6-2 望み通り、好きなだけ苦しんでもらうさ
たしかに男女の進展の一つの形だが、これは当事者となっている自分にとってあまりに痛い。落胆するというか、心の激痛に叫び声を上げてのたうち回りそうだ。
目の前の深津は視線が定まらない。この記憶がショックだったのか、期待したものだったのか、狩科には読み取れない。
机の上のスピーカから声が流れる。
「Aさん、二人がいた場所はどこで、何時頃ですか?」
試験官から質問されて深津は我に返った。視線が定まったのが狩科にも分かった。
「浜辺です。夕日が海と岸の境に沈んでいくので、南向きの海岸です。夕日が沈む時間帯ですから、季節を考えると、十八時をかなり過ぎています」
深津が答えるとしばらく間が空いた。
再び机の上のスピーカから声が流れる。
「Bさん、お二人が会っている時期はいつ頃ですか?」
狩科は虚を突かれた。これはMEC臨床試験だ。質問には答えなければいけない。落ち込んでいる場合ではない。
「七月の梅雨明け後でした」
「Aさん、合っていますか?」
「合っています」
二人が質問に答えると再び間が空いた。
机の上のスピーカは淡々と質問文を読み上げる。
「Aさん、二人の会話は、恋の会話でしたか? それと別れ話でしたか?」
深津は目の前の狩科から目を逸らして答える。
「別れ話でした」
「Bさん、合っていますか?」
「合っています」
二人が答えたあと、試験室を沈黙が支配する。狩科は深津をチラチラ見るが、深津は視線を右下方に落として狩科を見ようともしない。
机の上のスピーカから流れる声は完全に事務的で二人の重苦しさなど知らない。
「Aさん、二人は一緒に帰りましたか? 別々に帰りましたか?」
「別々に帰りました……」
「Bさん、二人が帰る順番はどうやって決めましたか?」
「じゃんけんで、負けた方があとまで残ることにしました……」
「Bさん、浜に残ったのはどちらでしたか?」
「千波……伊里弥でした……」
どうにか回答を振り絞ったところで、二人の脳裏に声が流れる。
「Memory Extended by Computerトランスレータ、ベースシステムとの接続を終了します…………ベースシステムとの接続を終了しました。これから脳との接続を終了します。以上を持ってシステムは終了します」
そして脳内が静かになる。
そのはずだった。
「思い出せない!」
深津が叫び声を上げた。
叫びたい気分だった狩科は、深津が先に叫んだことが信じられなかった。
でも目の前で深津は唇を震わせている。
これは大変なことになった。
「深津……Aさん、どうしましたか?」
狩科が呼びかけると深津は顔を上げて狩科を正面から見た。
「Bさん、私たちの記憶の中では、重大な話をしたはずですよね?」
深津が口にしたのは当たり前のこと。しかし、なにか幻を見たかのように深津はうろたえている。
狩科は深津にどうにかして平常心を取り戻して欲しい。あなたは見たものはたしかだと答えることに決めた。
「そうです。重大な話をしました。それは僕も見ました」
「でも、その会話を思い出せないじゃないですか!」
問われて狩科は返答できなかった。彼もMECとの接続が切れたら佐上優希と千波伊里弥の会話を思い出せなくなっていたからだ。
深津は錯乱気味に語る。
「佐上優希と千波伊里弥は重大な話をして、そのことを思い出して質問に答えたのに、もう一度なにを話したか確認しようとすると思い出せないんです。私も、あなたも、重大なな何かがあったはずなのに、それを思い出せなくなっているんです」
狩科には何もできなかった。声をかけられず、抱きしめて落ち着かせるほどの信頼も彼女との間になかった。
試験官が二人、扉を開けて入ってくる。女性の方が深津に歩み寄る。
「Aさん、この後で精神科医の面談がありますから、つらいことはそのときにお話ししましょうね」
深津はだまって試験官にMECを取り外されるところに従っている。狩科も黙って従うしかなかった。
深津が試験官に付き添われて試験室を後にする。それを狩科は後ろから見送る。彼はもう思い出せないのだが、奇しくも、浜辺で佐上優希を千波伊里弥が見送るのと同じ構図になった。
被験者の一人が錯乱の状態になったのを見て、男性試験官が狩科に声をかける。
「面接まで、付き添いましょうか?」
そのとき狩科は考えた。近くに人がいると、やりたいことができなくなる。
「いいえ。僕は大丈夫です。ちょっと待合室で休ませてください」
なんとか気丈な様子を作って答えた。
「つらくなったら、いつでも声をかけてくださいね」
男性試験官が控え室に戻る。
狩科は待合室に戻るとメッセージアプリを開いた。
メッセージの送信先は「深津瑠璃」。
大変なことがあったと思います
精神科医の面談は短いです
言えることを全部言えるとは思いません
言いたいことを言って楽になりませんか
僕が聞きます
僕もあのときの記憶を思い出せませんが
他の人よりは力になれると思います
返事はすぐにはこなかった。
試験室のマジックミラーの反対側、いつもなら四人いる試験官控え室に今日は五人目がいた。
脱色した髪に無精ひげ。
狩科が賄賂として焼き肉をごちそうした御来間がその部屋にいた。椅子に座ってふんぞり返っている。
いつも試験を見守っている男性がこぼす。
「あの二人、大丈夫ですかねぇ」
御来間は鼻で笑った。
「本当、俺だったらMECは着けねえな。あの二人は自分から着けたいと言っていた。しかも坊やの方は賄賂まで渡して着けたがったんだ。望み通り、好きなだけ苦しんでもらうさ」
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