第26話 想いを断ち切る。

「……なんで、そう思うんだ?」


 問いかけると、瑞菜は優しく笑みを浮かべた。


「なんとなく。なんかね、いつものゆうならこんなふうにわたしを構ってくれないだろうなって。いつもなら、ふざけんなって言ってそれでお仕舞いだった気がして」


「それは……」


 たしかに、そうなのかもしれない。いくら俺がお腹フェチだと言っても、あんなふうに欲望のままに動くのは俺らしくない。そんなのは、あの夜だけで十分だ。


 それに何かあったかと問われれば、それはあったと答えざるを得ない。


 小暮夢乃こぐれゆめのとの邂逅だ。


 俺はあの一連の邂逅で、ひとつの想いを振り切ろうと走った。


 けれどそれは俺が思った以上に、心に負担を強いることだったのかもしれない。


 瑞菜は今一度、俺に問い投げる。


「ゆう、何か……あった?」


 瑞菜はいつになく優しく、俺に語り掛ける。


「……ああ。あったよ」


「何が、あったの?」


「それは、……それは、まだ言えない」


「そっか。まだ、かぁ」


「すまん」


 時間だ。時間が、まだ俺には必要なのだと思う。


「むかしも、一回だけ膝枕してあげたね」


「あったか? そんなこと」


「うん。あのときも、ゆうは、ゆうくんはね……」


 瑞菜は思い返すように目を閉じて、俺の頭を撫でる。


 そんな瑞菜を見て、俺も思い返してみた。捨てようとした昔の記憶を。


 それはたぶん、小学校の中学年くらいの頃だ。一度、上級生とのいざこざがあった。といっても、逆らったのは俺だけで。身体の大きい上級生に適うはずなどなくボコボコにされた。


 そして力尽きた俺は気づいたら泣きじゃくる瑞菜に膝枕されていたような。


 瑞菜の涙が頬に落ちてきて。それが少しだけ傷口に染みて。なんでおまえが泣いてるんだよって、そんなことを思った気がする。


 あれは、なんでだっけ。なんであんなことを、俺は……。


「ねえ」


「……なんだ?」


「……ゆうが苦しいのは、苦しんでいるのはきっと……わたしのせい、だよね?」


「瑞菜……」


 違うとは言えなかった。だって確かに、瑞菜に対して言いようもない気持ちを抱いた俺はいるのだから。


 でもそれと同時に、もっともっと違った場所で。幼馴染を、瑞菜を大事に想っている俺がいる。


 思い出したのは、一冊の本。ぐちゃぐちゃに踏みにじられた、瑞菜の本。公園でさえ大事に抱えていた一冊の本だ。


 だから。そうだ。違うんだ。瑞菜のじゃない。


 俺は瑞菜のに、闘ったんだ。たったひとりでも、闘うんだ。


 なんだよ、少し格好いいじゃねえかよ。昔の勘違い野郎な俺も。


 だけど、昔の自分ではいられない。あんな自分はもういない。


 だから、苦しむ。幼馴染である彼女に対して、ずっと適当な、こんな宙ぶらりんな態度ではいられないから。


 苦しんで、苦しんで、それでも、答えを出したい。


 今の俺は、今の瑞菜のために、そうするんだ。


「ごめんね。ごめんなさい。わたしのせいで。たくさんたくさんたくさんたくさん、ごめんなさい。……でも。でもね、…………ありがとう。うれしい」


 瑞菜はまた、涙をこぼす。


 俺への謝罪の涙。感謝の涙。喜びの涙。あの夜、あの言葉を聞いてしまった俺には瑞菜の気持ちがある程度は推測できてしまう。


「わたしは、ゆうのことが好き。ずっと大好きだからね」


「……っ」


 はたと、瑞菜は再び想いを告げる。


 だけど俺にはまだ、それへの正しい返答が見つからない。


 あの日、俺は当時のムカつきとか、色んな気持ち――正直な想いを込めて「好きなわけねえだろ」と言った。


 そして俺は俺なりの純愛をまだ探し続けようと、そう思った。


 だけど俺はあの時、何にもわかっちゃいなかった。わかっているつもりで、分かっていなかった。


 何が、まだ探し続けるだ。それが不可能であることを、今日、俺自身がこの身をもって知った。


 俺の歩む先にはもう瑞菜しかいない。ルートはもう、決まっている。ほかへ進むことを俺自身が許さない。あるとしたらそれは瑞菜にさえ愛想をつかされる、それのみだ。


 それなのに、俺は未だに半端で。わかっているのに。心はそう簡単に言うことを聞かない。


「瑞菜、俺は……」


「いいよ。いいんだよ。でもその代わり、今はこうさせて」


 瑞菜は優しく、優しく、俺の頭を撫でる。慈しむように、俺の頭を抱く。


 なぜか、少しだけ涙が零れた。


 瑞菜は、俺を好きだと言ってくれる。


 こんなにどうしようもない俺を、撫でてくれる。


 それはどんなに幸せなことだろう。「好き」と言ってくれる女がいるんだ。


 それが例え、自分が好意を寄せていた相手じゃなくとも。


 例え、その伝え方が、行為が、酷く歪だったとしても。


 それはきっと、幸せだ。


 世界でたったひとりいればいいんだ。70億の中で、たったひとり。


 そんなたった一人を一生愛する様な生き方が、俺はしたくて。

 

 それなら。いや、それでも……純愛厨として、この選択は正しいのか?


 身体から始まる恋愛? 

 そんなのやっぱり。やっぱりそんな恋愛はクソくらえだ。あり得ない。何度だって言おう。


 間違っている。


 出会って。恋をして。想いを伝えあって。恋人になって。そしていつか、身体を重ね合って……。ずっと一緒にいて。なんでもない幸せを、愛を、誓いあう。


 身体を重ねるなんて、そんなことは膨大な時間の果てに生まれるもので。快楽だけのものであってほしくはない。それは愛があって初めて成立するものだ。


 青臭いと、夢見ていると、気持ち悪いと、何と言われようがそれが俺の理想の純愛なんだ。


 それが正しくないと言われる世界なんてなくなってしまえばいい。


 だけど、それと同時にやっぱり俺は瑞菜のな想いを知っている。それが、ずっと抱え続けたものだと知っている。


 そこに、俺の知らない純愛の形を見たような気がしてしまったんだ。


 見れる日が来るような、気がした。


 だから。


 だから今日、この日。


 俺は小暮夢乃こぐれゆめのへの想いを断ち切る。


 理想を、断ち切る。


 俺は俺の進む方向を改めて、たったひとりの彼女の元へ定めた。


 この歪みの中で純粋なる愛を君へ。そう遠くない日に、伝えるために。


 この時間を正面から受け止めよう。


 導く答えはもう、決まっているのだから。


 


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