第2話「惨禍の明け」

 深夜の騒動から皆まともに眠れないまま朝を迎えた。

 危険が去ったと知った後も、地下へ避難していた修道士達も怯えたままであったし、騎士や司祭も戦闘で負傷した者もあれば殺されてしまった者もあった為に動ける者のほとんどはその対応に追われていた。

 教皇はアルバ枢機卿と騎士団団長のデュアンを会議室に呼びつけ、二人に自分が吸血鬼の王クローディスと対峙した事やその際に聖杯を奪われてしまった事などを話した。

「聖杯を奪って……その聖杯で何をするつもりなのでしょう?」

そう訊ねてきたのはデュアンだ。

「……十三日後の皆既日食だろう」

そう重々しく口を開いたのはアルバ枢機卿だった。その言葉に首をかしげるデュアン。

「皆既日食というと、太陽の前を他の星が通過するとかいうあれですか。しかし、何年かごとにある現象ですよね?」

「いや、その通過する星の種類が問題でな……」

訝るデュアンに答えたのは今度はラジェスだった。

「星の種類、というと?」

「死の星だ……五百年周期で回ってくる、非常に珍しい現象だ。この星に太陽が覆われる時、闇の力が増し、あらゆる災害が起きるようになったり、人々の争いが激化したりと不吉な事が起こるようになる。そして何より、吸血鬼を始めとした魔物どもの力も強まる。この皆既日食時に聖杯の血を口にし、聖王の力を取り入れ弱点の無い体を手に入れるつもりでいるんだろう」

「死の星……そんなものが……」

 デュアン団長は視線を落としてラジェスの言葉をゆっくりと受け入れているようだった。

 そしてアルバが咳払いをしてラジェスの顔を見やり口を開く。

「教皇、早急に聖杯を取り戻さねばなりません。が、聖堂の騎士達の中には負傷者も出ました。司祭達には死亡者もおり、残りの動ける者達は聖堂の護りもありますゆえに聖杯奪還に出せる人員に余裕がありません。つきましては友好国のオレオール王国に協力を仰いで軍隊を派遣して戴くようお願いできませんか」

 その言葉にラジェスは少し考えこむ。

 軍隊派遣。

 友好国のオレオール王国は大国だし軍隊も整っている。

 騎士団だけでなく聖騎士もいると聞いた。

 しかし、堂々と聖堂を奇襲した大勢の吸血鬼達。

 昨夜の戦いの中で聖堂の聖騎士達に殺された吸血鬼も何匹かいた。

 吸血鬼退治に聖騎士を派遣してもらうのが得策ではあるだろう。

 だが、あの吸血鬼の王クローディスはどうだ。

 自分の光魔法の拘束をいとも簡単に壊し、そして霧と化して逃げ去った。

 そんな別格の強さを持つ相手に、生身の人間が大勢かかって倒せるものなのだろうか。

 単純な強さではなく、もっと特殊な力が必要なのでは……。

 ラジェスはそこまで考えたところでハッとした。

 特殊な力を持つ者が修道士の中にいるではないか。

「枢機卿、リリアナ修道士だ」

「はい?」

 思いがけないラジェスの返答にアルバは眉を吊り上げて聞き返す。デュアンも首をかしげながら

「修道士ですか?」

とラジェスに問う。頷きながらラジェスは続けた。

「アルバ枢機卿、リリアナにしか使えない特殊な能力の事を覚えているか」

 アルバはしばらく目線を上に泳がしながら

「特殊な……ああ、生まれながらに浄化の力が備わっているという……」

と呟くように言う。ラジェスはゆっくりと大きく頷く。

「三百年前に吸血鬼の女王を打倒した聖王様にも同じ力があった。同じ力を持つリリアナは吸血鬼王を打ち倒すのに必要な存在かもしれん」

「しかし教皇……」

 アルバが反論しかけるがラジェスが制して続ける。

「もちろん、今のリリアナにはかつての聖王様と違って戦う力はない。十五歳のなんら変哲もない若い修道士だ。吸血鬼王を倒すどころか吸血鬼の城に辿り着くことすら出来んだろう」

 それもそうだろうと言わんばかりにアルバが深くため息をつく。ラジェスは尚も言葉を続けた。

「リリアナはひとまずオレオールの国に向かい、王に武力の面で協力を仰いでもらう。これは私からも伝書鳥を使って連絡をいれよう。その後彼らを率いて吸血鬼王の城へ聖杯奪還に向かわせる」

「ふむ」

「なるほど」

 アルバとデュアンが同時に相槌を打つ。

「では早速だがデュアン、リリアナ修道士をここへ呼んできてくれないか」

「はっ!ただちに!」

 ラジェスの指示にきりっとした返事をし、デュアンを会議室を後にした。その後ろ姿を険しい顔で見ていたラジェス。

「枢機卿……」

「なんでしょう教皇」

「リリアナは御神木の根本に置き去りにされていた赤子だった。それを私が育てた……娘のような存在だ。本音を言うのなら、危険な旅などさせたくはない」

「胸中お察しします教皇……彼女の旅路に祝福がありますように……」

 ラジェスのまるで独り言のような言葉にアルバは丁寧に答え頭を下げると、彼も会議室を後にした。


 リリアナは自分の元にやってきた珍しい来訪者に驚いていた。

 ただの修道士に聖騎士の団長が、教皇の用で遣わされたというのだ。

 あたし、なんか問題起こしたっけ……?

