サザキとアラタカ

はやぶさみや (第一王子アラタカ皇居) 外苑がいえん


「くそっ……! どうしてこんなことに……」


 サザキが現状を嘆いて思わず口にした言葉は、奇しくもアラタカと全く同じものだった。


 現在サザキの兵はアラタカの屋敷を完全に取り囲んでおり、アラタカ軍を完全に制圧するのも時間の問題といった戦況だ。

 にもかかわらず、サザキの表情はまるで優れない。

 そもそも、この戦い自体がサザキにとって本意ではないのだから無理もなかった。


 カナトビ王の葬儀を終え、水面下にて王子たちによる王位争奪戦が始まったとき。

 第二王子サザキが第一手として打ったのは『ヒバリヒメの保護』だった。

 しかし彼女は第一王子アラタカの元へ身を寄せると言い、申し入れは断られる。

 その後、側近のヨズクの提案でアラタカとの会談の場をもうけようと動く。

 会談の段取りの一切はヨズクの仕切りで行われ、サザキは場がととのうのを待つだけだった。

 ヨズクはどうにかアラタカの側近――ソウガとの話し合いにこぎつけた。

 王子同士の前段階として側近同士での会談が行われることになったわけだ。

 ところが、その話し合いから戻ってきたヨズクから聞いたのは、信じられない知らせだった。

 話し合いとは名ばかりに奇襲を仕掛けられたというのだ。

 事実、ヨズクの体はひどく傷つけられていた。

 あまりに非道なアラタカの仕打ちに、サザキは挙兵を決意したのだ。


 しかし、いざ戦いが始まった今となってもサザキにはアラタカを憎む気持ちが起こらない。

 サザキの知るアラタカはだまちなどする人間ではない。

 確かにアラタカは臣下や民草たみくさから『大うつけ』などと揶揄やゆされてはいる。

 ただおろか者ではあっても卑怯者ひきょうものでは決してない。

 何よりアラタカは王位に執着しゅうちゃくなどないはずなのだ。

 ヨズクから聞いた話だけではどうにも実感が沸いてこない。

 ゆえにサザキはアラタカと直接会って話すことを望んでいた。

 

「確か……ヨズクの話ではこのあたりに……」


 アラタカの屋敷――はやぶさみやの庭にて、不意に立ち止まり辺りを見回すサザキ。

 そこに近付いてくる一つの影があった。


「サザキ! お前、どうしてこんなところに!?」


 背後からの聞き馴染なじみのある声にサザキは勢いよく振り返る。

 そこには全身に刀傷を負っているアラタカの姿があった。


「兄上……!」

 

 突如、目の前に目的の人物が現れたことに、サザキの中で喜びよりも当惑が先立つ。

 その心中はアラタカの方も同様のようで。

 二人の王子は驚きのあまり言葉を失ったまま、互いの顔を見つめ合う。

 それからサザキの方が先に口を開いた。


「兄上……あなたにはお聞きしたいことが数多くあります。

 しかし、まず真っ先に聞かなければならないことがある。

 なぜ騙し討ちなどと卑劣ひれつな手を使ったのですか?」


 サザキからの問いにアラタカの表情はさらに驚きを増し、それから何か納得したような面持ちになった。


「やっぱり……そういうことだったか。サザキ、お前はだまされているんだ。

 この戦いはオレの側近――ソウガとお前の側近――ヨズクが共謀きょうぼうして引き起こしたものなんだ」

「なっ……一体、何を言い出すのですか? 何を根拠に……」

「どうしてお前が屋敷の正面ではなくこんな場所にいるのか……当ててやろうか?

