青と紅の反転 reW

春嵐

青と紅の反転

「失明、ですか」


「えぇ。残念ですが」


 そう言われてから、もう一週間経った。

 変わったのは、居場所が高校ではなくて、病院の個室になった、ということだけ。

 何も変わらない日常。夏から秋へ移り変わっていくのを、窓から眺める日々。



 特殊な症例なので、毎日決まった時間に検査をする。

 それ以外は、何も変わらない日常。

 今日は、高校の友だちがお見舞いに来てくれた。出席日数足りている人がいなくなり、教室は閑散としているらしい。

 急に、友だちが泣き出した。


 よければ代わってあげたい。私の目でよければ移植でもなんでも使ってほしい。涙ながらに、そう口にしている。


 ひとしきり泣きじゃくったあと、友だちは寂しげに帰って行った。


 いい気なもんだ。私を使って、勝手に悲劇のヒロイン気取り。暇なのかな。それとも、頭に少女漫画しか詰まってないのかな。


 入院費用は、気にならなかった。

 検査に協力することで、入院費用の数倍になるおかねが振り込まれている。そうでなくても、家族が事故でしんだときの保険金がまだまだある。一生かけても使えないような額だった。会ったことはないけど、自分の両親は保険をたくさんかけるタイプだったらしい。


「お金はいらないから、両親と普通に暮らしたかったな」


 そうしたら、さっきの友だちみたいに、お花畑みたいな脳みそになれたかもしれない。


 どうしても、現実的なことばかり考える。


 この目の検査で救える視力があるなら、いっそのこと抉り出してもらおうか。


 自分に視力は、いらない。特に見たいものもない。


 検査室へは、長い廊下が続いている。

 私は、パジャマのまま、その廊下を歩いていく。点滴もしていないので、着のみ着のまま、そのサンダルの音に耳を傾けながら。

 いろんな人と、すれ違う。


 彼氏募集中の看護婦。夜勤明けの医者。機材搬入の業者。安らかな死を待つ、おばあちゃん。


 全員から、優しくあいさつをされる。こちらも、やさしくあいさつを返し、少し雑談をする。それで、心が軽くなってまた日頃の業務に戻っていく。


 いい気なもんだ。これから視力を失う人間に愚痴って、なにが楽しいのか。どこがそんなにうれしいのか。


 検査室に行く前に、診察室に行く。まずは、診察を受ける。


「油季見ちゃん、目の調子はどうだい?」

「主治医さん、こんにちは。いたくもかゆくもないです」

「ごめん、受験前にこんな検査詰めの毎日を遅らせちゃって。医者失格だな」

「いえ、大丈夫です。もう推薦で合格してるので、大学には行けます。失明の事を伝えても、合否には関係ないそうです。後で大学提出用の診断書をお願いします」

「それでもな、ごめんな、いつもいつも検査ばかりで」

「わたしの検査で誰かが助かるなら、よろこんで協力します」

「ありがとう」

「こちらこそ、いつも診断して下さって、ありがとうございます」


 診察室を出る。

 すぐに検査室へは向かわず、いったん廊下の角に隠れる。


 ここの一角だけ、なぜか、診察室内の会話が筒抜けになる構造になっている。


 この病院の次の理事長選の票集めが、加速していた。私の目の検査を使って書いた論文が、どうやらその理事長選に大きな波紋を呼んでいるらしい。


「いい子ですね。油季見ちゃん」


「ああ。ほんとに。検査室に来るまでの廊下だけでも、何人が声をかけたか分からないぐらいだ」


「今日お見舞いに来た子も、泣きながら帰ってましたよ」


「人を優しい気持ちにさせる才能か。カリスマ性っていうんだろうね、ああいうのも。それだけに残念だ」


 残念。なにが。


「彼女には、生きようとする意思がない」


 生きようとする、意思か。


「理事長選の目玉が、ふたりとも生きる気力がないときた。張り合いがないってもんだ」


 ふたり。


 自分以外にも、もうひとり、いるのか。理事長選に使われている被験者が。


「あ、検査室行かないと」


 もう少し訊きたかったが、時間は待ってくれない。


 検査室へ向かう。


 サンダルの音。


 検査室。

 誰か、出てきた。


「あっ」


 こちらを見て、驚いた顔。


翠名みすなくん、どこ?」


 探しに来た。検査室の技師。


「こっち」


 手を取って、ベンチの隅に座らせる。


「あ、油季見ちゃん」


「こんにちは。技師さん」


「おとこのこ、みなかった?」


「おとこのこ」


 ベンチの下。びくっと動いたので、脚で押し戻した。


「検査は、延期ですか?」


「あ、ああ。次は油季見ちゃんだったっけ。どうぞ。こっちに」


「はい」


 もういちど脚で押し戻して、検査室に入った。