 団長の表情を見ても良い内容ではないと見て取れたのでリリアナは頭をフル回転させて自分の心当たりを探る。

 それでもわからないので団長に

「何の御用でしょう?」

と訊ねてみても

「教皇に直接きいてくれ」

と答えるのみだったので、これはますます重い内容に違いないとより一層の不安を抱かずにいられなかった。

 やがて会議室の前に到着するとデュアンが

「失礼します!リリアナ修道士を連れてまいりました!」

と張りのある声で中にいるらしい教皇に伝える。それを聞いてリリアナもぴんっと背筋を伸ばした。

教皇。リリアナにとっては育ての親だが、十歳の時に自分の出生の事実や聖堂での立場などを教えられた。

 その頃から徐々に教皇がどんな存在かわかっていき、今となってはすっかり親というよりは上司という認識に近くなった。

 日常生活でももうそんなに接点はないし。

「ありがとう、デュアンは下がっていいぞ」

 会議室からラジェスの声がする。デュアンは

「はっ!では失礼いたします!」

としっかりとした返事をし、その場から立ち去ってしまった。まごつくリリアナ。

「リリアナ、入っておいで」

 ラジェスは少し顔を上げて、出来るだけ優しくリリアナに声をかけた。

 リリアナは「はい」と小さく返事をして入室する。ラジェスは机に向かって何かを書き綴っている様子だ。

「あのー何のご用でしょうか?」

 もう早く用件を聞いてしまってこの不安から解消されたい、と思いながらリリアナは彼に訊ねた。

 ラジェスは手を止めてリリアナに向き直った。そして咳払いをひとつしながら

「リリアナ、お前にしか出来ない重大な依頼がある」

 こう切り出しながら状況の説明とこれからの事を話した。ラジェスの話を聞いていたリリアナは不安が解消されるどころか段々とその不安は濃くなっていき、表情にも表れるようになった。それもそうだ。ロクに戦闘の知識もないというのに、昨夜何人もの人間を負傷させ、あまつさえ死に至らしめた吸血鬼達に立ち向かえと言うのだ。

 教皇はあたしの力が特別必要だと言う。

 えぇ……そんなに……?

 でもそれさえ通じなかったら……?その時は殺される……?

 その考えに至った時に体が身震いを起こした。

 俯いて、青ざめて、不安げで、返事を出来ないでいるリリアナに心情を察した教皇は出来るだけゆっくり穏やかに、それでいてハッキリと語りかけた。

「リリアナ……私は昨夜、吸血鬼などという得体の知れない相手にそれでも勇敢に戦った者達に大変な感謝をしている。死傷者は多く出たが、戦えない者の方が多いこの聖堂を護る為に命を惜しまなかった者達。私も、目の前で吸血鬼の王に逃げられ苦汁を飲まされた……私に、お前の持つ能力があったら違う結果になったのかもしれないと情けない気持ちになった……」

 今にも泣きだしてしまうのではないかと思われる重い口調だった。リリアナにとっては育ての親だが、こんな重々しい口調のラジェスの姿を見たのは十歳のあの日以来だ。リリアナはラジェスのそんな姿を見ながら考えていた。

 そう、昨晩。

 自分は怯えて安全な所に避難して縮こまっていたが、考えてみればどうだ。

 今自分が生きてるのは昨夜命を賭して戦って護ってくれた者達のおかげではないか。

 ラジェス教皇も吸血鬼の王を前にして戦う意思を見せた。

 なのに自分はどうだ。

 護られて怯えて怖がって……一番情けないのはあたしじゃないか!

「リリアナ?」

 何も言わないでいるリリアナにいぶかしげにラジェスが呼びかけると、リリアナは先ほどまでとは違う凛々しい顔つきを向けて

「教皇さま、私行きます。怖いのはみんな同じ……違うのは勇気だけ……。それなら私は昨夜戦ってくれた人達と同じように、私は私の使命を果たします!」

 まるで自分に言い聞かせるかのように宣言した。ラジェスはそれを聞き、安心したような表情になりつつも寂しげな表情も浮かべながら絞り出すような声で

「ありがとう、頼んだ」

とリリアナを抱き締めた。するとリリアナもラジェスの心情を読み取って

「お父さん、わたし頑張るね」

と先程とは違う温みのある声で抱き締め返した。

「ああ」

 涙声の父の返事を聞いてリリアナにも涙がこぼれた。

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