 ヨズクから抜け道の存在を聞いてきたんだろう?」


 アラタカの言う通り。

 サザキがはやぶさみやの庭に来たのは、ヨズクから聞いた屋敷内部へ通じるという抜け道を通り、直接アラタカの元へ向かうためだった。


「あの抜け道のことを知っているのは、今となってはオレとソウガ……後はトキジクのじいさんくらいのもんだ。

 お前がヨズクから抜け道の存在を聞いたという事実――それこそがソウガとヨズクが通じているという証拠だ」


 再び言葉を失ったサザキに対し、アラタカは自分の知る一部始終を話し出した。


 アラタカは自分の側近であるソウガに、妹の仇として恨まれていたこと。

 そこで今回の王位争奪戦に乗じ、サザキ軍の力を利用してアラタカを謀殺ぼうさつしようとしていたこと。

 ソウガはサザキ本人の懐柔かいじゅうは困難とみて、側近のヨズクの方を抱き込んだこと。


 アラタカが語った言葉はサザキの中にあった違和感を一つずつ消していった。

 一通り語り終えたアラタカは、最後に第一王子としてサザキ第二王子への要求を口にする。


「分かったか、サザキ? つまり、こんな戦いに何の意味もないんだ。

 頼む、今すぐ兵を退かせてくれ」

「……何の意味もない?」


 混乱の内にあったサザキだったが、アラタカのこの発言だけは聞き逃すわけにはいかなかった。


「そんなことはない。私が王になる上であなたはどうあっても倒さねばならない相手だからだ」


 サザキは己の得物――薙刀なぎなたの切っ先を兄へと突き付けた。

 サザキが薙刀を扱うのはヒノワ国内でも有名な話。

 眉目秀麗びもくしゅうれいな彼の優雅な演舞は、宴席えんせきの出し物として臣下たちに絶大な人気を誇っていた。

 しかし今目の前にいるサザキの構えからは『』の柔らかさなどは欠片もない。

 あるのは彼に似つかわしくない『』の硬さのみである。


「兄上。あなたの話はきっと真実なのでしょう。だが兵を退ける道理はありません。

 私が無様な傀儡くぐつだったというのなら、このまま踊り続けてみせるだけだ」

「……っ! ちょっと待て、サザキ!!

 お前はこんな形で王になって満足なのか? そうまでして王になりたいのか!?」


 アラタカはサザキが自分の話を信じてくれないことは想定していたが、話を信じた上で戦い続けることは予想していなかった。

 サザキは退く気は全くない。それを示すように構えを前傾ぜんけいへと移す。


「私は王に『なりたい』のではない。王に『ならねばならない』のです!」


 荷重をともなって繰り出されるサザキの突きを、アラタカは体をひねって何とかかわす。


「くっ……!」

「それでかわしたつもりですかっ!?」

 

 サザキは薙刀の石突いしづきをアラタカの脇腹へと叩き込む。

 たまらず悶絶もんぜつするアラタカに、サザキは攻撃の手を緩めず襲い掛かる。

 斬り・薙ぎ・払い――よどみなく繰り出されるサザキの連撃。

 すでに傷を負っているアラタカに反撃のすべはなく、どうにか急所を外すだけで精一杯だった。


「私は……私はずっと王になることのを期待されてきた!」


 サザキは己の攻撃の激しさに呼応こおうするように、封じ込めてきた感情もたかぶるのを感じていた。


「それもこれも……あなたが第一王子として、あまりに不甲斐ふがいないからだ!

 そんなあなたが言うにことかいて『そうまでして王になりたいのか?』だと!?

 誰のせいで……こんな……こんな……っ!!」


 とうとう倒れ伏したまま身動きすらとれないアラタカに、サザキは止めを刺さんと大きく振りかぶる。

 そして激情の一撃を叩き込む。


「私の人生は……兄上の尻ぬぐいのためにあるのではないっ!!!」


 サザキの最後の攻撃はアラタカの頭部――すれすれをかすめ地面へと突き刺さった。

 アラタカの黄土おうど色の髪が数本斬り飛ばされるほどの近距離。

 だが薙刀の刃は確実に外れて――否、外されていた。


「サ、サザキ……?」


 アラタカが見上げると上気じょうきしたサザキの顔が見えた。

 

「王になる気がないのなら、今すぐに王位継承権を放棄ほうきしてください。

 そしてこの国を離れ二度と私の前に現れないと誓ってください」

「……分かった。誓おう」

 

 サザキの降伏こうふく勧告かんこくをほぼ即答で受け入れるアラタカ。

 相も変わらず王位に何の未練みれんも見せない。

 そんなアラタカの態度にサザキはさらにいら立ち、顔も見たくないとばかりに背を向ける。


「では、さらばです。兄上……いいえ、アラタカさん。

 もうあなたと私は何の関係もない――赤の他人だ」

「お待ちください!」


 その場を立ち去ろうとしたサザキを引き止める第三者の声。

 声のした方を振り返れば、そこにいたのはサザキの側近――ヨズクだった。


「ヨズク……なぜそなたがここに?」

「そんなことはどうでもいいでしょう!

