製糸工女奇譚

相葉ミト

 一等工女になれたから、こんな不器量な私でもこんない人のところに嫁げて幸せです、とお里は無事な片目を細めて筆者に語った。

 片目のない娘でも、生き血を西洋人にすすられて死なないでよかった、手先が器用でくるくる働くからええ嫁や、とお姑さんにも褒めてもらっています。

 そう笑顔で語るお里に、筆者は嘉嶋かしまお梅のことをたずねた。

 その瞬間、お里の表情は凍りつき、お梅さまは全て、自業自得だったのですよ、と家庭のことを語る温かい調子から一転、冷厳に言い切った。

 時代の変わり目にお里が出遭であった数奇な物語を、以下に記しておく。


 お武家の我儘わがまま娘、嘉嶋かしまお梅が工女として出稼ぎに行くと聞いた時、お里は御一新の世の中とはかくも変わるものかと思った。

 お武家さまの名前は士族に変わり、廃刀令やら何やらでお武家さまは禄をお殿様からもらえなくなっていた。

 同じ頃、九州で西郷隆盛とかいう御一新の偉い方がお上にいくさをしかけて、敗れたとかいうことが瓦版に書いてあったのもいまは昔。

 農民の三男坊が兵隊にとられてお国を守るだとかいう風に、誰もがお武家さまになれる時代が来たのかも知れぬ、とお里は思ったりもした。

 おなごにもご一新の波はやってきて、製糸工場の女工を募集する、と募集人が年頃のまだ嫁いでいない娘を集め始めた。

 そして、お梅とお里は白壁の城下町から、ハイカラな煉瓦造りの工場に住処すみかを移した。

 工事の中は、何もかもがお里には目新しかった。

 フランス式繰糸器の金色に輝く真鍮しんちゅう製の台や柄灼ひしゃく、さじ、まゆ入れや鉄製の器械。

 金物など鍋や包丁しか見たことのなかったお里には、仙人か何かの郷に来たかのような心持ちだった。

 されども、お梅が近くにいる限り、結局のところお里の周りは大して変わっていなかったのかも知れぬ。


「お里、茶や、茶」


 工女は仕事のある日中、工場にいるから日に焼けぬ。さらに製糸場内で繭を蒸す蒸気を常に浴びているゆえに、お梅の元から良かった器量は、髪の艶も顔色も、武家町にいた時よりも美しくなっている。


「お梅さま、お待たせしました」


 それでも、お梅の我儘わがままは変わらぬ。

 やっとの休みにお梅はお里をこき使い、茶など入れさせている。

 お梅とお里が工女として製糸工場に出稼ぎにきてからも、繭選場まゆせんばから糸揚いとあげに二人の職場が変わっても、お武家さまとそれに仕える平民、という力関係は変わりはしなかった。

 お梅の我儘わがままは数知れず、気に食わなければいかに高いかんざしだろうと壊して女召使いに投げつける、蝶よ花よと扱われかしずかれなければ機嫌を崩して相手を折檻する、指折り数えれば手足の指でもお梅の所業を言うには足りぬ。

 とんだ腐れ縁だが、工女になり糸屋の娘は目で殺す、をでいくようになったお梅の一番隣にいることが自慢のような、自分がいなければ茶の一杯もいれられぬお梅をあわれむような、妙な心持ちにお里はになるのだった。


 ホーホケキョ、と鶯が鳴く。

 二人が工女になって、二回目の春が来ている。


「うちのお屋敷にはうぐいすがおって、里のうぐいすの風情のない鳴き方とは違うて、ホーキーベカコンと鳴くのよ」


「さようでございますか」


 茶をすすりながらお梅はお里に自慢する。

 そのうぐいすはとっくの昔に死に、屋敷も人手に渡っているでしょうに、とお里は内心毒づく。


「赤い花とあわせたあの鶯、雅でよかろ」


「その通りでございましたね」


 もっとも、お梅が鶯の水飲みに彼岸花を生けたせいで鶯は、彼岸花の毒で死んだのだが。

 お里は止めようとして、機嫌を損ねたお梅に池に落とされ、秋の初めだったせいで悪い風邪をひいた。

 お梅の親が薬師で、付きっきりで看病したからお里はなんとか肺炎から回復し、次の春を迎えられた。


「足が痺れた! もっとええ座布団にしい!」


 唐突にお梅は癇癪かんしゃくを起こす。下手にたてつけば平手打ちだ。お里は頭をさげる。


「すんません。ここにあるのは、同じ座布団だけです!」


 工女の住む宿舎は、貧しい農家と比べれば良い品を使っているが、士族のお屋敷が使う品と比べようもない。

 お梅の怒りは収まらぬ。


嘉嶋かしまの家の娘と知ってそういうとるか!」


「騒ぐな! お梅、いい加減にし!」


 大ばば様が勢いよく戸を開けて、部屋に入ってくる。


「すんません、大ばば様」


 品よく三つ指ついてお梅は頭をさげる。

 所々に現れる品の良さとたおやかさが、お梅が武家の娘であり、お里の取ってつけた礼儀には敵わないと感じさせられる。


「士族も農民も変わらん四民平等の世の中や! お国のために糸を引くんや! ええな?」


 男軍人、女は工女。

 糸を引くのも国のため。

 お里たちが工女をしていたのは、このような時代だった。


「分かりました大ばば様、すんません」


 お梅は大ばば様には素直に頭をさげる。

 最初の頃、我儘わがままを言い続けた結果、大ばば様に物置に休み中放り込まれ、折檻せっかんされたからだ。

 多少はお梅が慎ましくなるかと期待したお里だったが、閉じ込められた分の癇癪かんしゃくをお梅にぶつけられただけだった。

 案の定、大ばば様が去った瞬間、お梅はお里を張り倒す。

 白魚のような指が、むちのごとくお里の頬を打つ。


「お里、これはあんたのせいやで、あんたがちゃんとしとらんからうちがこんな情けない目に遭うのや」


「すんません」


「詫びが足らん! 菓子ないんか!」


「麦こがししかありません」


 腫れたほほを動かして、お里はただ頭をさげる。

 麦こがしは、炒った麦を粉にして、湯と砂糖で練って食べる素朴な菓子であり、はったい粉ともいう。


「まあ、下女にはそんなもんしかないでしょう。顔もこがし麦みたいなそばかすやし、あんたにはお似合いよ」


 お梅は満足したらしく、空の茶碗とお里を残してどこかへ行った。

 お梅さまが麦こがしを断った、とつぶやき、お里は小さく笑う。

 お梅さまに忠告とお世話をするのは私だけ。

 お里の言葉を聞くものは、誰もいなかった。

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