第42話 怒ってない。

「さて、行くか」


 どれくらい時間が経ったのか。


 彼女の涙が乾いたのを見て、俺は空き地を後にするべく歩き出した。


「あ、あの……今日は本当にごめんなさい。呆れましたよね。もう、何もしません。あなたを困らせるようなことは、何も。だから、その……」


 何を勘違いしたのか、彼女は慌てて言葉を練っていく。


「ああ? 何言ってんだ? 俺がいつ、そんな話したよ?」


「……え?」


「さっさと来いって。今日は俺の羽を伸ばすための会なんだろ?」


 ぶっきらぼうに俺が言うと、彼女はきょとんと真黒の瞳を瞬かせた。まったく、何をむつかしいことばかり考えているのだろう。


「ほら、さっさとする」


「は、はい!」


 促すと、小暮は慌てて俺の隣へ駆け寄る。


 それからおずおずと、まるでお伺いを立てるかのように俺の顔を覗き込む。


「お、怒ってないんですか?」


「怒ってない」


「や、やっぱり怒ってますよね?」


「怒ってねえっつってんだろ」


 なんだこの会話。まるであいつを相手にしているみたいな……。


 俺の手は自然と、彼女の頭に向いていた。黒くて綺麗な髪を、優しめに撫でる。手の位置はいつもより少し低く感じた。こんなことろで、二人の背丈の違いを意識する。


「ふぁ……」


「……っ、これでわかったかよ」


 気の抜けたような彼女の顔を見ていると恥ずかしくなってきて、俺はすぐに手を放しまた先を歩き始めた。


 小暮は一瞬だけ名残惜しそうにポーッとしていたが、すぐに慌てて俺を追いかけてくる。


「ま、待ってくださいっ。行き先知ってるんですかっ?」


「知らん」


「それなら先に行かないでくださいよぉ……」


 疲れたようにそう言って、彼女は少し頬を緩ませる。


 まだぎこちないまでも、彼女の表情が戻ってきた気がした。


 その表情を少しでも長く、たくさん見れたらと思う。


「……明日から、なんかあったら頼ってくれよ」


 小さく、呟く。


 俺が何を言ったところで、学校では今日の噂が蔓延するだろう。さすがにもう、優等生の小暮夢乃なんてものは壊れてしまうかもしれない。それはきっと、とても辛いことだ。彼女が築き上げたものがいとも簡単に崩れ去ってしまう。


 しかし小暮はさっきまで泣いていたとは思えない、あっけらかんとした様子で言う。


「大丈夫です。そんなこと、もうどうでもいいですから」


「……は?」


「今さっき、どうでもよくなりました」


 隣を歩く小暮がまた、俺の顔を覗き込むように見る。それはついさっき見た自暴自棄な表情ではない。


 久しぶりにも思える、彼女らしい柔らかい笑みだった。


「私って、なんであのキャラを守りたかったんだと思いますか?」


「いや、そりゃあ……」


 昔の自分を知られたくないから。それは、俺とも少し似ている。


 でもそれはきっと、付随するものでしかないのだろう。本当の気持ちはいつだって、大事な、心の奥底に隠されているのだから。


「私、にいられるのなら他なんて、他の誰かが言うことなんて、どうでもよかったんです。大切なのは見えない誰かじゃなくて、たったひとり。最初からそのはずだったんです。それが分かっちゃいましたっ」


 彼女は力強く言うと、今度は俺を追い越して駆け出す。


「ほらほら、行きますよ! デートはこれからです!」


「デートって……」


 おどけたふりをして自分が口にした言葉が今になって返ってくるとは。


 しかし今さら俺に何が出来るというのか。


 どうしたって、今の彼女を見て悪い気分であるはずもない。



 ————笑ったらきっと可愛いのに。



 キザで大馬鹿な、どこかのクソガキが言った気がする言葉。


「まぁ、間違っちゃいないけどな」


 急かすように手招きしながら笑う彼女は、どこからどう見ても魅力的な、可愛い女の子だ。悲しい涙なんかよりも、いっぱいの笑顔を。


 俺は彼女に追い付くべく、少し歩みを速めた。



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