 ともかく国外追放など生ぬるいにもほどがありますぞ。

 今すぐにアラタカ王子に止めを刺すのです!!」


 アラタカを殺すよう力説するヨズク。

 サザキは再びアラタカの方へ向き直った。

 アラタカは多少は回復したのか、どうにか立ち上がろうとするところだった。

 しかしいまだに痛々しいその姿から目を切ってサザキは口を開く。


「そこまでせずともよいだろう。こんな人でも私の兄には違いない。

 私には……肉親を殺すことなどできない」


 先程までの憎悪が頂点に達した瞬間でさえ、サザキにはアラタカを手にかけることはできなかった。

 落ち着きを取り戻した今となっては到底とうていできるものではない。


「そうですか……分かりました」


 サザキの決断にヨズクは顔を伏せ小さくつぶやく。

 ヨズクに分かってもらえた安堵あんどと彼への申し訳なさを覚えるサザキ。

 ところがサザキは大きな勘違いをしていた。


「かくなる上は……このヨズク自ら!!」


 ヨズクはふところから小刀を取り出すと、文官ぶんかんとは思えぬほどの機敏きびんさでアラタカへと迫る!

 あまりに突然のことにサザキは自分の脇を過ぎ去るヨズクを見つめることしかできない。

 当然アラタカ本人もこの動きに反応できなかった。

 ヨズクの小刀はアラタカの胸に深々と突き刺さる――かに思われた。

 飛び散る鮮血。だが、その血はアラタカのものではなく――。


「ソ、ソウガ……!」

「ば、馬鹿な……なぜあなたが?」


 ヨズクの小刀が刺したのは、いつの間にかアラタカをかばっていたソウガだった。

 驚きのあまりヨズクは小刀から手を放し、そのまま後ろに蹴躓けつまづいて尻もち着く。

 それから初めて人を刺した恐怖が今更襲ってきたのか、真っ青な顔で嗚咽おえつをもらした。


「ヨズク……どうしてこんなことを……?」


 そんなヨズクを見下ろすサザキ。

 その視線に非難の色でも感じたのか、ヨズクは途端に大声を上げ始めた。


「くそっ……ワタシは何も間違ってなどいない。

 そうだ! ワタシは何も悪くない!! ワタシは正しいのだ!!」


 そのまま這いつくばるようにして立ち去るヨズクを、サザキはやはり黙って見送ることしかできなかった。


「ソウガ! おい、しっかりしろ!! お前……どうしてお前がオレを……?

 お前はオレを殺したかったんじゃなかったのか?」


 一方、致命傷を受け倒れるソウガを抱きかかえ必死に声をかけるアラタカ。

 ソウガは口からも血を吐きながら、絶え絶えに言葉をつむぐ。


「仕方ない……だろう?