 検査が終わって出てきたとき、何か、動いたような気がした。


 ベンチの隅。


「え、うそ」


 検査の間、ずっと隅に隠れていたのか。


「出てきてもいいよ」


 ゆっくり、隅から出てくる。


「たすかりました。ありがとう」


「ううん。助かってないよ。技師さん」


 技師が、隠れていた子を捕まえていく。


「ええ、そんなあ」


「ちゃんと検査受けないと、しんじゃうよ?」


「いや、検査受けなくてもしぬんだけどね、ぼく」


 男の子か。笑った顔。


「ありがとう。隠れてるの、たのしかった」


 連行されて、検査室へ消えていった。


 いつものように、部屋に戻り、外の景色を眺める。これぐらいしか、やることがない。


 検査室に連行された男の子。あの子が、わたしと並ぶ、理事長選の目玉か。


「目がわるいようには、見えなかったな」


「あ、あの」


 扉のほうから、声。人がよく入ってくるので、基本的に扉は開けっぱなしにしてある。


「あら。また抜け出してきたの?」


 男の子。


「ちゃんと検査は受けたよ」


 こっちに近付いて、部屋の前で、止まる。


「女性の個室」


「どうぞ。お入りください」


「緊張するなあ」


 子供のくせに。


「あ、いま子供って思ったでしょ。同じ年齢だからね」


 なぜ分かる。


「検査室でカルテを見ました」


「ドイツ語読めるの?」


「暇だったから医者に教えてもらいました」


「止まれ」


「うっ」


「あなたの病名とここに来た理由を喋って。私の病名と情報だけ見るなんて」


「そうか。それがあなたの本当の姿か」


 本当の姿。そんなものはない。他人に笑顔で接して情報を得るのも私。見ず知らずの他人を警戒するのも私。


翠名量みすな りょう。18才。この年だけど暇だったから大学の検定までは取った」


 頭がいいのか。


「生まれつき、血中の特定の要素が欠ける病気にかかってる。だから、外に出たことはない。最近、適応者が見つかるかもしれないってことで理事選に使われそうになってる」


 理事長選のことも知っている。ばかではない。それが、うれしかった。対等な話し相手。


「こんなんでいいですか。ぼくのことは」


「ぼく」


「あ、ばれた?」


「子供のふりするのがうまいのね」


「楽だからな。実際身体も小さい」


「病気のせいなのね」


「ああ。で、おまえは、あ、いきなりおまえはまずいか」


「おまえでいいわよ。私も呼び捨てするから」


「じゃあ、お言葉に甘えて。おまえ、なんで手厚い待遇なんだ。眼底腫瘍だろ。取りゃ良いじゃねえか」


「技師さんとかにはそういうように言ってってお願いしてあるから。理事長選の要だし」


「どういう、やつなんだ?」


「あなたに言うと思う?」


「たしかに。初対面で」


「明日また来なさい。教えてあげる」


「あ、なんだ。おまえ、友達が欲しいだけか」


「うるさいわね」


「はいはい。ではまた明日」


 それから、翠名は毎日ここに来た。色々な話をした。頭がよく、こちらのこともすぐに理解した。


「おい。いいかげん何の病なのか教えろよ」


 手を、握った。最初のほうは部屋の隅にいて縮こまっているだけだったので、わざわざ言ってベッドに腰掛けさせた。


「やめろっ。女性耐性がないんだ俺は」


「うん。だから手を握ってるの」


 心拍数と血管の反応で、嘘が分かる。それにしても、小さな手だ。


「先に話すのは、あなた。なぜ、あのとき、検査から逃げようとしていたの?」


「それは関係ないだろ」


「話さないの。じゃあ、私のことも話さないけど」


「うっ」


 心拍数。血管。通常時の速度を、測っておく。だいたいわかった。


「わかったよ。わかった。話す。手を離して」


「だめ。このまま話しなさい」


「ああもう。生け贄が出ちゃうんだよ」


「生け贄?」


「理事選を狙っているやつの論文を読んだ。血中の要素を抜いて、それを俺に投与するっていう治療方法だ。わかるか?」


「もっと詳しく。リスクがあるってこと?」


「そうだ。リスクがある。いたさとかじゃなくて、単純に、おれとおなじようになっちまう。身体が」


「身体が、縮むってこと?」


「そう。若返りには使えるかもしれないけどな。どうやらここのどこかに同年代のいい検体がいるらしい」


「へえ」


「もったいないだろ。同年代のやつの身体を縮めてしまうのは」


「そんな理由」


「お前にはわかんねえだろうな。同年代の男が縮むっていう悲劇が」


「わかんないわ」


「はい。話した。離してくれ」


「私のことを喋る」


「ああ。勝手に」


「手を、繋いでいてほしい」


「は?」


