スナッフフィルム

工事帽

スナッフフィルム

 ミーン、ミンミン。などという音すら聞こえない都会の夏。

 暑すぎて出掛ける気力もない俺は、自室に引き籠ったままネットを見ていた。


「暑すぎだよな~」

「クーラーない時代ってどうしてたんだ?」

「海で泳ぐ」

「海遠いじゃん」

「じゃあ川」


 そんな状態でも通話アプリで友達と適当に駄弁ることが出来るのも時代の恩恵か。

 そうは言っても、自室にPCとネット環境を作ったのは最近のことだ。大学の授業が教室でやることが少なくなり、基本的に講義というものはネット越しの講義になってからの話だ。


「そういや、知ってる?」

「知ってる知ってる、何の話かしらんけどな~」

「知らねえんじゃねえかよ」

「んで、なんの話」

「スナッフフィルムって知ってる?」


 聞いてみるとそれは殺人の様子を収めた動画のことだった。

 テロ組織なんかが人質殺害の様子を動作サイトにアップしたとかで、ニュースになったのを見た覚えはある。見たのはニュースだけで、その動画は見ていないが。動画自体もすぐに公開停止されたらしい。


「犯罪じゃん」

「それがさぁ。動画も公開されたまんまだし、アップした奴も逮捕されてないんだってさ」

「ほんとに?」

「本当だって。動画も見つけてあんだから」

「え? 見たの?」

「見てない」

「なんだよ」


 見てないなら本当かどうかも分からない。公開停止されてないなら、噂だけのニセモノの可能性のほうがよっぽど高い。そんな話をしたところ。


「じゃあ場所教えるから見てくれよ」


 なんて言われた。

 自分で見ろと言い返したら、グロかったら嫌だと言ってきた。俺だってグロは嫌だ。

 なら見なくていいじゃないかと言う俺と、でも気になるという友人とで下らない言い合いをした結果、なぜか二人揃って見ることになった。

 通話アプリの画面共有をオンにして、ウィンドウを広げる。見えるのは友人のPCのブラウザだ。


「画面みえてる~?」

「見えてるよ」

「その動画ってのが、こいつな」

「サムネ真っ黒じゃねーか」


 そう、友人が示してみせた動画の画面。再生前のサムネと呼ばれる画像は真っ黒だった。多くの動画はアイキャッチとして、動画に登場する特徴的な場面をサムネに設定する。再生したいと思うかどうかは、タイトルとサムネで判断するしかないからだ。なのにこの動画のサムネは黒一色。再生させる気がないのか、それとも逆に釣りなのか。カラフルなサムネの並ぶ中にある黒一色は、異質で妙に目立つ。


「んじゃ再生するぞー」


 グダグダ言っていたくせにあっさりと再生を始める。さては俺を引きずり込みたいだけだったか。


 動画は真っ暗なところから少しだけ明るくなる。しかし、完全に明るくなることはなく、見えるのは夜の月明りのような僅かな光だけ。見えるのもシルエットのような輪郭だけで、それがなんなのか、すぐには分からない。


「なんだこれ」

「室内っぽい」


 言われてみえばそうかもと思える。

 画面がもう少しだけ明るくなる。

 輪郭がハッキリ見える。色も少しだけついて見えるが、まだ暗い。全体的に灰色な感じだ。


「あ、人がいる」


 画面中央の奥に人が見えた。座っているようだ。カメラが近づいて行く。

 背もたれも腕置きもある大きめの椅子に座っているのは、女性のように見える。腕置きの上にキッチリ腕を乗せて、首は項垂れている。髪に隠れて顔は見えない。


「縛られてね?」


 言われて目を凝らしてみれば、手首のところに何か見える。足首にも。


「鎖かな」

「多分」


 女性が身じろぎを始める。顔を上げたところでカチャカチャと鎖の音。一度止まる。顔が動いて視線が移動する。再び動き出す。カチャカチャという音が激しく響く。


『あ、あんた、何よ。どういうつもり、警察呼ぶわよ!』


 女性がカメラに向かって叫ぶと、カメラの後ろから男が現れた。手には刃物を持っている。包丁とは少し違う。両刃のナイフだろうか。

 男が近づくにつれて女性の叫び声は言葉にならなくなる。ガチャガチャという鎖の音が少しだけ聞こえる。


「あれ?」


 友人の声に我に返る。


「これ3Dモデルっぽい?」

「え?」


 慌てて画面を見直す。暴れる女性、近づく男。それはリアルっぽく見える。


「あ」


 一瞬、暴れる女性の手が椅子の腕置きにめり込んだ。


「マジか」


 3Dモデルでよく見る破綻だ。手足が服を突き破ってみたり、髪の毛が体にめり込んだりする。

 物理演算がどうとかで、解説している動画もあったような気がするが、よく覚えていない。3Dモデルを使ったものなら、動画でもゲームでも、大抵のものはどっかのシーンで貫通してる。莫大な手間を掛けた人気ゲームのリメイクでも、プレイヤーの動きによっては貫通して見えるシーンがあるくらいだ。3Dモデルは必ず破綻すると思っておいても良い。

