第13話 告死のレッドカード その4
「おーい! 皆こっちおいでー!」
侵入者の声を聞きつけ、警備員が駆け寄ってくる。
くねくねがモザイクを外した素顔をその方向へ向けると、彼らはすぐさま動きを止めて立ち尽くした。
「そろそろ全員動けなくなったかな? コトリくんからの連絡はないけど、大丈夫かなーっと……」
直立する警備員の肩をチョンと叩いて煽り、展示室の中央にある丸椅子に腰掛ける。スマホを取り出しコトリバコに電話をかけてみるが、何度コールしても繋がる気配はない。時刻は11時32分。レッドルームの予告した時間までは凡そ30分だ。
そんな時、ふと何かが気になって彼は横を向いた。壁に浮かび上がった赤文字に目が留まる。
"あなたは 好きですか?"
「……………………」
しばらくそれを眺めた後、何かを察したようにくねくねは口角を上げてニィッと笑う。顔に黒いモザイクをかけ直し、勢いを付けて立ち上がると虚空を見上げて呟く。
「コトリくんが落とされたか。……出てきなよ、レッドルーム」
その言葉を合図とするかのように、展示室はしんと静まり返る。
時計の音が何回か時を刻んだ、その時。
「!!」
刹那、くねくねの後方から何かが飛んでくる。彼の頭の僅か2cm横を薄い板のようなものが飛翔していき、目の前の壁に突き刺さった。
「これは……」
刺さっていたのはトランプ、スペードの2のカードだった。しかもそれは金属製であり、縁は鋭利な切断面になっている。直撃すれば死は免れなかっただろう。
くねくねは攻撃が飛んできた方へと目を向ける。何もないように思われていた空間が不自然に揺らぎ、赤く染まったかと思えばマントを翻した男が姿を見せた。
「ハハハハ! もう私を"認識"するとはさすがのものだ! 君のことを甘く見ていたかもしれないよ!」
男は中世風の豪華な服装を身に纏い、赤いシルクハットと同じく真っ赤なマントを身に付けている。顔には赤いアイマスクを付けており、くねくねと同じくその素顔は見通せない。
「意外だな、もう出てくるんだ?」
「挑戦状を送ったが、こうして会うのは初めてだ。改めて自己紹介をしておこう。私は"怪異怪盗"レッドルーム、この世の全ての芸術を愛し手中に収めんとする者だ」
レッドルームは帽子を取って胸に当て、深くお辞儀をする。勝負の相手には敬意を払うということらしい。
「それはまた大層な目標だこと。でもいいの? こんなものを好き放題投げてたら、大事な芸術品が傷ついちゃうんじゃない?」
くねくねは壁に刺さったカードを取り、表面と裏面を交互に見せつけてから投げ捨てる。
「ああ、それか。怪盗といえばカードというものだろう。今のはわざと外しただけだが、絵画に当てるような真似はしないよ」
「そんな縛りまで付けていられる余裕はあるのかな? 君は今僕に追われる立場だって理解してるのかい?」
くねくねは尚も相手を見下したような態度を取り、挑発するように指を差す。
レッドルームも自分は負けないと確信しているような落ち着いた様子で笑みを浮かべている。
「僕の前に姿を晒したのが間違いだったね。……怪異『くねくね』」
くねくねが自分の顔に手を掛け、下から上へ撫でるように動かした。それに合わせてモザイクが消えていき、ベールを捲るように彼の素顔が露わになる。
「さあ、壊れろ」
レッドルームと目が合う。これで彼にも莫大な量の情報が流れ込み、思考さえ奪われて周囲の警備員と同様に壊れてしまうはずだ。
「なるほど、そんな感じなのだな。と言っても先程見たばかりだが」
はずだった。
「…………は?」
怪異は問題なく発動した。レッドルームにはくねくねの素顔が見えているはずだ。
それなのに、当の本人はまるで変わった様子もなく感想を述べている。この一手で確実に捕まえたと、そう思ったはずなのにまさか怪異が通用しないとは想像もしていなかったのだ。
(どういうことだ? 僕のイケメンフェイスを完全に処理できる頭脳を持っているのか? まさかそんな奴いるわけがないけど、とにかくこいつがわざわざ姿を現したのは僕の怪異が効かない確信があったからか……!)
思考をフル回転させながら、レッドルームを倒す方法を考える。効かない怪異を発動していても意味がないのでモザイクを戻し、改めてレッドルームと対峙する。
「私のターン、ということでいいのかな。さあ、
レッドルームの手元に金属製のカードが出現する。危険を察したくねくねは横を向いて走り、隣の展示室へ移動する。それを追いかけるようにカードが飛んでいき、くねくねが通った直後の壁に次々刺さっていった。
(本当に絵画は狙わないようにしてるっぽいな……ん?)
飛んできたカードが絵画には一枚も刺さっていないのを見て先程の言葉が本当だと理解するとともに、部屋を移動したくねくねはあの文章を発見することになる。
"あなたは 赤 好きですか?"
