支配の藻屑 妖怪「尾根返し」
神に届いた「お願い」
秋風の吹く頃。
深夜1時を回った都内のコンビニで一人の客がレジで買い物をしている。
「150円のお返しになります。お願いします。」
その客は釣銭を受け取ってから、嘲笑をうかべて店員に訊ねた。
「は?お願いって何?」
店員は固まり、ぎょろっとした目で客を見つめ、動かなくなってしまった。よく見ると頬が痙攣している。
「何だお前。」
客は店員を睨みつけながら去った。
—————この様子を、天界で三人の神が眺めていた。
華厳が呆れ顔で言った。
「また人間がどうでもいいことで喧嘩してるね。」
座っているソファで長い脚を組む。
迦琉が口を開いた。
「殺伐としてるね。私が何とかしないといけないか…。」
迦琉は無垢を司る神として、人間が純粋な心を失わぬよう見守ることになっている。
「お、やる気だね?」
華厳はニヤニヤしている。
横で命琉がちらりと迦琉を見た。
「あの子達の出番だね。」
迦琉は何やら得意げな表情だ。
迦琉と仲間たち
「準備していたものがあるんだ。」
「ほお。」
迦琉が奥のほうから大きい籠を持ち出してきた。
そして床に置きゆっくりと開くと、中からぞろぞろと沢山の鼠が現れ、やがて迦琉の前に整列した。
それぞれが、筆記用具や裁縫道具、調理用具など様々な道具を持っている。
「面倒なお仕事を伝ってくれるように育てたんだよ。可愛いでしょ。」
「ふふふ。名前は?」
「引受鼠っていうんだ。」
迦琉は目を細くしてにっこりと笑っている。
「引受鼠達があちこちで手伝いをすれば、きっと人々の心も穏やかになるよ。」
「あまり人間を甘やかさない方がいいと思うけどね。」
「いいからいいから!」
————こうして、引受鼠が人間界に送り込まれることになったのだった。
無理矢理
迦琉は、人間界の助っ人として引受鼠を送り込んだ後しばらくして、人間界の様子を眺めた。
今回は華厳と二人だ。
「命琉は?」
「任せるって。」
「そっか。」
どうも人間界に変化がみられない。
調べたところ、引受鼠達は、都内のある場所に集中して集まっていたのだった。
「ここに固まってる。どうしてかな。」
引受鼠達が集まっていた場所は、勝狩医療機器と呼ばれる、医療機器の製造と販売を手がける会社の事務所兼作業場であった。
勝狩医療機器は、創業50年程になる老舗の企業だったが跡継ぎがおらず廃業しかけていたところを、勝狩一朗という男に購入され、事業を続けていたのだった。勝狩はとある企業のサラリーマンだったが、ある時、勤めていた会社を辞め、貯めた貯金でこの会社を購入すると共に名称を勝狩医療機器と改め、取締役に就任したということだった。
勝狩医療機器の作業場では、人間に仮装した大勢の引受鼠が働いていた。
引受鼠たちの前に勝狩が現れた。
勝狩は、やや大きめの紺色のジャケットにオレンジ色のネクタイを締め、頭髪の両サイドをきっちりと刈り上げて頭頂部を何かで固めている。
事務所に大きな声が響き渡った。
「それでは、皆さん。今日も、お願いします。」
「今日は何をお手伝いすればいいんですか。」
「自分で探してください。お願いします。」
「あの、ご指示がありませんと…。」
「そこはご提案をお願いします。ともかく会社に貢献して下さい。」
「いや、お願いと言われましても…。」
「もうお願いしましたから。それでは、お願いします。」
引受鼠達は、両手で道具を握りながら、呆然と立ちつくしている。
「無理矢理だね。」
華厳が肘掛けに片肘をついて言った。
「お願いしますって言いたいだけのような…。」
「だから引受鼠が集まったんじゃない。解散させたら?」
迦琉はじっと見ている。
「こいつは妖怪だね。」
「勝狩一朗?人間に見えるけど。」
「えーと、確か…。」
横暴に忍び寄る影
迦琉と華厳の座る椅子の正面には、人間界を映す大きな鏡「神の鏡」がある。
迦琉はやや椅子から身を乗り出した姿勢のまま、細い人差し指で中空を叩いた。
「前に見たんだよね…。」
