第12話 告死のレッドカード その3
階段を駆け上がったコトリバコは、2階の展示室へと辿り着いた。
照明を絞ったやや薄暗い空間内で、額縁に入れられた絵画が白い壁にいくつも並んでいる。
「これは……よく分からないけどすごいな」
芸術への造詣が深くないコトリバコはその絵の美しさはよく理解できないが、呑気に鑑賞していられる状況でもない。レッドルームについての手がかりを手に入れなければならないのだ。
「下はくねくねさんが見てくれてる。俺がこっちをやらないと」
その1階でくねくねが警備員の精神を破壊して回っていることなど知りもせず、コトリバコは探索を開始する。警備員に見つからないよう、箱を手の上に出していつでも影に隠れられるようにしておく。
「同じような景色ばっかりで、どこから来たのか分からなくなりそうだ……ちゃんと覚えておかないとな」
美術館に来るのも初めてな彼は、同じような内装と部屋の構造が続く空間を把握するのにも一苦労している。絵画の見分けもつかないからだ。
壁の端から顔だけを出し、警備員がいないことを確認して進む。消火器などの位置を頼りに何とか探索ができている状況である。
何度か部屋を移動したコトリバコは自分の居場所を整理しつつ、あることに気が付く。
「そういえば……全然人がいないな」
外の状況からも、一般人の客が出入りできないことは分かっている。しかし中には1階と同じように警備員がいるはずだ。何人いるのかは分かっていないが、ここまで探索をして1人も出会わないというのは少し不思議な話である。
動きを止め、耳を澄ます。部屋と部屋を隔てるドアがない分、音を遮るものも少ないはずだが、どこからも足音は聞こえてこない。床が足音を吸収する素材だとしても、消そうと思って簡単に消せるものではない。
「どういうことだ……? 警備状況は正常のはずじゃないのか? まさか、誰もいないなんて……」
誰かがいた場合に自分の存在に気付かせられるよう、気配を隠さず小走りで美術館内を移動する。結果的に、このフロアには自分以外誰1人としていないことが分かった。
レッドルームが盗むと予告した絵画があるのは1階だが、2階の警備を怠っていいわけはない。むしろ上からの敵を警戒したほうが警備的にはいいはずだ。全く警備員がいないなどということは現実的にあり得ない。
「どうする? くねくねさんに報せにいくか……いや、あの人はあの人の仕事をやってる。俺が邪魔しに行ったらまずいだろう。2階のことはこっちに任せられたんだ、俺が最後までやらないと……!」
少々イレギュラーな状況ではあるが、警備がいないということは逆にこっちにとっては有利だ。姿を隠す必要がない分、存分に探索を行える。
これまでの仕事で芽生えた責任のようなものが、コトリバコの背中を押した。
再び探索を開始しようとした時、コトリバコの視界の端に何かが映った。
「ん? …………何だあれ?」
白い壁の一部分、並んだ絵画と絵画の間に何か赤いものがついている。
コトリバコは壁に近づいてみる。それは赤い文字で書かれた文章で、コトリバコは声に出して読んでみた。
「『あなたは好きですか?』……?」
文字に手を伸ばし、指で軽く擦ってみる。ペンなどで書かれた文字ならすぐ落ちるかと思ったか、文字の上を触っても他の壁と大して手触りに違いはなく、指に塗料のようなものがつくわけでもない。ペンか何かで書かれたというよりは、文字だけが壁の上に浮かび上がっているかのようだ。
「何だこれ……? さっきまでこんなのあったか……?」
何より不気味なのが、最初にこの部屋に来た時はこの文字を見た覚えがないということだ。これだけ印象に残るものを、最初に見落とすはずがない。自分が別の部屋に行っている間に誰かが書いたとしか思えないのだ。
だが、他の部屋にも誰かがいる様子はなかった。誰かいたとすれば確実に気付くはずだ、わざわざ壁に文字を書き残すような相手なら尚更。
