あじさいのオマージュ2

しお部

第1話 影葉(えいよう)

 走っていくよ、走っていくよ。急いでいくよ。傘なんか要らないよ。

 飢えているのか。乾いているのか。雨なんか一滴も降っちゃいないよ。


 すでにかなり遠くに去った子どもらの声と姿とが、むら消えて、耳に残る。耳に残る残影ざんえいは感覚を乱すから、いつかの僕らの疾走ともほしいままに混ざり合い心影を映す。とうに消失にあった声と姿と僕たちだ。消える定めとも知らずに、疾走の子どもらは絶えることなど気にせず声を張り上げ、あの頃の歓声に狂喜している。てんでばらばらに失踪したはずの者たち、その音だ。その影だ。照らされる。

 眩しさに日影を避けて葉叢はむらの日陰に逃げる私の遁走とんそう


 そこではゆっくりとゆっくりと光り始めたばかりの葉の雨粒が、嫌でもまた目を無理矢理にこじ開けてくる。闇がすべての世ならばめくらも居まいし、心の闇の盲目に盲信もうしんも罪もないが、ぶざまな狂信の道でも見えれば、迷わず走れもし忘れもするものを。光りだす雨粒を載せた葉が、闇に浮く蛍のように揺れているのだ、ここが限りだ。



 走馬燈というものがあるだろう。人に恥を思い出させたたうえで、その苦しみを癒す餓鬼、畜生の夜這よばいにももとる滑稽こっけいな光と馬の疾走だ。それを人のことなど考えもせず風が回すという。回燈籠まわりとうろう影燈籠かげとうろうに葉の影絵だけが冷たくしずかに回るのだ。

 一本道に迷い回る影絵のごとき私の影が、落ち葉の群れにも見える。影葉えいようの黒は前に映り、後ろに移り左右を廻って捕まらない。それがまた次第にゆっくりと離れていこうとするのだ。悲しいよ、悲しいよ。雨滴の葉は落ち、影に一瞬、蛍光を放つが勿論もちろん、すぐに影に染みて消える。




 妖精のほうきで掃き、魔法で落ち葉の散葉を群れにして山にして、一風で広げる絵画は油絵だ。薄手の衣裳と低気圧と風。間もなく鳴くだろうすべて累々るいるいたる雨蛙の合唱と大群と雨めがねの傷は八面玲瓏はちめんれいろうで却って明瞭。泣き声もみな、油絵で描かれてこそ、やっと匂いが加わると、自然の意匠いしょう、幻影のスタイル、拍と音と色とが、やっと脈絡に訓点をうって整う。




(つづく)



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