 3Dモデルだと思って見れば、いろんなところにリアルとの違いが見て取れる。


「3Dモデルだな、これ」

「だよな」


 そうと分かれば話は違う。3Dモデルが血を噴いたり手足が落ちたりなんていうのは、今どきは珍しくもない。FPSやアクションゲームで攻撃が当たると血が飛び散るのは定番と言っても良い。

 画面の中では腕にナイフを突き立てられた女性が狂ったように叫んではいるが、すごい演技だなと思う程度だ。


「3Dモデル壊しても逮捕はされないよな」

「だよな」


 すっかり気持ちが冷めてしまった俺と友人だが、目の前の画面では足をノコギリで切り落とし、床には大量の血が広がっている。

 叫ぶ気力が尽きたのか、瀕死の演技なのか、泣き叫んでいた女性も静かになりピクピクと痙攣するように動くだけだ。

 それでも惰性で見ていると、ナイフが胴体に刺さる度にビクンと大きく跳ねていた体も反応しなくなり、動画は終了した。


「3Dモデルの割にはグロかったよな」

「グロかったな。あの叫び声とか結構耳に残ってるんだけど」

「お前が見たいって言ったんじゃん」

「そうだけどさ……」


 その日は、それ以上会話を続ける気もなくなって、通話を切った。


 友人と次に通話を繋げたのは数日経ってからだった。

 別になにがあったというわけでもなく、タイミングが合わなかっただけだ。別にあの動画もグロいとは言え、ただの3Dモデルだ。何日も引っ張るほど繊細には出来ていない。


「課題終わった?」

「全然」

「なんだよ。見せてもらおうと思ってたのに」

「ふざけんな」


 この数日は少し遊び過ぎたせいで、課題がまだ終わっていない。今もネットで必要な資料を集めている最中だ。丁度よさそうなのを見つけたところで、要点を抑えて自分で書き直す必要もある。ネット上のをそのままコピペで出した日には再提出は確実だ。


 記憶にも残らない程度の下らないことを駄弁りながら資料集めを続ける。情報が集まってきて課題で何を書くかの輪郭が見えてきたのは小一時間も経った頃だろうか。

 友人が話題を変えた。


「そういや、この前の動画なんだけどさ……」

「グロのやつ?」

「そう、それ」

「続きあっても見ないぞ」

「いや、そういうんじゃないっていうか、多分、続きは出ない」


 何を言いたいのかハッキリしない。少し沈んだ声が気にはなったものの、課題を終わらせるほうが大事だ。適当に聞き流しながら作業を進める。


 ペコン。


 間抜けな音がしてメッセージが届く。

 見ると今話している友人からだ。


「今送ったURL見てみ」

「あん?」


 確かにメッセージにはURLだけが書かれている。クリックすると自動的にブラウザに新しいタブが現れる。


「ニュース記事?」

「そ。昨日のやつ。読んでみ」


 見て見れば、それは殺人事件のニュースだった。いや、殺人と断定されてはいない。

 付近の住民が異臭に気づいて通報、男の部屋から死体が出て来た。そういう記事だ。この夏の真っ盛りの暑さだ、どこに置いていたのかは知らないが酷いことになっていそうだ。それこそ異臭で気づくくらいに。


「この記事がどうしたん」

「この前の動画、アップしたのがこの男っぽい」

「え?」


 もう一度記事を読み直す。

 一人暮らしの男、死体は女性と思われる。腐敗しているものの目立った外傷はなく、死因は不明。いや、これは、この男のコメントというのは。


「VRの中で殺したら、死んだ」

「そうらしい」

「この男が動画をアップした?」

「うん」

「じゃああの声は?」


 演技だと思っていたあの悲鳴は。


「多分」


 あの声が脳裏に蘇る。震えていた体はリアルの動作をそのままトラッキングしていたのか。ふらりと眩暈がする。


「おい? おーい」

「ああ、悪い。ちょっとクーラー付けて来る」


 都会の夏にセミの声はしない。

 脳裏にはただ、あの悲鳴だけが響いていた。

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