「まさか……怪異の攻撃?」
悪い想像が頭に過る。これだけ気付かれずに文字を書き残すというのは、超常現象でなければあり得ない。幽霊か何かの仕業――即ちレッドルームの怪異ではないかと考えられる。
そう思い至った時、突然美術館の電気が消えた。
「わっ!?」
咄嗟のことに驚き、腰を抜かしてしまう。なんとか立ち上がると電気は復旧したが、全体が先程よりも暗く、恐ろしい雰囲気になっている。
「ま、まさか…………本当に幽霊ではないよな?」
幽霊などという説明の付けられないものよりも、ある程度法則に従った怪異の方がまだ幾分か怖くないというものである。都市伝説の受肉は原理こそ分からないが全く未解明の非科学とは違うので、そうであった方が望ましく感じる。
視界が少し悪くはなったが、とにかく探索を続けようと思い彼は隣の部屋へ急いだ。部屋と部屋を繋ぐ、ドアのない隙間を通って隣の部屋に入る。そこで彼はまた驚いた。
「…………え?」
部屋の壁に、また赤い文字が現れている。近づいてよく見てみると、文字そのものは先程いた部屋のものと変わらず壁に浮かび上がっているようだが、文章が若干変わっている。
"あなたは 赤 好きですか?"
急いで
簡単に擦って落ちるものではないことは先程確認した。つまり、この文字はやはり怪異の影響ということである。今現れている文字をもう一度よく調べ、途中に挟まれた「赤」という字が新しく現れたものだと確信する。
「レッドルーム。『赤』。……繋がったか」
やはりこれはレッドルームの仕業に違いない、そう思ったところで彼は背後からガタッという音を聞いた。
「!?」
振り向くが、誰もいない。だが何か違和感がある。部屋をよく観察して、それに気が付いた。
「あんな所に……絵なんてあったか?」
等間隔に並んだ絵、その壁の端の部分に知らない絵が出現していた。彼には絵の見分けがつかないので朧げな記憶でしか分からないが、この部屋に入った瞬間にはその位置に絵は飾られていなかったはずだ。今現れたにしても、誰かが運び込んだなら必ず物音で気付く。
現れた絵を触って調べてみたが、これは実体のある本物のようだ。幻覚の類ではない。とすれば、そこに絵がないと思っていた時こそ幻覚を見せられていたのか、若しくは時間を止めるなどといった方法で気付かれずに運び込んだのか。もしそうだとすれば時間を止められる相手に勝つ方法など思いつかない。
「どうしよう、何が起きてるんだ……何も分からない、まずはくねくねさんと合流……いや、本当にここはさっきまでいた美術館なのか?」
何とか思考をまとめようと必死に頭を回すが、情報が多すぎて全て片付けられない。今できるのは部屋を移動しながらレッドルームを探すことだけだ。
その時、コトリバコの背中に違和感が刺さる。
「……?」
何かに、見られている。
理屈ではない第六感のようなものが警告している。緊張で強張る首を回し、後ろを向く。
「あ…………」
昔のヨーロッパの王族だろうか。誰かの肖像画と目が合った。
「えっ……と……これは、どういう」
オ マ エ ダ
「!!」
背筋が強張る。「それ」は音として聞こえたわけではないが、確かに絵画から発せられた意思としてコトリバコに刺さってきた。
そうするうちに部屋中にある絵画からプレッシャーをかけられている感覚がしてきて、コトリバコの額に汗が浮かんでくる。
「逃……げ、なきゃ」
頭で考えるより先に脊髄から指令が飛び、彼の足は動き出していた。
手に箱を持ってはいるが、怪異を使うことまで思考が及ばない。ただ、すっ転びそうになりながらその部屋から逃げ出したのだった。
「ハアッ、ハアッ、ここは……一体何処なんだ?」
明らかに普通の美術館とは違う。絵画全てが意思を持っているように感じる。
次の部屋に移動したコトリバコの目に、また赤い文字が飛び込んできた。
"あなたは 赤い 好きですか?"
