わずかにのけぞっただけだった。


「死になさい」


 床と一緒に貴族が消えた。

 何が起こったのかわからない。


 まるで、暗闇で蝋燭の明かりが消えるみたいに、貴族の人は消えてしまった。


 あえて言うなら、下に落ちたような……。


「超重力で床もろとも潰したわ。今頃、城の最下層で血の染みになって、魂はあの世ね。さっきの男の来世は……生物の大腸に寄生する寄生虫の一種、ギョウ虫ね」


 桃色の髪をかきあげながら、リリスが歌うように言うと、みんなの顔は青ざめて、喋ろうともしなくなる。


「何を驚いているの? え? ふんふん、人殺しの悪魔が勇者の守護精霊の筈がない? ですって、ねぇみんな?」


 髪と同じく、桃色の瞳が他の美少女たちに向けられると、リータたちは場違いなほどきれいにほほ笑んだ。


 リリスは、黒いドレスのスカートを翻すようにしてくるりと回って、謁見の間にいるすべての人たちへと語り掛けた。


「このケダモノ共は何を勘違いしているのかしら? 勇者とは、神々が作り出した万物の霊長たる人類文明の幸福と秩序、そして発展のために力を振るう者のこと。人々を不幸に沈めて秩序を乱し発展を妨げる失敗作の害獣は駆除して当然じゃない?」


 最初は楽し気に語っていたリリスの声音は、徐々に静かに、重く、そして冷たくなっていく。


 まるで、氷の手で心臓を掴まれているような思いだった。


「極論、心優しい人間が男女一組しかいなければ、勇者はその二人以外の全人類を滅ぼして、その二人の子孫を新人類とするわ。わかる?」


 一秒後。


「性根の腐った汚れ人でも勇者様なら救ってくれるなんて幻想なのよ」


 リリスの瞳から光が消えて、顔には死神のような笑みが広がった。


「助けて欲しければ、死に物狂いで善行に励みなさい。それが嫌で助かりたければ、せいぜい自分の身を守る努力をするのね」


 リリスの声は、最後の最後まで真剣そのものだった。


 彼女の話に嘘がないことを、俺は魂で感じ取った。


「さて、こんな害物共に使う時間が惜しいわ。じゃあ、本題に入るわね」


 瞳に光が戻って、リリスは甘い笑顔を作った。


 こちらも、嘘ではない、自然な笑顔だった。


 一体、どっちが本当のリリスなんだろう。いや、きっと、どっちも本物だろう。


 誰だって、好きな人と嫌いな人とでは、対応が違って当然だ。


「状況から判断するに、アナタは望まずにこの儀式を受けたようね。そこで質問なのだけれど、サトリ、アナタ、勇者になる気はあるかしら?」


 俺の手足を縛る縄を、指で簡単に千切りながら、リリスさんは前かがみになって尋ねてきた。


 そうすると、今更ながら、リリスの胸の大きさに気が付いた。

 大きい。

 リータよりも明らかに。


 これが、騎士たちが噂していた、爆乳っていうものなのか。


 騎士たちの話だと、爆乳を拝めたら一週間幸せ、触れたら一年幸せ、結婚できたら、一生幸せで生涯に一片の悔いも残らないらしい。


 それほどに、凄いものなのか。ちょっと、わかるけど。


「あらあら、本当にエッチな勇者さんね。ワタシのおっぱい気になる?」

「ごめ、ごめんなさい!」

「うふふ、でもいいわ。英雄色を好む。勇者はそれぐらいじゃないと。でも、そういうことなら勇者になることをオススメするわ。勇者になれば世界中の女の子たちからモテモテだもの。おっぱいには事欠かないわよ?」

「いや、そういうのいいですから!」


 俺は、逃げるように何も考えず、即答した。


「あら残念。なら、改めて質問するわ。アナタ、勇者になってみない? 勇者になれば災害獣との辛くて苦しい戦いがある代わり、絶大な力を手に入れられるわよ。その力があれば、どんな願いでも叶えられる。地位も名誉もお金も、むしろ、一国の王になることも夢じゃないわ」


