背徳カタルシス

結羽

背徳カタルシス

「乾杯!」


 高々とジョッキを打合せる。

カチンと爽やかな音が響く。

晴れ晴れとした気分で、一気にジョッキの半分を飲み干した。


 俺に任されていたプロジェクトが成功に終わった。

今夜はその打ち上げだ。

相手は俺を大抜擢し、ここまで支えてくれた上司だ。


「おめでとう」


「ありがとうございます! 本当、摩耶さんのおかげですよ」


 摩耶さんは女性ながら有望株だ。

仕事が出来るのはもちろん、上司や部下の扱いがうまい。

全てにおいて有能なのだ。

そんな彼女に抜擢されたプロジェクト、何としてでも成功させたかった。


 というのも、プロジェクトの忙しさがピークの最中、彼女の夫が亡くなったのだ。

それでも彼女は俺を支えてくれた。

朝早くから仕事をし早退してお通夜に。

告別式が終わった後に出社して。

そこまでしてもらって、成功させない訳にはいかない。


「何言ってるの。あなたの力よ」


 常にシャキっと背筋を伸ばしている摩耶さんが、ふと緩んだ笑みを見せる。

疲れが滲んだ笑みだというのに、それでも美しく見える。

普段見せない顔に心臓が跳ねる。


「今日はお祝いよ。沢山飲みましょう!」


 そう言った摩耶さんは意外と酒に弱かった。

ジョッキ半分でほろ酔い。

飲み干す頃にはスッカリ出来上がっていた。

いつものキリッとした上司はどこへ行った。


 トロンと潤んだ瞳。

力の抜けた身体。

今の摩耶さんはただの酔っ払った女の子だ。

年上の上司に女の子というのもどうかと思うが、大人の女性なのに時々少女のようなあどけなさを見せる時がある。


「摩耶さん! 帰りますよっ」


 俺に全体重を預けてしなだれかかる摩耶さんを無理矢理タクシーに押し込む。

何とか聞き出した住所を運転手に告げる。

滑り出すような走り出したタクシーの中で摩耶さんは俺に寄り掛かって眠っている。


「……くん。行かな……いでぇ」


 多分、亡くなった旦那さんの夢でも見ているのだろう。

どんな人だったのだろう。

摩耶さんが好きになった男。

普段見たことない甘えた摩耶さんの姿にドキリとする。

寄り掛かった摩耶さんから甘い香りがした。

旦那さんにはいつとこんなふうだったのか。


 タクシーが彼女の家についた。

俺は料金を払ってタクシーを降りた。

そして、摩耶さんを降ろす。


「摩耶さん! 着きましたよ。大丈夫ですか?」


 摩耶さんは俺に支えられながら何とか立っている。

ふらりとバランスを崩した摩耶さんを咄嗟に胸に引き寄せる。

すると、ふわりとその腕が俺の背中にまわされた。


「摩耶……さん?」


 酔ってるだけだ、と思った。

旦那さんが亡くなったばかりで寂しいだけだ、とも。

だけど、潤んだ瞳に射ぬかれたらもう駄目だった。


 そして、摩耶さんと俺は上司と部下という関係を超えてしまった――。


 摩耶さんは一言で言えばクールビューティ。

キリっとした瞳で自分に厳しい。

そんな摩耶さんはベッドの中では淋しがり屋の可愛いただの女だった。


 意外と華奢な摩耶さんの背中に指を這わす。

摩耶さんの白い背中が跳ねる。

こぼれる吐息と小さく喘ぐ声を飲み込むように深くキスをした。

そして、摩耶さんの一番深いところにソッと触れる。


「ああっ!」


 俺の身体に回された摩耶さんの腕に力が入る。

ゆっくりとほぐすように何度も何度も優しく摩耶さんの奥まで指を動かす。

そのまま潤んだ瞳の摩耶さんと舌を絡ませる。

呼吸を忘れるほどのキスをして、摩耶さんと俺はひとつになった。

溶けるような快感がかけめぐる。

  

 まだ真新しい仏壇、黒縁に彩られた写真の前で。

寡婦になったばかりの摩耶さんを抱く。

そんな背徳感に溺れていた。

その背徳感さえも快感に変わっていく。


 突然、開かれた扉と発せられた言葉に凍り付いた。


「おかあ……さん」


 その瞬間、蘇る。

彼女は上司で、旦那に先立たれたばかりの寡婦であり、高校生の娘の母親なのだ。

唖然とした表情で摩耶さんに似た少女が俺を見つめる。


「何……これ」


 ふいに体を起こした摩耶さんが呟く。


「だって、寂しかったのよ。茜だって男のところに行ってるじゃない」


「最低! 浮気者!」


 吐き捨てて少女は身を翻した。

ガチャン! バタン! と激しい音を立てて家を出る音がする。


 信じられなかった。

俺の腕の中で少女のようにすすり泣く摩耶さんも。

娘に「女」のセリフを吐く摩耶さんも。

会社で見る摩耶さんとは違いすぎて。


 摩耶さんをこんな風に変えてしまった男はどんな人だったのだろう。

ふと顔を上げると眼鏡をかけた真面目で聡明そうな男と目が合った。

変わらないその表情は俺を咎めているようで、いたたまれない。


「俺、帰ります」


 すがりつくような視線を見せる摩耶さんを無理矢理引き離して、脱ぎ散らかしていたスーツを着た。


「娘さんとちゃんと話してくださいね」


 そうして、摩耶さんを置いて部屋を出た。

結局、俺は摩耶さんとどうなりたかったのか。

もうよくわからない。


 摩耶さんはきっと寂しかっただけだ。

旦那さんを失った喪失感を誤魔化すために手近にいた俺を利用しただけなのだろう。


“最低! 浮気者!”


 茜と呼ばれた少女を思い出す。

聡明な瞳は写真の中の父親とそっくりだった。


 摩耶さんと俺がしたことは浮気だったのだろうか。

死んだとはいえ、夫がいる摩耶さんを抱いたのは間違いない。

だけど、摩耶さんの心にいたのは初めからあの旦那だけだった。

俺のことなんか見ていなかった。


 きっと浮気ですらない、寂しさを誤魔化すためのカタルシス。

今はただ、娘さんとの関係が悪化しないことを願うばかりだ。

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背徳カタルシス 結羽 @yu_uy0315

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