第四章 役柄と本人
4-1 質問の意図を疑った
面白い人がペアになった臨床試験は、これからまだまだ続く。
狩科は、試験を行う水曜日はどんな顔をして行けばいいのか迷った。
話題が合うだろうかと真剣に考えたが、試験中は試験官の質問に答えることしかできないと気づいてあきらめた。
Tシャツ姿はまずかろうとせめて襟付き半袖シャツを着ていくことに決めた。しかし、水曜日の朝になってようやくプラスチックボックスから取り出したそれは、放置された末にしわだらけになっていた。それでもまだマシ、と、それを着ていくことにした。
そして最寄り駅から大学附属病院にいたる道で、まだ暑い八月の外気にあてられ汗だくになった。印象を良くしようとする狩科の試みは結局なにも残らなかった。
一週間前と同じ、待合室と試験室。試験室の扉を開けると、先に深津が座っていた。今日もきちんとした着こなしだ。彼女はいつも身なりは整える人なのだろうと狩科は思った。
深津は狩科の姿を認めると笑いかけた。
「いらしたんですね。来ないんじゃないかと心配しました。今日も頑張りましょうね」
頑張る、ですか。
深津さん、いつも前向きですね。僕にそこまでの気力はありません。
狩科は彼我の差になんだか疲労感を覚えた気がして、深津から見えない位置に腰を下ろした。
試験者は時刻になると、そんな二人を気にせず呼びに来る。
「被験者のお二人様、時間になりましたので試験を始めさせていただきます。試験室にお越しください」
試験の内容は事前には知らされない。これからなにが起きるのか、狩科には分からない。道のものに心中で身構える。
二人は二人の試験者に連れられて試験室に入ると、それぞれの担当の試験者とだけ声をかわして頭にMECトランスレータをつける。起動シーケンスの音声が二人の脳に流れる。
「Memory Extended by Computerトランスレータ、脳との接続を試行………………接続を確認、ベースシステムとの接続を開始………………接続終了。システムは正常に起動しました」
起動シーケンスの音声が終わったとき、これからのことを思って狩科は不安に駆られる。
そのとき。
脳裏に浮かんだ佐上優希の顔は、喜びに満ち、幸せのまっただ中で、千波伊里弥に向けている表情は最大限の親密さを見せている。
これは夢か?
信じられず疑い続けたが、それはたしかに千波伊里弥の記憶だった。
目の前では深津が驚いている。きっと同じ情景を思い出しているのだろうと狩科は確信する。
その記憶の暦は梅雨入り直前の六月。場所は、なんと、テーマパーク。
二人は並んでジェットコースターに乗っている。車体はゆっくり頂上に上がる。周囲には高いビルが多数見えるので、場所は都心のようだ。今か今かと思っていると、ついに、車体は頂点を超えて急転落下する。暴力的な加速度が上下左右に身体を振り回す。振り回されながら、隣に座る佐上の悲鳴を聞く。
ライドが終わって心地よく緊張を解いた二人がジェットコースターを降りる。
「伊里弥、楽しかった?」
呼びかける佐上優希の顔は満面の笑み。
「優希なんか悲鳴上げてばっかりだったじゃないか」
軽口を叩く千波伊里弥には、佐上優希に拒絶されるなんて気持ちは一片もない。
「伊里弥だってびっくりしてたじゃない」
気の置けない二人の他愛なくもかけがえのない時間が流れている。
二人の間にある机の上のスピーカから試験者の質問が流れる。
「Aさん、思い出したのは、何月の出来事ですか?」
深津は、驚愕したまま、部屋の横のマジックミラーを見る。マジックミラーの奥には、楽しい記憶を送り込んだ試験者たちがいる。深津は試験者の意図を信じられないでいるが、当然ながら、いつら見つめてもマジックミラーから声は返ってこない。そして深津は狩科を一瞬見て、目を逸らしてから答える。
「六月の出来事です」
返答したら、少し間が空いた。マジックミラーの奥ではなにかをしていたのかもしれないが、試験室の二人には分からない。
「Bさん、場所はどこですか?」
狩科はジェットコースターの頂点から見えた街並みを思いだした。テーマパークは郊外にあるものと思い込んでいたから都心が見えたのは意外だった。しかし自分は詳しくないから否定するわけにはいかない。多分実際にあるのだろうと思った。
「テーマパークです。周囲にビルが多く見えたので、都心だと思います」
その返答の後にもしばらく間が空いた。
机の上のスピーカから声が流れる。
「Aさん、二人はなにをしていましたか? 何のアトラクションでしたか?」
「ジェットコースターに乗っていました」
「Aさん、乗ってて楽しかったですか?」
間髪入れず深津に質問が飛んだ。想像の斜め上の内容で。
深津はマジックミラーと狩科を交互に見る。そして狩科をじっと見た。なんと深津の顔は明るくなり、狩科の気が少しほぐれる。と思ったら、再び深津の顔に影が差す。
目の前の深津は、目の前の狩科に、好意を見せたかと思うと、困惑を見せる。いったい彼女の本心はどちらなのか。
「楽しかったです…………いや、あくまで設定の上なんですけど………………楽しかった……のかなって………………かなり前のことだから記憶が曖昧なんですけど……楽しかったっていうか……楽しいと思い込もうとしたというか…………」
深津は肯定と否定を交互に繰り返して、言葉を切ると、目に見えるくらい大きく深呼吸する。
しばらく間が空いて、机の上のスピーカから声が流れる。
「Bさん、佐上優希さんは親密でしたか? それとも嫌悪感を抱いてましたか?」
狩科は質問の意図を疑った。
佐上優希は千波伊里弥と実に親密だ。しかし、この場で「親密だ」と答えると、まるで深津が狩科に親密感を抱いているように思えてしまう。
どうすればいい?
その場で考えて、結論は、佐上優希と深津瑠璃を分けることだった。
深津さん、あなたは佐上優希じゃない。佐上優希が千波伊里弥と親密でも、深津瑠璃は狩科恭伽を嫌ってかまわない。
そう言いたい。
でも、あくまで試験室では「Aさん」と「Bさん」。口にできる言葉は真実に踏み込めず、表面を軽くなでる。
「Aさんは関係ないんです。記憶の中の佐上優希さんは、僕、被験者Bではなく、記憶の中の千波伊里弥に、親密感を抱いていました」
狩科が答えると、それまでより長い間が空いた。
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