 自分でもよく……分からんが……気付いたら……体が動いて……いたんだからな」

「ソウガ……」

「それに俺は……お前を殺したいなんて……思ったことは……一度もない。

 ただ……殺さなければ……ならなかったんだ……」

「……! どういうことだ?」

「それは……」


 アラタカの問いに口をつぐみ沈黙するソウガ。

 それは単に体力の問題か、それともこれからする話をためらっているのか。

 アラタカには判断することができない。

 やがてソウガはゆっくりと口を開き始めた。


「あの夜……お前を殺そうとした刺客は……ノウじゃない。俺なんだ」

「なっ……!?」


 ソウガの口から放たれたのはアラタカの想像もしていなかった真実だった。


「俺たちの家は……暗殺を生業なりわいとする……家系だった。

 お前に近付いたのも……その方が殺しやすい……からだ。

 ノウは……何も知らなかった。俺が……隠していたからだ。

 あの日……とうとう暗殺を実行……するよう命令され……俺はお前を……殺そうとした」


 アラタカとソウガの脳裏に、忘れもなしないあの日の出来事が鮮明によみがえる。

 そうして記憶を思い返すうちに、あの月明りもない暗闇でどうして刺客の攻撃を防げたのか、アラタカは思い至った。

 無意識のうちに反応できてしまうほどに、暗殺者の動きは見知ったものだったからだ。


「それじゃあノウは? どうしてあいつがあの場に……」

「あいつは……勘のいいやつ……だったからな。

 俺の様子から……あの夜……何をする気か……気付いていたんだろう」

「それなら……あのとき最期にあいつが笑っていたのは……」


 アラタカはずっと心にひっかかっていた謎の答えを知る。

 ただそのための代償はあまりにも大きかった。


「ずっと……怖かったんだ。ノウが死んだのは……俺のせいだ。

 だが……俺はその事実から……逃げたかった……それで……ずっと……言い出せ……なかった」


 とうとうソウガの目はうつろになっていき、話す言葉も弱弱しくなっていく。


「もういい、ソウガ。分かった。お前の気持ちは十分に分かった。だから――」


 アラタカは必死にうったえるがソウガは最期の力を振り絞り、己の主へ最初で最後の本心を打ち明ける。


「アラタカ……王になれ――」


 その瞬間、ソウガの全身から力が抜け、アラタカの両腕にはその重みがずっしりとのしかかった。

 

「兄上……大丈夫ですか?」


 サザキはアラタカの背後から、そっと言葉をかける。

 アラタカはソウガの亡骸なきがらを地面に横たえると、弟からの問いに力強く応えた。


「ああ。悪いな、サザキ。さっきの言葉は……撤回させてもらうぞ」


 そうしてゆっくり立ち上がると、振り返ってサザキの顔をまっすぐに見据える。


「オレは王になる」


 幼少の頃、幾度も『言わされた』言葉を、アラタカは己の意思ではっきりと告げた。


「お前やソウガのおかげようやく気付けたよ。

 オレもソウガと同じように、ノウの死から逃げていたことを。

 だがオレがあいつの……あいつらの命にむくいる一番の方法は……王になることだったんだ。

 王になって、二度とあいつらのような犠牲ぎせいを出さないようにすること――それがオレにできる唯一のつぐないだ」


 アラタカの決断を受けて、しかしサザキには返す言葉はなかった。


「兄上……私は逆に分からなくなりましたよ。

 自分が王になりたいのか? なるべきなのか? 

 そもそも、自分の側近一人の心さえ見抜けなかった私なんかが王になれるのか……と」

「……側近一人のことも満足に分かってなかったのは、オレも同じさ」


 サザキはヨズクが消えた方角を向いて、アラタカは視線をソウガへと落として。

 二人の王子は呟くように言う。

 それからアラタカは再度サザキを見つめて続けた。


「王になるために至らないところがあるのは、オレもお前も同じだ。

 これからさ。オレもお前もな」

「そうですね。

 一つ確かなことは、この気持ちのまま王になるべきではないということです」


 ゆっくりとうなづきながらサザキは微笑ほほえんだ。


「この場は兵を退きましょう。

 兄上、あなたとの決着を着けるのは私が自分の答えを見つけ出したときです」

「ああ、望むところだ」


 積年せきねん確執かくしつを越えて、兄と弟は和解を果たした。


「では、さっそ――くっ……!」


 だが一息吐く間もなく、直後にサザキの意識は急に遠のいていった。

 たまらず地面へ倒れ伏すサザキ。

 自分の体に何が起こっているのか理解ができず、ただ困惑するしかない。


「おい、サザキ! どうした!?」


 無傷のサザキの身を傷だらけのアラタカが案じる荒唐こうとうな状況。

 そこに追い打ちをかけるように二人の背後で爆発音が響き渡った。


「今度はなんだっ!?」


 アラタカが振り返ると、何とはやぶさみやが真っ赤な炎に包まれていた!

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