第2話 転生

 あれから四十年が経った。俺も何度か生死を繰り返し、今また白い子犬となってペット屋の店先に並んでいた。雑種の為、値札は二万円となっている。真っ白で愛くるしい俺は人気があったが、俺とそっくりの兄弟の四匹はさっさと売れてしまったが、何故か俺だけが最後に残った。

 ある日、女の子がやって来て、俺を熱い目で見つめた。女の子と言っても高校生くらいだろうか。

 その後ろに居る父親の顔を見て俺は驚いた。四十年前、俺を葬ってくれた兄弟の弟の方だったからだ。子供の頃の面影が残っている。何より俺の鼻がそうだと言っている。彼は既に五十才前になっていた。

 彼は、なけなしの小遣いをはたいて私を買った。当然、俺がシロだとは気づいていない。


 四十年前俺が死んでから、彼の家が犬を飼う事は無くなった。家のトラウマとなってしまったのだろう。無理もない。

 しかし、その彼が何故犬を飼おうと思ったのか。時が経って俺の事を忘れてしまったのか。それとも、俺への贖罪の気持ちから、白い犬をかわいがろうと思ったのか……。

 後で知った事だが、彼は、半年前十四になる男の子を病気で亡くしていた。だから、家族が傷心の最中に会った事は間違いない。女の子が癒しをペットに求めたのも頷ける話である。


 彼は、手製の犬小屋を作ってくれた。入り口には「MAY」と書かれてあった。そう、私の名前は「メイ」五月に来たからだと言う。少し女っぽいと思ったが、有難く受け入れた。

 

 新しい生活が始まった。俺は狭いところが苦手だ。せっかく彼が作ってくれた犬小屋も俺には快適な場所ではなく、いつも小屋の外で寝た。当然、雨の日や、寒い日は止む無く入るしかなかった。水は大嫌いだった。

 この家には、五×十メートルほどの広い庭があった。コンクリートではなく、黒い土に雑草が生えていた。彼は、運動不足を心配してか五メートルの長い綱を俺に着けて、自由に動けるようにしてくれた。どうやら、散歩に行くのが面倒くさいというのが本音のようだ。ともかく、俺は庭中を走り回る事が出来た。狭い所に繋がられっぱなしでは息が詰まるから有難かった。


 食事は安めのドッグフードだ。それに慣れてくると、何故か、俺の食欲は無くなって、食べなくなった。心配した彼は、少し高めの肉缶をカリカリに混ぜてくれたので俺の食欲は回復した。人間で言えばご飯ばかり食べさせられている気分だった。おかずが欲しかったのだ。「舌ばっかり肥えやがって、この肉高いんだぞ」ご主人の目が、そう言っていた。


 彼の家族は、妻と娘の三人だ。奥さんは犬嫌いとかで、あまり私を相手にしない。娘は良く世話をしてくれたが、散歩はあまり連れて行ってくれなかった。似た者親子である。


 あれは、この家に来て一年余り経った冬の事だった。俺は、前の道を仲間が通るたびに綱を千切れんばかりに引っ張った。何時しか綱は劣化して、終にはぷつりと切れた。暫くして、俺は自由の身である事に気が付いた。

 俺は、胸をワクワクさせながら家の外に出た。道路には自動車とかいう鉄の塊が煙を吐いて走っていた。あれにやられたらひとたまりもない。俺は車に注意しながら、足の向くまま彷徨った。

 家では、俺が家出をしたというので色々と探しまわって、大変な事になっていた。だが、二日が過ぎ三日になっても俺は帰らなかった。

 それもそのはず、俺は二日目の昼に保健所の職員に捕まっていたのだ。七日目には殺処分されることを俺は知らなかった。仲間がどんどん減って行き、六日目が来た。

 誰かが、やってくる。この匂いは? 彼の娘と奥さんが迎えに来てくれたのだ。娘は涙を流して喜んでくれた。俺も泣きそうになり、甘え声で鳴いた。

 なんでも、必死の捜索をしている時、娘の友達が「保健所に電話してみたら?」と言った一言が俺の命を救ったようだ。

 九死に一生を得た俺は、帰ってご主人に叱られた。だが、最後には優しく頭を撫でてくれた。


 彼は、製鉄所に勤めるサラリーマン、三交代勤務をして俺たちを食べさせてくれている。平社員だというから、真面目ではあるが、あまり仕事熱心ではないようだ。休みの日には散歩に連れて行ってくれる。俺は嬉しくて、力任せにグイグイと引っ張って歩いた。距離は一キロくらいで直ぐに散歩は終わってしまう。それでも俺にとっては楽しいひと時となった。


 ある時、いつもの様に長い綱を引きずりながら、気儘にウロウロしていた。ふと、囲いの塀の板が外れかけて外の景色が見えていた。興味津々の俺は、その中に顔を突っ込み外へ出ると、そこはジャングルのように木が生い茂った別世界だった。塀の脇には、一メートルほどの高さに、刈られた草や木が積みあげられていた。それを駆け上がると塀の上に頭が出て、いつもうろついている庭が見えた。

 俺はもっと近くで見たいと、板塀の上に手を置いた。次の瞬間、俺は、足を滑らせて塀から落ちてしまった。高さは一メートル位で問題は無いと思った刹那、俺の首はガクンと絞めつけられた。綱の長さがいっぱいになって首吊り状態となったのだ。俺は必死にもがいたが、辺りに人はいなかった。ああ、万事休す。


 暫くして、家族の者が見ると、塀に首輪がぶら下がっているのを発見して、またもや大騒動になった。

 あの時、苦し紛れに暴れていると、首輪が緩かったことが幸いして、頭がスポッと抜けて助かったのだ。運が良かったというべきか。

 御主人たちは、俺の捜索を始めたが、俺も馬鹿ではない。前の教訓を生かして今度はお腹がすくと大人しく家に帰った。今度はあまり叱られなかったが、綱の位置が変えられ、俺の身体が塀に届く事は無くなった。

 以降、数度の脱走も無事帰還。俺は十五年生きて長寿を全うした。



 死ぬ数日前、俺は何も食えなくなっていた。日に日に体力がなくなり、終には立てなくなった。

 娘が、暗い納屋では可哀想だと家の玄関に布を引いて寝かせてくれた。娘はしきりに何かを唱えている。俺の回復を懸命に祈ってくれていたのだ。

 娘が様子を見に来た時、俺は最後の力を振り絞って立ち上がり、ドアに向かって座った。

「メイ、立ち上がれたんか?」

 娘の顔がパッと明るくなった。娘は、俺が外を見たいのだと思ってドアを開けてくれた。

ドアの外には、十五年間暮らした、緑の庭が広がっていた。

 俺はグッと一歩踏み出した。だが、力なくその場に崩れ落ちてしまった。娘が泣きながら俺を抱き起してくれた。そして数分後、俺は帰らぬ犬となった。


 シロであった頃の事を思えば、十五年間可愛がられ、彼の娘に看取ってもらったメイとしての犬生は、どれだけ幸せだったか感謝は尽きない。

 

 彼の一家も、子供の死から立ち上がり、今は、未来に希望を持って生きている。それが何より嬉しい。少しではあるが、俺も彼らの人生にエールを送れたと自負している。

 俺がシロだと知っているのは、ご主人だけだ。俺は彼の中で永遠に生きるだろう。



    面白き 永久の命の 巡り会い

                   一月七日 メイ辞世の句

 

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俺はシロ 安田 けいじ @yasudk2

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