第41話 ぜんぶウソだったのか?
駅前を離れて、とある空き地で俺は彼女の手を放す。力なく、彼女の手はするりと宙を切る。お互いに息も上がっていた。
空き地に人はいなかった。休日だというのに、寂れたものだ。あの頃の面影ははなく。駅前のような喧騒もなく。先ほどの男たちも、追ってきたりはしていない。
息を整えている彼女に、俺はそっと視線を向ける。
それに気づいた彼女は逃げるように瞳を逸らしてうつむいた。
「で? これはなんだ?」
「……ぇ、えっと……その……」
小暮はうつむいたまま、親に叱られる子供のように縮こまる。
「いや、これだぞ? これ。こっちを見ろ」
「……それって……私が書いた……」
「ああ。俺はこれについて聞いてる」
ぴらぴらと、店長からもらったその紙を俺は見せびらかす。
「店長は羽を伸ばしてこいとかって言ってたけど……どういうことだ? 小暮と二人で出かけるとかってことでいいのか?」
俺はわざと、あっけらかんとしながら問う。
彼女が店長を利用して俺を嵌めたとか、そんなことはもういい。どのみち、こんな状態の彼女を放っておくことはできないだろう。
「どっか行くのか? もしかしてデートってことになるのかな。小暮とデートとか、誰かに見られたら全校男子から恨まれそうだなぁ」
怖い怖いとおどけて見せるが、小暮の表情は晴れなかった。
「……どうして」
「あ? なんだ?」
「どうして、聞かないんですか。さっきのこと。私、あなたに隠してました。何もかも」
小暮の声は小さくて、ひどく震えていた。髪を撫でるそよ風にさえも怯えているのではないかと言うほど、今の彼女には生気が感じられない。
夏の日差しはジリジリと、彼女を焼き焦がすかの如く照り付けていた。
「……隠してた? それの何が悪い?」
「ぇ……?」
「べつに、人間誰しも隠し事くらいあるもんだろ。性格だって、話し方だって、何だって、相手によって使い分けるもんだろ。俺だって瑞菜に言われたよ。学校で見る俺と、瑞菜の前の俺は全然違うって」
昔の俺と、今の俺。それだってきっと混在しているのだろう。どんなに嘆いたところで、過去を切り捨てることなんてできないのだから。
それはきっと、彼女にとっても。
「で、でも私は! 本当の私はあんななんです! ガサツで、短気で、男勝りで、喧嘩ばっかり強くて……こんな私、あなたにはもう見てほしくなかったのに……っ!」
それでも、彼女は叫ぶ。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「そもそもさ、俺は小暮が本当の自分を隠していたとは思っていないよ」
「そんなことないです。ないんです……っ。あなたの前で……私は……っ」
「じゃあ、俺に言ってくれたことはぜんぶウソだったのか? 笑ってくれたのも全部、ウソだったのか?」
「……っ」
その問いに、小暮はきつく顔を歪める。
「……それは。それは……違います。それだけは、本当に……私は、あなたと話すのが楽しくて……っ」
それだけ聞ければ、十分だ。あとはもう、確信を持って言えるから。
俺は泣き崩れそうな小暮に笑みを向ける。
「大切なことは、心で見る。俺は『星の王子さま』、結局まだ読み返せてないからさ。これは俺にとって小暮の言葉なんだ。そしてそれは、ちゃんと響いた。小暮の言葉が、俺には届いた。だから、俺も心で見るよ」
そう、そうだ。転校してきた俺が、故郷に戻ってきた俺が見た彼女。
俺の理想を映していた彼女。それはきっと、あいつとは真逆に変わった彼女。
純愛を求めて彷徨い続けていた俺が初めて、見つけたと思ったんだ。
そんな彼女が幻想だったなんて、あり得ない。
何が、本物の小暮夢乃なのか。俺だって、当然考えたさ。その問いは持っていたさ。でも、今は心の底からくだらないと思う。
学校で見られている優等生の彼女なんて知らない。文武両道の彼女なんてどうでもいい。
表面的な、誰かの評価なんて知ったことか。
確かな何かなんて、俺の心はずっと見ていたはずだ。
理想も何も、関係がない。
俺はあの図書室で。
煌めく真黒の瞳を細めながら、柔らかい微笑みを向けてくれる彼女に恋をしたのだから。
「小暮夢乃は、どこで何をしていようと小暮夢乃だ。俺にとって、それは揺るぎない事実だ」
俺が見ていた彼女が、俺にとっての本物だ。
「それにさ、思い出したからな」
「祐樹くん、それって、まさか……」
「だから、俺に隠すことなんて何もねえよ。それでも隠したいなら隠せばいいし。隠さなくたっていい。ぜんぶぜんぶ合わせて、小暮夢乃だ。俺の心はちゃんと、それを知ってるから」
「あ、……あぁ……、ぁ……っ」
小暮は力が抜けたように地面へ腰を下ろし、こらえ切れない涙をボロボロと流した。
嗚咽を漏らしながら、およそみんなの知っている優等生の小暮夢乃とは思えないぐちゃぐちゃの顔で。
人には誰しも、隠したいことがある。それは俺だって同じこと。
彼女が隠したかったひとつの顔。それを見た俺が、彼女を思い出した。まったく、何もかも上手くいかないものだ。
——――彼への侮辱は許しません。
彼女が激昂した理由。
――――私は、そういうキャラですから。
彼女が変わることを選んだ理由。
俺が今考えていることは、まだ予想の範疇を出ない。
俺は結局、その予想が真実であってほしくはなくて。でもそれを否定できないだけの材料が揃っていることにも気づいていて。
もう、何もかもが遅いことも知っていて。
心が悲鳴を上げるかのようだった。
それでもただひとつ。少なくとも、確かなこと。
ため込んだすべてを吐き出すかの如くむせび泣く彼女の心根はどうしようなく綺麗で。美しくて。俺のくすんだ心を彩った。
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