3-3 目が離せなくなっていることに気づく
狩科はこくんと首を縦に振った。
「全部、です……」
深津は明らかな怒気を浮かべる。
「あなたはMECの開発に協力しているのでしょう? MECがそんなディストピアをもたらすと考えながら開発に協力しているのですか? あなたはディストピアを作りたいのですか?」
美しい女性の声も、低く落ち着いて発せられるとドスが利く。狩科はゴクンと唾を飲みこむ。
「僕は、あなたのようには社会に夢を持っていません。ディストピアを作りたいとも、ユートピアを作りたいとも思っていません。ただ、自分の欲で、別人になり……たかったんです……」
狩科は深津を見られず、膝の上で握りしめた自分の手に目を落とす。
まだ二人とも飲んでいない飲み物がテーブルの上で冷めていく。
深津は、自分が聞いた言葉の意味が分からず、なにが起きたのかと目を丸くする。しばらく考えて、いら立ちを意図的に抑えながら問う。
「別人になりたいって、なにを考えているんですか?」
狩科は下を向いたまま、つぶやく。深津に聞こえるほどの声が出せるか気にしながら。
「現実の僕は、つまらなくてちっぽけな人間です。他の人の方がよっぽど立派です。MECで、記憶を外部から与えられて、普通の……普通のなんです、普通の人間になれれば、僕は今よりまともになれるんです。それで十分なんです」
言い終えて、狩科がチラと深津を見ると、深津は険しげな表情をくずしていない。
「そんな、自分の心の葛藤を外部に丸投げする、奇跡的な装置としてMECを見ているわけですか。極めて浅薄で自分勝手な願望ですね」
でも狩科には、深津の言葉にも一因はあるという恨みの念がある。
「そう言いますけど、深津さんだって、MECでの記憶の再生が終わった後、僕に向かって『気持ち悪い』って言ったじゃないですか。僕は他人から見ておかしな人間なんでしょ」
深津はわずかにあわてたように見えた。
「あれは、MECとの接続が終了して、それまであった記憶を思い出せなくなることの違和感が強かったから『気持ち悪い』と言ったんです。別に狩科さんのことを気持ち悪い人間だと思ったわけではありません。不用意な発言で不快にさせたことは謝ります」
そして深津は強く言い切った。
「それでも試験に臨むに当たっては前向きな姿勢で臨んでもらいたいです。MECに携わる研究者が、どれほど将来を案じ、MECに期待し、努力を払ってきたのか、私がとくと教えます」
え? どうしてそうなる?
いや、MECと研究が好きすぎでしょ?
目の前の深津は、どうしてそこまで他人を巻き込もうとするのか。狩科は無気力な自分と照らし合わせて、あまりの違いに戸惑いを覚える。
しかし深津は意欲と夢にあふれていて、狩科に対してとくとくと語り始める。過去から現在を通して望むべき未来まで。
電子神経共鳴装置が開発される過程で、目的外の神経細胞に刺激を与えてしまった結果、被験者が幻覚を見て、精神科の治療に一年を要し、不幸な事件であったが精神へ働きかける可能性を示す大きなステップになったこと。
電動義手・義足において、当初は使用者と同調させるためのキャリブレーションに三時間を要したのが、フィードバックによる通信制御の技術が向上して、先日にMECを装着した時のように一分以内に使用者に適切な通信をできるまでになったこと。
襟元につけるトランスレータの消費電力が高いと放熱により利用者が低温やけどを負いかねないため、トランスレータと無線で繋がったベースとの役割分担はできる限りベース側に負荷を追わせていること。
研究は欧米だけでなく中国でも盛んで、本年中に中国で三チームが臨床試験を始める見込みで、九里谷研の研究が停滞すると日本が開発レースから脱落しかねないこと。
公平な目で見て、深津の教え方はうまい。MECの歴史をおさらいするのに要点の選択も論理的な説明も実に適切だ。
しかし数十分も一方的に話し続けられる、その活力と、目の前の人間の疲労感への無関心はいったいどこから湧き出てくるのだろう。狩科は疑問に思う。
今、コーヒーショップに入ってから、どのくらい時間が経ったのだろう。
狩科は腕時計を持っていない。スマホを見ればすむからだ。いつもの癖でスマホを取り出そうとして、右手でポケットのスマホを持ったところを、深津に見られた。
深津の表情が冷たくなる。
「大事な話をしているときによそ見ですか。事の重要さが分かってないようですね」
ということは、もっと言い含める? この人の講義が伸びる?
狩科の背筋に寒気が走った。
それからも深津が一方的に語り続けたことを考えると、きちんと説明すれば分かってくれるはずだと深津が楽天的に考えていることはたしかだった。相手の気持ちが冷めることは、考えてないんだなぁ……
狩科がほぼ放心状態で時間も分からなくなったところで、深津は一息ついた。
「ここまでがMECの研究の経緯の、ほんのさわりですが、今日のところはここまでにしておきましょう。狩科さんも、研究の末端に位置しているのですから、過去と将来に関心を持ってくださいね」
そして語り疲れたとばかりにテーブルの上のカップを手に取り一口飲みこむ。
疲れたのはこっちだ。とは狩科には言えなかった。
狩科がコーヒーを飲みこむと、すっかり冷めていて、苦さだけが口にしみた。
二人で店を出たとき、深津は狩科に挨拶代わりに念を押した。
「狩科さん、次の試験は、心を入れ替えて臨んでくださいね」
「はい……」
狩科は気持ちが定まらないまま答えた。深津が去るのを見送って、ようやくスマホを見ると、コーヒーショップに入ってから一時間十分経っていた。
深津さんは、
綺麗だけど、綺麗だけど、
面倒くさい人だ……
狩科は、とんでもない人に関わってしまったと、自分の巡り合わせの悪さを悔いた。
しかし、だ。
狩科は、深津から目が離せなくなっていることに気づく。
美しい容姿に釘付けになっている側面はある。しかし、他人の話を聞かないところも、そのくせ自分は他人を巻き込むところも、なぜだかずっと見ていたい気がする。
面白い人だな。
狩科は心の中で深津への評価を訂正する。
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