今までと同じく、壁の途中に浮かんでいるその文字。やはり文章が少しずつ変化しているのだ。それを見てコトリバコは更なる恐怖に襲われる。
何かに追われている。
「それ」はレッドルームの怪異かもしれないが、それ以上に見えない何かに追われ続けていることが極大の恐怖としてコトリバコの心に摺り込まれてくる。
逃げても逃げても追いかけられる。姿の見えない敵に対処する術はない。
空気そのものが体に纏わりつく感覚。喉までが粘りついて声が出せない。筋肉が動かせなくなる前に走り出し、部屋から逃げ出すことを試みる。
「く、くねくねさん……メリーさん、口裂けさん……助け……」
次の部屋にも、やはりそれは在った。
"あなたは 赤い部 好きですか?"
それを確認するや、コトリバコは部屋を走り抜けて隣の展示ルームへ飛び込む。
もう立ち止まってはいられない。周りには誰もいない。ただこの恐怖から逃れるために、足を動かすしかない。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……! あれは……!!」
コトリバコが見つけたのは、久しぶりに現れたドアだった。STAFF ONLYと書かれたそのドアを見てすぐに、彼は走り出す。
もしかしてスタッフルームになら、誰かいるのではないか。淡い希望を託してドアに駆け寄り、ドアノブに手をかける。
その瞬間、ドアのど真ん中に文字が浮かんだ。
"あなたは赤い部屋が好きですか?"
後悔した時にはもう遅かった。
走ってきた勢いでドアが開く。
その向こうに広がっていたのは、壁も天井も床も真っ赤になった異常な空間だった。
「…………!?」
後ろからドン、と背中を押される。振り向く間もなく倒れ込み、後ろでドアが閉じられる音がする。
振り返るとそこにドアはなく、赤い壁がそびえ立つのみだった。
「まさか……!! 何だここ……!?」
明らかにスタッフルームではない。
その部屋は凡そ2m四方の正方形に囲まれた、立方体型の空間だった。どの方向を見ても真っ赤な空間があるのみで、狭所恐怖症でなくても気が狂いそうになる。部屋の中は光源も見当たらないのにぼんやりと明るく、伸ばした手の先までよく見える。
「ドアは……!? どうやって出れば……」
先程までドアがあったはずの壁を叩く。焼け付くように赤い壁はびくともせず、ドアの痕跡もない。閉じ込められたと察するには十分だった。恐らく、2階にいた警備員もみな同じ攻撃を受けて異空間に閉じ込められたのだろう。
「くねくねさん達に連絡を……! あれ!?」
スマートフォンを取り出してみるが、電話やネットは繋がらない。不安だけが際限なく膨らんでいく。
仲間に連絡を取ることを諦めたコトリバコは、手の上に箱を出現させた。怪異を発動すると足元にどす黒い粘液状のフィールドが生み出され真っ赤な空間を覆っていく。黒に変わった壁に手を押し付けたが、その手がそれ以上奥に沈んでいくことはなかった。通常の空間であればこのようにして壁や床を透過できるはずだが、それができないということは物理的なものではない何かによって隔絶された空間であるということだ。
「俺の怪異でも出られないなんて……! 結局俺は役に立てないのか? 仲間に……くねくねさん達に頼るしかないのか? 1人じゃ何もできないままなのか……?」
怪異を解除し、力を込めて壁を叩く。思いっきり蹴る。身体を打ち付ける。何をやっても無意味に終わり、自分の無力さだけが心に重く響く。膝を付き、項垂れることしかできなかった。
「強く……ならなきゃ。怪異を使えるようになったくらいじゃダメだ。この体も……心も、今のままじゃ怪異には通用しない。人間との共存は……実現できない」
もう少し、怪異と戦える身体能力があれば。
もう少し、攻撃を受けた時に自分を保てる精神力があれば。
結果は違っていたかもしれない。
全ては自分の弱さが招いたことだ。
「くねくねさん……後は貴方に託します。レッドルームを捕まえられるのは、貴方しかいません」
願いを託し、静かに目を閉じた。
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