5-2 惣菜パンって、塩味しかしなかったのか?
三人は買い物を済ませたあとで空き講義室に入った。
狩科が先に座ると左隣に深津が座った。すると来海は狩科の右隣に座った。女性二人に囲まれてうれしいのか、剣呑な雰囲気のただ中にいて苦しいのか、狩科には分からない。
深津はおにぎりとサラダと緑茶。来海はサンドイッチとダイエットコーラ。それだと自分だけ弁当を買うわけにいかない狩科は惣菜パンと缶コーヒー。
お腹が空いていた三人はしばらくもそもそと食べる。半分ぐらい食べたところで、来海が切り出す。
「あなた、九里谷研でしょ? MECの試験を二人一緒にやるとか、希望でも出したわけ?」
来海はサンドイッチを口に入れたまま、深津に問う。
深津は食べかけのおにぎりをサラダのふたの上にのせ、緑茶で口の中を流したあと、右にいる来海と狩科を見て答える。
「MEC臨床試験では、被験者はそれぞれ別の試験を担当しています。各人がどのような試験を担当するのかは、私も当日まで知らされませんでしたし、他の被験者が担当している試験のことも知りません。当日に会場にいってみたら、狩科さんとご一緒して、二人で同じ記憶を再生して試験官の質問に答えることになったわけです」
「そしたら同じ大学の修士と学部生だったんでしょ? なんか裏に意図があるんじゃないの?」
「臨床試験の進行は私より上の人たちによるチームが取り仕切っていて、修士の私が口出しできるものじゃないです」
「そしたら恋人シミュレーションだったと」
「恋人シミュレーションという言い方はひどいですね。狩科さん、彼女に試験内容をどう話したんですか? 再生された記憶は、あくまで青年が日常生活を送る中でありふれた一場面であり、他者の生活を追体験する上での心理的影響を測るのが私たちの試験の目的だと理解しています」
「恋愛を日常の一場面というのは、うまい逃げ方だねぇ」
「別に逃げてませんから」
来海はサンドイッチをもそもそと食べながら問いただし、深津が広報担当的なそつのない返答をする。
間に挟まれた狩科は、惣菜パンの塩味は分かっても、具材の味がよく分からない。惣菜パンってこんなに塩味しかしなかったか?
来海はサンドイッチを食べきったところで深津に問う。
「でさあ、枝葉末節ではあるんだけど大切なこととして、あなたはキョンタンに好意を抱いているの?」
一瞬、深津が止まった。
動き始めた深津は、それまでの広報担当のような落ち着きが失せて、恋バナに戸惑う二十代の女の子になっていた。
「好意って、どんな意味でしょう?」
来海は身を乗り出し、狩科に覆い被さるような形になりながら、駄目を押す。
「キョンタンのこと、男性としてみてるかってこと」
その言葉を聞いたとき、狩科は自分の耳が大きくなったような気がした。深津さんはなんて言ってくれるだろう。願わくば……と期待を胸に秘めた。
にじり寄られた深津は身を後ろに退きつつうつむく。
「それはありません。あくまでMEC臨床試験をともに行う人間として、試験成功のために必要な信頼をしたい、いや、まだ、信頼できたらいいな……ぐらいです」
狩科の期待は砕けた。好意を持ってもらえたらなぁ、との願いは、はかなかった。
来海は納得しきっていない。
「そう? 結構、意識してるっぽい振る舞いはしてるんだよね。あなたの恋愛経験は知らないし、もしかしたら勉強ばっかりでそっちの知識はないかもしれないけど、ちょうど気になりかけたぐらいときの女の子があなたみたいな感じでね」
狩科が再び期待を抱く。
深津はおずおずと答える。
「だとしたら、MECの心理的影響の一つ、なんでしょうね」
深津のあまり気乗りしなさそうな返答に、狩科の期待は再び砕ける。
深津は色々思い返す。
「私が、男性に対して好意を抱くとか、そういうこと、考えたことがなかったんですよね。狩科さんとは珍しく友好的な関係になりましたけど、異性として考えていたら、逆に踏み込まなかったと思うんです。あくまで研究の協力者だから良好な関係を築けているんだと思います。それが好意を抱いているように見えるとしたら、MECで再生された記憶が感情に影響を与えているんだと思います」
来海は軽く問う。
「じゃぁ、この試験が終わったら、キョンタンとの関係は終わり?」
深津は首をひねる。
「終わりかどうかは人として信頼できるかどうかによりますが、恋人になることはないんだと思います」
それを聞いた来海は、狩科に覆い被さった格好のまま首だけ上に向ける。
「キョンタン。そうだって。あんまり期待しない方がいいよ~」
狩科はうろたえる。
「期待とかしてないし……」
「健康な男子ならみんな期待するもん。分かってるよ、キョンタンも健康な男子だって。でも、実らないものに期待しない方がいいよ」
狩科は何も答えなかった。口の中は惣菜パンの味。惣菜パンって、塩味しかしなかったのか?
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