4-5 試験者に問われて答えたことは覚えていても
深津がどこにいるのか。連絡手段を持っていない狩科は知らない。
しかし東城大学の学生であり、先日にはコンビニで鉢合わせたことから、深津の行動範囲は狩科のそれに近い。
真面目な学生なら大学に来ているだろうという読みもあった。
だから、金曜日の昼過ぎ、九里谷研の学生の部屋にアポなし訪問をかけた。
「君、誰?」
狩科が、九里谷研の学生が研究する部屋に「失礼します」と言って扉を開けたとき、出迎えたのは二十代も半ばを過ぎたのではないかという男性だった。きっと博士課程だろう。ダボダボのTシャツとよれたスラックスは狩科とよく似ていた。
「工学部三年生の狩科恭伽と言います。修士一年生の深津瑠璃さんはどちらですか?」
応対する学生は鼻で笑った。
「深津君に会いに来る男子は多いんだよ。そういうのはお断りしてるんだ」
ここでひるんではいけない。狩科はぐっとこらえる。
「深津さんとは何度かお目にかかって、個人的な話もしています。深津さんも僕をご存じです。本人にお尋ねいただければ分かるはずです」
応対する学生は呆れた様子だ。
「それ、本気で言ってるの?」
「本気です」
狩科は相手に気づかれないよう、ぐっと息をのんだ。
しばらくして相手が折れた。
「まぁ、聞くだけ聞いてみるよ。嘘だったら承知しないけどね」
応対した学生が部屋の奥へ入っていく。ところどころ、応対した学生と深津の会話が聞こえてくる。ここにいるのかと知って狩科の心臓が跳ね上がる。「えっ、知ってるの?」という男性の声が聞こえて、いくつか問答があって、人が歩いてくる足音がする。現れたのは、いつも通り綺麗に身繕いした深津だった。
「狩科さん、大学の学生で近くにいるからって、臨床試験以外で会いに来る必要はないでしょう」
深津本人にいらないと言われるのが一番つらい。けれども負けてられない。狩科はどうにか口を開く。
「深津さんにお願いがあるんです。ちょっと込み入った話なので、別の場所に行って話せませんか?」
深津が警戒する。
「他人に聞かれて困る話だったら、私も聞きたくありません。研究室でできる話だったら聞きます」
狩科はまずいと思った。今からするのは実に大それた話だ。
やめるか。
その瞬間、二日前に自分が千波伊里弥だったことを思いだした。
千波伊里弥だったときの記憶は、MECを着用していない今の狩科には思い出せない。しかし女性にきちんと応対できていたことは、そのときに質問に答えた内容からたしかだ。
自分は女性と向き合えるような男性じゃない。
でも、自分は「千波伊里弥でもあった」のだ。
ここで負けてどうする。
狩科恭伽は千波伊里弥の度胸を借りることにした。
「じゃあ、研究室で話をしたいですが、いいですか」
狩科の声は、わずかに、テンパっていることが見えていた。心臓はバクバクいう。
それでも深津が折れた。
「分かりました。部屋に入ってください」
深津はきびすを返して部屋の奥に向かう。狩科は「失礼します」と言って部屋に入った。
奥行きが十m強ある部屋の中程よりやや奥の場所で、深津は空いた椅子を一方に引き寄せた。
「座ってください」
狩科は一礼して着席する。深津も机の前の椅子に座った。きっと、そこが深津の席なのだろう。
「それで、話はなんですか?」
深津は詰問口調で問う。
周囲を見れば学生たちが聞き耳を立てている。
狩科は「針のむしろ」の意味を知った。
しかし、何度目だろう、負けてはいけないと思ったのは。ここまで来たら、もう数回の恥がなんだ。
狩科は背中に冷や汗をかきながら言葉を紡ぐ。
「深津さんと僕でMEC臨床試験のペアを組んでるわけですけど、まるで僕たちが佐上優希と千波伊里弥になったようで、深津さんは、これはおかしいと思ってますよね」
「そうです。それで?」
深津の詰問に狩科は息をのむ。でも、本番はここから。
「深津さんは、自分が佐上優希とは別人だと分かれば納得するのですよね」
「そうです」
「だから……水曜日にMECで思い出した記憶にあった、テーマパークに僕と行って、自分が佐上優希と違う反応をすることを確認しませんか?」
言い終えたとき、狩科は周囲から空気がなくなったのではないかと思った。
そうしたら。
深津の顔が赤く染まった。
「ええっ」
「これって脈あり?」
部屋にいる学生から驚きの声が漏れる。
深津は必死に頭を振る。しかし顔のほてりはおさまらない。
「別に、うれしいわけじゃないんですよ! 好きでもない男性からテーマパークに誘われて、むしろ嫌です。でも、でも……」
「でも、なんです?」
狩科はそっと深津の心を押した。一か八か、結果は予想がつかずとも、そうした。
深津はもじもじと両手の指を合わせる。
「私は佐上優希ではありません。それはそうなんですが、いまいち自分でも分かっていないというか、気を抜くと同一人物じゃないかと思っちゃうというか…… ですから、別人だと分かれば、納得すると思うんです。別人ですよ。別人だという証拠を作るんですよ。証拠を作るためだったら、行ってもいいかなって。別に、あなたが好きなわけじゃないんですから」
狩科の心拍数が一段下がる。好きでないと言われても、それは苦じゃない。
「はい。好きじゃないことを確かめに行くんです」
「そうです。好きじゃないことを確かめに行くんです。意見は一致してますね」
周囲は呆気にとられている。
深津が自分を取り戻したとき、周囲の視線が視界に入った。彼女は必死に否定する。
「いいですか。これは行きがかり上の話で、別につきあってるとか好きだとか、そういう話ではないんですからね。話が一段落したらみなさんに説明します」
そのツンデレぶりに、周囲がどっと湧いた。
実行するのは明後日の日曜日。場所は都心のテーマパーク。しかし……
「テーマパークの名前、覚えてますか?」
深津にたずねられて、狩科も戸惑った。
「覚えてません……」
MECを装着しているときはたしかに記憶があった。しかしMECを外した今、試験者に問われて答えたことは覚えていても、テーマパークで遊んだときのことをどうしても思い出せないのだ。
深津が論点を整理する。
「テーマパークは都心にあった。そこで佐上優希と千波伊里弥は、ジェットコースターと、銃を使うアトラクションと、観覧車を楽しんだ。分かるのはそこまでですよね?」
それは狩科の記憶と合致する。
「そうです」
「となると、条件に当てはまるテーマパークを探すしかないですね」
深津はスマホを取り出して「都心 テーマパーク」をキーワードに検索する。一件、それらしいものが見つかった。公式サイトでアトラクションを確認すると、ジェットコースター、銃を使うアトラクション、観覧車、その三点が揃っている。
「ここでいいですか?」
問われた狩科も自信がないが、条件に合うテーマパークはそれしかないのだ。
「いいと思います」
「じゃあ、細かい段取りを決めましょう」
金曜日は二人の空き時間と集合・解散予定を確認したところで終わった。
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