すると、神の鏡から別の映像が浮き出して、一匹の妖怪が表示された。
名前は尾根返しとなっている。
「こいつだ。」
説明はこうだった。
尾根返しは、鶏の姿である。岩のような巨体に太い人間のような腕が二本付いており、羽はいつも閉じている。人の上に立ちたがり、集団で山頂に集まってはお互いを蹴落とす。「尾根返します」と鳴く。人に取り憑くことがある。
「尾根返しが勝狩の肉体を乗っ取ったってこと?」
「多分そう。確認しよう。」
迦琉は、勝狩の映像を見ながら、神の鏡に向かって指を反時計回りに回転させた。
映像の時間が巻き戻る。
「ここかな。」
すると時計の針はある時刻を指し、映像は数年前に戻った。勝狩が会社を立ち上げる頃のものだ。
映し出された場所ははあるワンルームの部屋である。
若い頃の勝狩が、机に向かって何か独り言を呟きながら、机を掴んで大きく前後に揺らしている。
鬼気迫った表情だ。
「お願いしますが言えない奴は、クズだ!」
「俺は、人を使う側の人間だ!その事を証明してやる!」
「絶対に!俺が!頂点に立つ人間であることを!分からせてやる!」
机の揺れが頂点に達したところで、上段に並べてあった本が落ちて重なった。
勝狩は動きを止め、焦点も定まらぬまま、額に汗を浮かべている。
華厳が苦笑した。
「可哀想に。」
迦琉は目を丸くしている。
「…自分を偉く見せたいってことかな。」
「こういう心理は、あまり分かりたくないけどね。」
「周りの人たちの心が荒れそう。」
「まあ、他人から見たら迷惑だろうね。どうせ見せ掛けたいだけでしょ。」
「引受鼠達、大丈夫かな。」
すると勝狩の背後に何かが映った。
勝狩はそれに気づいたのか、後ろをふり向く。
窓枠がカタカタと音を立てていた。
正体
「やっぱり来た。」
「何?」
「こういう人には、尾根返しが挑戦してくるはずなんだ。」
「ほお。」
「ほらほら、黒い影が見える。これが、尾根返し。」
「あー、いるね。」
窓の外の人影のようなものが消え、窓枠を揺らす音が止まった。
ここは12階だ。
勝狩が目をこらすと、そこに見えるのはマンションの明かりと薄暗い空だけであった。
勝狩は立ち上がり、音のした方にゆっくりと近づいて、窓を勢いよく開けた。
急に強い風が吹き込む。
散らばった本がばさばさとめくれている。
勝狩が慌ててドアを閉めた。
足下に一羽の鶏がいる。
気づいた瞬間、鶏は勝狩の身ほどに大きくなり、胸のあたりから太い二本の腕を突き出した。
勝狩は、咄嗟に逃げようとしたが後ろから羽交い締めにされ窓に押しつけられてしまった。
「やめて…下さい。お願いします。」
「止めなイ…デ…下さイ…。…尾根返します。」低い声が響く。
勝狩が窓の外に向かって叫び声を上げた。
「誰か!警察を呼んでください!お願いします!」
尾根返しは、ゆっくりと両手で勝狩の首をつるし上げた。
勝狩の両足が地面から浮き始める。
「おろ…して…。お願いします。」
尾根返しの真っ黒い目がじっと勝狩を見据える。
「…静かニしテくだサい。尾根返します。」
勝狩の両目はさらに大きく開かれた。
「俺が…、お願い…す…る…。」
目には血管が浮き出ている。
次の瞬間、鈍い音とともに、勝狩の首がだらんと垂れ下がった。
殺風景な部屋、腕の生えた鶏、そして、吊された男。
高速を走る車の灯りが動く。
尾根返しは勝狩を床に勢いよく投げ捨て、小さくガッツポーズをした。
「何あのポーズ。」
突然、尾根返しが喉を押さえ苦しみ始めた。
「え…?」
尾根返しが動きを止めると、その口から何か細長いものが飛び出した。両目からは大きな魚の鰭が突き出し、勢いよく動いている。
「何あれ…、キモい…。」
「貸して。」
華厳が拡大すると、口の中から伸びているのは細長い魚のようなものだった。
付近に説明が浮かび上がる。
名称 麦草魚
特徴 妖怪や人間に取り憑いて、一つの事しか手に付かなくさせてしまう妖怪。
次の瞬間、尾根返しは勢いよく勝狩の口の中に滑り込んだ。
勝狩がむくりと起き上がった。
お願いもほどほどに
