2-2 これがMECが与えた記憶だ

 開始時間が来て、試験者が待合室の扉を開けて二人に呼びかける。

「被験者のお二人様、時間になりましたので試験を始めさせていただきます。試験室にお越しください」

 狩科は自分が立ち上がる後ろで女性が立ち上がる気配を感じる。自分はじっとして、女性が先に待合室を出るのを見送ってから後ろを歩く。

 試験者が試験室の扉を開ける。幅三m奥行き五mほどの、狭くて白い壁が無機質な部屋。扉から見て右側は一面に鏡張り。その中央に、部屋にはやや不似合いな、天板が木目のカフェテラスを思わせる丸テーブルと、テーブルに色調を合わせた木製椅子が二つ置かれている。その上には十cm四方の黒いスピーカが一つと、見慣れない電子機器が二つ。部屋の中には先に試験者の女性が一人入っていた。

「Aさんは奥の席に、Bさんは手前の席に座ってください」

 試験者の女性に促されてAさんと狩科が席に座る。女性の試験者はAさんの横、男性の試験者は狩科の横につく。

 男性の試験者が狩科に声をかける。

「お二人には、この部屋でMECを装着して質問に答えていただきます。質問は中央のスピーカから流れます。マイクもスピーカについているので、スピーカに向かって答えてください。横の鏡はマジックミラーです。お二人の行動は観察されていますので、試験の目的に外れた行動はご遠慮いただくようお願いします」

 女性の試験者は先に見慣れない電子機器をAさんの頭に当てている。

 その電子機器は、筆箱ほどの大きさの白いケースの端からケーブルが伸びていて、ケーブルの先には横十五cm縦五cmほどの黒いベルトがついている。ベルトの両端になにかにかけるような紐の輪っかがついていて、その輪にはクリップがついている。

 男性の試験者がその電子機器を手に取る。

「これがMECのトランスレータです。ケースは無線通信部とバッテリー、黒いのが電子神経共鳴部です。ケースを首の後ろに乗せ、共鳴部を両端の紐で耳にかけ後頭部に当ててください。接続が完了したら音声が流れます。音声が流れたら、そのことをおっしゃってください」

 試験者が狩科にMECを手渡す。狩科はケースから横に伸びているアームを肩に載せケースを首の後ろに固定する。次に黒いベルトの両端の輪っかを耳にかけクリップを耳たぶにつけ、要はマスクの逆向きにベルトを後頭部に当てる。

「MECとの接続を開始します」

 女性の試験者がそう言った。それから二十秒ほど経っただろうか、狩科の頭に声が流れる。

「Memory Extended by Computerトランスレータ、脳との接続を試行…………」

 狩科は驚く。耳はその言葉を聞いていない。頭に直接に言葉が流れてくる。これがコンピュータと脳の接続か。

「……接続を確認、ベースシステムとの接続を開始………………接続終了。システムは正常に起動しました」

 驚きに浸っている狩科があわてて答える。

「システム、起動しました!」

 Aさんも、こちらはなんの感慨もない口調で、答える。

「システム起動しました」

 二人の返答を確認すると、女性の試験者が言い残す。

「それでは私たちは退室します。お二人は順次質問にお答えください。なるべく私語はなさらないようにお願いします」

 試験者が部屋を出ると、狩科はAさんと二人きりで取り残される。Aさんの顔を正面から見られず目を横に逸らす。

 そうしていると、狩科の脳裏に、奇妙な考えが思い浮かぶ。


 俺の名前は千波伊里弥(せんば いりや)


 そんなはずはない。狩科の本名は狩科恭伽だ。しかし狩科は自分の名前が千波伊里弥であるという考えを振り払えない。

「Aさん、今思い浮かべている、あなたの名前はなんですか?」

 机の上のスピーカから声が流れる。狩科がAさんを見た。Aさんは驚いたように目を左右に動かし、自信なさげに答える。

「佐上(さかみ)……優希(ゆき)……です……」

 その答えから一瞬だけ間が空いて、スピーカから声が流れる。

「Bさん、今思い浮かべている、あなたの名前はなんですか?」

 狩科は気づく。そうか、これがコンピュータから狩科に与えられた「新しい」記憶なのだ。

 分かってしまえば、どうということはない。

「千波伊里弥です」

 狩科はきっぱりと答える。

 答えた後、ほどなくして、頭の中にある場面が浮かぶ。


 場所はカフェテラスのオープンスペース。暦は五月。今座っているのと同じようなテーブルを挟んで、Aさんこと佐上優希さんと向かい合っている。テーブルの上で、手前にコーヒー、佐上優希さんの前でホットティーが湯気を立てている。

 その佐上優希さんを、狩科は、いや、千波伊里弥は、なぜか、優希と下の名前で呼ぶ気になる。

 優希は狩科こと千波伊里弥の顔を見る。

「伊里弥君、最近会えなかったけど、忙しいの?」

 伊里弥は軽く答える。

「ちょっと重たい課題が出されて、徹夜までしたんだぞ。そういう優希の方が忙しいんじゃないのか?」

「私は日頃からしっかりやってるもん」

 狩科の目の前のAさんとは違う可愛げのある口調で優希は答える。


 狩科は次第に理解を深める。

 今見ているのは架空の一場面だ。これがMECが与えた記憶だ。

 Aさんと狩科は面識がない。それなのにこのような映像が思い浮かぶということは、これは合成CG映像だ。目の前のAさんは、このCGの素材として全身を撮影されたのだろう。ということは、自分とAさんが同じ記憶を見ているなら、狩科の合成CGがAさんの脳裏に見えていることになる。全身を撮影されたのは、この映像を作るためだったのだ。狩科は、自分の姿がかっこよくAさんに見えていたらうれしいと思う。

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