「不安だから」


「なにを」


「おねがい」


「わかった。これでいいか」


「それ、どういう繋ぎ方か分かってやってる?」


「いや、繋げって言ったから繋いだだけなんだけど」


「まあ、いいわ。私は、目にも脳があるの」


「は?」


「思考に関連する部位がなぜか目の近くにできて、それが目を圧迫してるの。特殊な事例だから、目を守るか頭を守るかの二択」


「頭だろ、普通に。思考がやられたらおまえ、普通の人間じゃいられなく」


「目でいいかなって。私がしんで、私の目と頭を検体として使ってもらおうと思ってて」


「ばかやろう」


「ええ。ばかやろう。もう生きるのが面倒になっちゃって。この目のおかげで人に優しくニコニコするのはうまくなったけど、もうそれだけでも、なんか、つまらなくって」


「ふざけるな」


「ふざけてないわ。教えてあげる。これ、恋人繋ぎ、っていうの。指と指を絡めてね、こう」


 顔を紅くしてる。うぶだなあ。


「そんなどうでもいいことで、茶化すなよ」


 手。強く握られる。


「なんだそれ。誰かが助かるなら、自分がしんでもいいってのか」


 覆い被さられた。


「それはだめだ」


「離して」


 簡単に、引き剥がせた。どうしようもないほどの、体格差。


「くそっ」


「小さい子供には刺激が強すぎたかな?」


「なんだそれは。他人のためにお前が犠牲になることねえだろうが。そんなことで」


「じゃあ、あなたのそれは、なに。検査を拒否してるのも、検体に使われる誰かを守るためでしょ」


「俺とお前とは話が」


「同じよ。わかるもの。あなたも私も、同じ。他人のために、自分の身体を売り渡そうとしてる。それが理事長選の道具で、危険度の大きい手術だとしても」


「くそっ」


 彼が、部屋を出ていった。


 そして、それ以降、彼が部屋に来ることはなくなった。検査室の前でも、すれ違うことはない。

 

 失明する前に目を取った方が良いと言われたので、手術をして目を取ることになった。

 何も、感じなかった。誓約書にサインして、意志確認を行って、それだけ。


 手術室。何も、感じなかった。


「すぐ、終わりますからね」


 執刀医。緊張している。


「おねがいがあります」


「なんでしょう?」


「私、目を取ったあと、正常な判断ができなくなるかもしれません。それを狙っているということも、分かっています。その上で」


 執刀医の手を、掴んだ。


「私の血を、使うんですよね。彼の、翠名量の治療に」


 執刀医。手。手術服越しでも分かる。


「やっぱり」


 事実か。


「いまここでサインします。誓約書を」


「しかし」


「誓約書があれば、失敗しても問題はないはずです。彼を救ってあげてください。私は、目を取った時点で私じゃなくなるんだから」


 仕方ないな。


「はやくしろ。手術をキャンセルさせてもいいんだぞ。理事長選の資料用に映像を撮っているのも知っている。この場で目を抉り出して、くだらない理事長選を終わらせてもいい」


 執刀医。手を振り払って、どこかへ消えた。


 そして、誓約書が持ってこられる。


 サインをした。


「最後に言うことはありますか」


「あの子は」


「そう。機密事項だけど、理事長選前だからもうどうでもいいかな。さっき手術したところです。誓約書にサインさせろって暴れてたよ」


「ばかね」


 麻酔が効いて、意識が、消えた。


 これでもう、私は、しぬ。






「しんだって思っただろ」


 声。


 喉が乾いた。


「う、うう」


「喉か。待ってろ」


 水をしみこませた布が、口に入ってきた。


 うまく、吸えない。


「だめか」


 くちびる。やわらかい感触。


「これでどうだ」


 水分。ほんの少しだけ、入ってくる。それだけで、喉が落ち着いた。


「ばかだな、本当に。おれたち」


 誰だろう。


「俺の目だ。もう覚えていないだろうけど。俺の目を、お前にやる。大事に使えよ」


 思い出した。


 頭のなかが、一気に覚醒する。


 思考能力。戻れ。私は。いま喋らないと。


「待って」


「あ?」


「目が、見えない」


「そりゃあ、包帯でぐるぐる巻きだからな。しばらくは無理だぞ」


「あなた、どうして」


「お前の目だからな。まあ、話すぐらいはいいだろ」


「目が」


「思考能力が戻るのを、信じてるぜ。理事選の結果も、お前の予後次第だ。がんばれよ。おれは一足先に天国で待つ」


「待って」


 彼の気配。消えた。


 何も、感じられない。

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