「大丈夫かな、引受鼠達。」
「どうかな…。様子をみよう。」
迦琉が助っ人として人間界に送り込んだ引受鼠達は、その後も従業員として働き続けていた。
「おはようございます。勝狩さん。」
「お前、高そうなジャケット着てるな。ちょっと貸せよ。お前はTシャツだろ。」
「いや、これ、私のものですから。」
「俺が!お願いしたよな!」
「す、すいません。」
「おはようございます。勝狩さん。」
「おはよう。君、これ調べてもらえないか。」
「あの…、これは以前もお調べしましたが。お忘れですか。」
「何度でも調べろって意味だよ。」
「そこの資料を見れば書いてありますから。」
「俺が!お願いしたんだぞ!」
「お呼びですか。勝狩さん。」
「君、今月は我が社も赤字だ。給料は後払いで頼む。」
「いや、それは困ります。」
「お願いします!」
「おはようございます。勝狩さん。先日の商談ですが、先方から依頼書を送ってくれと言われています。どうしますか。」
「依頼だと!俺がするに決まってるだろう!」
引受鼠の一人が、たまりかねてこう伝えた。
「勝狩さん、もう少ししっかり、お願いしますよ…。」
「俺に!お願いするな!」
再び、天界では迦琉と華厳がこの様子を見ている。
「もう限界だね。」
「引受鼠達に悪いことしちゃったなあ。」
迦琉は、急いで天界に帰還するよう、すべての引受鼠達に命じた。
引受鼠たちが天界に帰ってしまった後、勝狩の会社は何もすることができなくなってしまった。
新しい人が働きに来ても不満を並べたててすぐ辞めてしまう。
残された最後の従業員は、古い勝狩の友人であった。
勝狩を見かねて、手伝ってくれていたのだ。
「君ね、我が社の広告は、いまいちだよ。」
「はあ。」
「もっとこう、ドンと、ないわけ?ガッツポーズを決めたくなるようなさ。」
「あまり大げさなこと言わないほうがいいですよ…。」
「おい、俺に指導するのか。」
「いや…。」
「だったら!他社の品質は最低です!とか!ドカッと!書いておけよっ!」
勝狩の会社のサイトには、商品の説明欄に他社製品への不満が大きく書かれるようになった。
そして、その最後の従業員は、会社を辞めていった。
妖怪退治
「あー、そこを何とか…。お願いしますよ。」
ビル陰で勝狩がスマートフォンを片手に大声で話をしている。
不意に一人の男が側に寄ってきた。
「あのさ、俺、こういう者だけど…」
警察手帳を見せながら男が続ける。
「君、誰?」
勝狩が咄嗟に逃げだそうとすると、男は素早く勝狩の腕をつかんだ。
「はい。逮捕。」
「何ですか?警察ですか。」
「そう。特殊なやつだけどね。」
「止めて下さいよ。尾根返します。」
「駄目。」
警官が勝狩を睨みつけた。
警官は勝狩と視線を合わせて瞳の奥を見据え、お互いにじっと動かない。
「…お前、妖怪だろ?」
警官の視線が鋭くなる。
急に勝狩が苦しみだし、口から尾根返しが飛び出した。
飛び出した尾根返しは地面にうずくまって苦しみ、やがて動きを止め消えていった。
勝狩は地面に横たわっている。
間もなく他の警察が現れ、勝狩を保護した。
「オェ…。…勘弁してください。…お願いします。」
「話は後で聞く。」
尾根返しを引きずり出した警官を仲間が呼び止めた。
「明津、勝狩はなぜ倒れた。」
「いや…。」
「なぜ倒れた。」
明津と呼ばれた警官は、ため息をつきながら言った。
「何かに取り憑かれてた。」
その後、勝狩は足腰に力の入らない様子のまま、警察のパトカーに乗せられた。
「明津、早くしろ。」
明津が滑り込むように後部座席に乗り込む。
ドアが勢いよく閉まると、そのパトカーは走り出し、雑踏に消えた。
—————————————————
「へー、あの明津ってやつ、人間なのにやるね。見つめただけで倒すなんて。」
「ミハルが力を与えたらしいよ。」
「へえ。」
審判
尾根返しと麦草魚の魂が、審判の間に呼び出された。
審判を行う刻光が、尾根返しに向かって言う。
「尾根返しよ、お前は、人間に取り憑いて悪事を働かせたそうだな。」