「……!」
その油断の隙をついて、レッドルームがカードを飛ばす。くねくねは躱しきれず足に傷を負い、煩わしそうにレッドルームを睨んだ。
「もう逃げないのか? 予定の時間まで、まだまだチェイスをするつもりだったんだがな」
「怪盗が追う側なことってないでしょ……っと!」
再び走り出したくねくねだったが、足に負った傷の痛みで転んでしまう。攻撃が来るかと思ったが、くねくねに合わせて走り出したレッドルームはいつの間にか足を止めておりカードを撃ってこない。
「……?」
見ると、くねくねの前には精神を破壊されて突っ立っている警備員がいた。彼を挟んでレッドルームはくねくねを狙っている形であり、くねくねは偶然射線から外れていたということになる。
「私は怪盗。人殺しではない。一般人を傷つける気はない」
姿を現す前の最初の攻撃も、頭スレスレを狙ってのものであり殺す意図はなかった。全ての攻撃は警備員の間を縫って撃ってきていたのである。
レッドルームは横に跳んでくねくねへの射線を再度確保する。くねくねは間一髪で起き上がって回避し、次の展示室へ駆け込んだ。
「ムカつくねぇ、イケメンのこの僕に舐めプなんて。直接戦闘なんかやりたくなかったけどしょうがないか……!」
くねくねは自身の怪異が持つ第二の能力を使い、右腕を白い触手に変える。触手は肩のところで5本に枝分かれしており、先端に近づくほど透明になっている。
空中でゆらゆら蠢く触手はレッドルームが飛ばしたカードを先端で絡め取り、近くの床に投げ捨てた。
「反撃に出るつもりか? どこまでやれるか見物だな」
レッドルームも複数のカードを同時に持ち、連続で投げてくる。体で回避しつつ触手を使い落とせるものは落としていくが、完全に捌ききるのはまだ厳しい。
走り出したくねくねは近くに立っていた警備員2人の肩を叩き、奥の部屋へ逃げ込む。警備員は虚ろな目をしたまま動き出し、レッドルームに向けて走っていった。
「……!?」
くねくねの怪異によって心が壊れた人間は、彼がそこに命令を流し込むことによって洗脳されて動けるようになる。そのポリシーのせいで人間を攻撃できないレッドルームは組みついてきた警備員2人をなんとか引き剝がすと、またもやその姿を消した。
(居ない……?)
くねくねは隣の展示室からその様子を眺めている。操った警備員は目標を失って再び動きを止め、レッドルームの道を妨げる障壁はいなくなった。
瞬間、くねくねの右側から風を切る音が聞こえ、咄嗟に反射で動いたくねくねの右足があった場所にカードが突き刺さる。
「……ただの透明化じゃないね。僕みたいに体の形状を変える力をセットで持ってるというわけでもなく、単一の怪異のみで複数の現象を引き起こしているとみた」
「さあ、あともう少しだ。そろそろ決着といこうか?」
再び姿を現し、両手を広げて笑うレッドルームにくねくねは触手で拾ったカードを投げ返す。
レッドルームも本気を出したようで、両手を使い複数枚のカードを同時に投げてくねくねを追い詰める。くねくねは左腕も触手に変え、計10本の触手と体術を巧みに使い捌いていった。
「だいたい君、キャラデザがアカちゃんと被ってるんだよ!」
「ふむ、それは私の預かり知るところではないな」
レッドルームの攻撃が激しさを増す。防戦一方のくねくねは徐々に押されていき、足元に飛んできたカードを躱す勢いで次の展示室に転がりこんだ。
「ッ…………!」
くねくねの後ろには、レッドルームが盗むと予告したフランスの絵画があった。つまるところ彼の最終目標である。
美術館の目玉が展示されているとあってその部屋は他のどの展示室よりも大きく、例の絵画を最奥に据えて中世風の柱や彫刻が立ち並んでいる。
その時、彼の視界にあるものが入り込んだ。
既に見慣れた赤い文字。天井に大きく映し出されたそれを見て、くねくねは驚愕する。
“あなたは赤い部屋が好きですか?”
「…………!!」
「見事だ。私の攻撃を掻い潜り、ここまで逃げるとは」
拍手をしながらレッドルームが歩いてくる。その表情は勝利を確信した笑みだ。
「……5回。5回だな。君の怪異を受けてから、累計で5回部屋を移動すると『赤い部屋』に囚われる。そうだろう?」
「推理の腕も素晴らしいな。だがそれが分かったところで何になる? 君は既に4回部屋を移動している。つまり、君がこの部屋から一歩でも外に出ればその瞬間に私の勝ちだ。君はここから絶対に逃げられないのだよ」
レッドルームの攻撃はくねくねを倒すためではなく、違う部屋へと追いやるためのものだったのだ。彼はこの部屋から一歩も出ることなく、一人でレッドルームから絵画を守らなければならない。そしてそれはどう考えても不可能に近かった。
「さて、どうしたものかな……」
時刻は11時45分。
約束の時まであと15分だ。
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