 最後の言葉で、王様の顔色が変わる。


 青ざめていた顔は憎らし気に歪んで、わなわなと震えている。


 でも、そんなこととは関係なく、俺は、勇者になって王様になる自分を想像して、気分が落ち込んだ。


「……いや、いいよ。俺は、そういうの」

「? 災害獣との戦いなら、ワタシたちが全力でサポートするし、いい話だと思うのだけれど」


 リリスはきょとんとまばたきをして、小首をかしげた。

 リリスはセクシーな美女だけど、そうした仕草をすると、とたんに可愛らしくなる。


 彼女の表情に魅了されながら、俺は言葉を返した。


「そうじゃないんだ。俺は、家族が欲しいんだ」

「家族?」

「うん。俺は両親がいなくて、物心ついたときから奴隷として働いていたから。だから憧れていたんだ。家族と過ごす温かい家庭ってやつに」


 自分の記憶の、できるだけ深い部分をさらっても、親の顔は思い出せない。


 そのことが悲しく、つい声のトーンが落ちるけれど、夢見た理想の家族像を思い浮かべると、自然、視線が持ち上がっていく。


「なんでも話せて、話したくなって、朝起きたら優しく笑ってくれて、寝る時も一緒に過ごして、心を許せる、そんな人たちが欲しいんだ。でも、勇者になってからできる人間関係って、勇者の力に群がってくる人たちだよな?」


 リリスは感心したように指で輪郭をなぞった。


「この子、賢い」


 囁き声にしても小さすぎる、無意識に漏れた言葉がそれだった。


「賢いって、奴隷の俺が? 俺、字も読めないんだけど?」

「いいえ、それは違うわ。うん、やっぱりアナタ、凄く勇者向きだわ」

「じゃあさ、ボクらが家族になるよ♪」


 左半身が、温かくて、やわらかい感触に包まれた。


 ――なっ!?


 炎の精霊リータが、はじけるような笑顔で、俺に抱き着いている。


 深すぎる谷間に俺の左肩は飲み込まれて、白く細い腕は俺の首と頭に巻き付いて、ミルク色の可愛い顔がキスをできる距離で囁いてくる。


「キミは精霊のボクに畏怖でも憧憬でも崇拝でもなく、純粋に見惚れてくれた。しかも」


 リータは、悪い顔をしながら、むにゅりと片乳を持ち上げた。


 そんなことをすると、ブラジャーからおっぱいがこぼれそうになって、俺のまぶたは限界まで上がって固まってしまう。


 それから、すぐに顔を背けた。


「か、隠せよっ」

「ふふ、えっちでウブなんてかわいい♪ すごぉくボク好みだよ。家族が欲しいならボクが結婚してあげる。子供は女の子がいいなぁ。それで娘に嫌われてキミがショックを受けるたびにベッドの中で慰めてあげるんだぁ」


 明るく将来設計を語るリータは、可愛かった。俺が娘に嫌われることが前提になっているのは気になるけど。


「それならワタシも立候補するわ。ねぇどうサトリ? アナタを勇者にするワタシたちなら、地位や名声に群がる心配はないわよ?」

「でも、それって俺を勇者にするために言っているんじゃ」

「キミ、今すっごくボクに失礼なこと言っている自覚ある?」


 左半身に抱き着くリータが、少し拗ねた顔をした。どんな表情をしても可愛いのは、真の美少女の証か。


「でもそうだよねぇ、水の精霊や風の精霊、土の精霊や癒しの精霊ならともかく、ボクみたいな熱くて痛くて怖い炎の精霊なんて信じてもらえないよね……勇者の資格がある優しくて清らかな魂の持ち主ならボクを愛してくれるかも、なんて甘い幻想だよねぇ……」


 リータがしょんぼりと肩を落とすと、胸に罪悪感が湧いてきて、いたたまれない気持ちになってきた。


「そ、そんなことないぞ! リータは凄い可愛くて明るくて、リータみたいな子が家族になってくれたら、きっと毎日楽しいと思うし、俺と家族になってくれ、いやなってください!」

「んふふ~、じゃあなってあげるね、ハニー♪」


 赤い髪をかきあげた顔は、満面の笑みだった。


 騙された。


 さりげない敗北感が、胸を通り抜けた。


 でも、あまり嫌じゃなかった。


「なら、これで決まりね。じゃあ早速、勇者の力の説明をしながら、手近な災害獣を狩りに行きましょうか。と、言いたいところだけど……」


 リリスの視線を追うと、王子が腰の剣を抜いていた。

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