尾根返しはじっと黙っている。
「…お主、人間界での悪事を反省する気はあるか。」
「俺、ニ…、お願い、スル奴…ハ、許さナい。」
「尾根返しよ、人間と共存することはできんのか。」
「お願いされル前に、シろ、コれが、タダ一つノ、コタエ。」
隣に座っていた修迦が、手にした書物を読み上げた。
「神法210条 人間を操る妖魔は人間界との関係を絶たせることができる。」
「尾根返し。お主がいると人間界から愛が失われてしまうようじゃ。しばらく人間界から離れて頭を冷やせ。」
修迦がそう言い渡すと、尾根返しは黙り込んだ。
刻光が続ける。
「他に言うことはないか。」
裁きの部屋は静かだ。
二つ目の審判
外では静かな雨が降り続いている。石造りの壁からひんやりとした冷気が漂う。
刻光が、分厚い書類を持ち上げて机の隅に置く。
机と書類の間から、空気の逃げる音がひとつ聞こえた。
刻光は別の書類を取り出し麦草魚を見る。
「次は、————麦草魚。」
「た、助けてくれ。俺は、誰かを一つのことに熱中させるだけだ。それに罪は無いだろ。な?」
「人間を誤った方向に進ませてはならない。」
「何でだよ。それで上手くいくことだってある。それに、失敗したって次の人間を探せばいいだけさ。」
「それは駄目だ。」
麦草魚は、口角のつり上がった口を大きく開いて、じっと刻光を見ている。
「一つのことに熱中し過ぎれば、自分の成すべきことも出来ないだろう。」
「いやいや、自分のしないことは誰かに頼めばいいからさ。それが『現代社会』ってもんだろ。」
「お願い自体を目的にするのは本末転倒だ。」
「それは尾根返しに言え。」
「お前が尾根返しを操ったからだろう。どうして尾根返しに取り憑いた。」
「現代社会の競争は厳しいのさ。だから、もっと強くなるよう尾根返しに頼んだんだ!」
尾根返しがぴくりと反応した。
「頼ん…ダ?」
尾根返しは静かに麦草魚に近づき対面する。
「何だよ…」
そして、ゆっくりと麦草魚を掴み、吊し上げた。
「おい、息が…できない…。やめ…ろ。仲間…だ…ぉ…ぇ。」
事切れた麦草魚を、尾根返しが後ろに勢いよく放り投げた。
再び審判の間が静かになる。
刻光が伝えた。
「尾根返しを禁錮100年の刑とする。」
刻光は力を込めて手元の書類に印を押した。
その音が響くと同時に、尾根返しの周囲に無数の銀色の柱が現れ、尾根返しを捕らえた。
「閉廷。」
————その後、尾根返しは神界の独房で静かに暮らしているという。
後奏
その後、勝狩は病院に運ばれてそのまま入院することになり、引受鼠による東ノ国の援助はしばらく見送られることになった。
天界では二人の女神、華厳と迦琉が話をしている。
「尾根返しも静かになったし、これで少し落ち着くだろうね。」
「みんなの心も穏やかになりますように。」
「お、迦琉も神様らしくなってきたね。」
「まあね。」迦琉は得意げに胸を張っている。
「天狗の女神、現る。」
「変なこと言わないで。」
「うふふ。」
「でもさ、やっぱり人間を甘やかさない方がいいよ。」
「うーん。でも困った人を助けないと。」
「甘いよ迦琉は。自分でやらせた方が本人のためなんだから。」
「そうなのかなぁ。」
奧からカタカタと音がして、二人がそちらを見る。
二匹の引受鼠が、背中にお盆とお茶を乗せて駆け寄ってきた。
「あら、ありがとう。」
「気が利くね。」
「お饅頭あげたら食べるかな。」
華厳が巾着から取り出した1つの饅頭を手のひらに乗せている。
「そんなに大きいのは食べないよ。」
「そっか。」
華厳が指先で軽くつつくと饅頭は沢山の小さな饅頭に変わった。
「はいどうぞ。」
引受鼠は饅頭を両手に抱え、丁寧にお辞儀をして去っていった。
二人がお茶を取る。
「可愛い子たちだね。」
迦琉はまだじっと考え込んでいた。
その迦琉を横目に、華厳は僅かな笑みを浮かべる。
「一匹貰っちゃお!」
「あ!だめだよ!」
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