空に走る

@chauchau


 貴方の手が好きでした。

 貴方の声が好きでした。

 貴方の瞳が好きでした。


 私を触れるぬくもりが。

 私を呼ぶやさしさが。

 私を見つめるつよさが。


 私は恋をしていました。


 幼馴染という関係性は、誰よりも近くて誰より遠いもの。

 幼い頃から熟知した間柄に誰かが割り込めることがない代わりに、出来上がってしまった関係性を崩すには耐えがたいほどに難しい。


 初めは見送った。

 貴方に彼女が出来たことを、幼馴染として素直に喜んだ。大事にしろよと背中を叩いて、零れそうになる嗚咽を飲み込んだ。


 このまま諦めてしまえと枕を濡らし、外では変わらない笑顔を振りまいて。こちらがこんなにも悩んでいたというのに、結局最初の彼女とは二週間で別れましたね。

 そんなことを三度繰り返して、その度に心臓をもぎ取られる痛みを経験して、私は諦めることを諦めた。


 ただひたすらに走り続けた。

 苦笑する友達を置き去って、忠告してくれた妹を振り切って、不可能な壁を崩して私は貴方を手に入れた。


 幸せだった。


 幸せだった。


 幸せ、だった。


「クーラー付けろよ」


 貴方の声がする。


「家の中でも熱中症にはなるんだぞ」


 貴方の手が、リモコンを操作する。


「おい、聞いているのか?」


 貴方の瞳に私が映る。


つかさ


かなでだ」


「…………ああ……」


 零れた名前を食い気味に否定する。詞の手で、詞の声で、詞の瞳で。貴方は私を否定する。


「ごめん……」


「良いよ。もう慣れた」


 間違えたことなんかなかった。

 詞と奏。双子の幼馴染。


 彼らの両親ですら間違えるほど瓜二つな彼らを、私だけは間違えたことがなかった。なかったのに。


「ごめん」


「次謝ったら、」


『デコピンな』


 奏と詞が重なる。

 一つ一つの言動が似通っているのは、間違えられ続けた彼らのせめてもの嫌がらせ。


 向こうが間違えるなら、もっと分からないようにしてやろう。

 あおいだけは間違えないでくれよ。


 あの時、三人で交わした約束を私はもう守れない。


「暑いけど、天気は良いからさ。どっか……、買い物にでも行かないか」


「今日は……、良いかな」


「だと思ってアイス買ってきた」


 今日は良い。

 繰り返し続けている内に、季節が変わっていく。


 桃の花が咲いたと教えてもらっていたのに、いつの間にか桜が咲いて、そしてアイスが恋しい季節となりました。


「葵はバニラな」


 そう言って奏はチョコレートアイスを口に運ぶ。詞が大好きだったチョコレート。三人で遊んでいた時は別々にした方が色んな味を食べられると、ずっと食べていなかったのに。


「ごめ」


「ありがとう」


「……りがとう」


「ん」


 奏がチョコレートアイスを食べる。

 たったそれだけのことが、私に現実を突き付ける。


「来週、兄貴の墓参りに行くけどどうする」


 詞が死んだ現実を。


「……まあ、どっちでも良いけどな、暑いし」


 当然だった。

 家を飛び出した詞は、トラックに引かれて亡くなった。


 私の目の前で。


 なにも、出来なかった。


「お、これ旨そうじゃん。ゆかりちゃん来てたんだ」


 私と詞が一緒に暮らしていたアパートにはそれから色んな人が訪れる。一番は、奏と妹の紫。


 気持ちはわかるけど。前を向いて生きないと。一緒に頑張ろう。

 綺麗な言葉を吐かないのは二人だけ。


「旨ッ!? え、なにこれ旨過ぎて逆に引く……」


 冷蔵庫を勝手に漁る奏の背中に、盗み食いする詞が見える。なんてことを言えば、私は彼を傷つける。


「あの子、日に日に料理上手くなっていくなぁ」


 紫がごはんをつくってくれて、奏が食べているか確認してくれる。

 すっかり定番となってしまった流れが、今日だけは。


「……ちょいと真面目な話すっぞ」


 違っていた。


「…………これなに」


「手紙」


 それは分かる。

 随分と狭い所に閉じ込めていたのか、くしゃくしゃになってはいるものの、茶色の封筒は確かに手紙なのだろう。でも、問題はそこじゃない。


「兄貴から。葵に」


「!?」


「盆前に部屋の掃除をしてたら出てきた。多分、自分に何かあった時とか考えてたんじゃないか?」


 奏の言葉を最後まで聞かずに、封筒をひったくった。

 鋏を使う余裕もなくて、勢いよく破ったせいで手紙まで少し破れてしまったけれど、読むだけなら大丈夫。


「渡すか悩んだんだけど、親父たちも渡してあげなさいって言うからさ」




 ――葵へ


 これを読んでいる時、俺は……。なんてな! こういうの一回書いてみたくて書いてみました! 正直に言うぞ、俺はいま猛烈にドキドキしている!


 どうしてこんなものを書いているかというと、葵が心配だからだ。

 別にどこも身体悪くないし、死ぬ予定もないんだけど俺も人間だからいつコロっと死ぬか分からないわけで、そうなった時、葵がめちゃくちゃ落ち込むんじゃないかと思っている次第でありますはべりいまそかり。


 真面目に書き続けると恥ずかしくなるので適当な言葉を挟むのは勘弁してほしい。


 本来なら、俺のことを忘れてとか書くべきなんだろうけど、そんなこと書いても葵からすれば勝手に死んでおいてふざけるな死ね! あ、死んでるじゃん!! というレベルだと思うので、ここはあえてこう書きます。


 俺のことを覚えておいてください。

 俺のことを忘れないでください。

 その上で、俺とは別の誰かと幸せになってください。あ、別にずっと独り身でも幸せなら良いんだけど。


 奏も居るし、紫ちゃんも居るから大丈夫だとは思うけど、昔から思いつめるところがあるのでそこだけ心配しております。

 時間はかかっても良いから、幸せになってください。


 以上。


 追伸。

 俺のパソコンは決して触らず、必ず奏にデータを消去してもらってください。まじで。




「あのエロデータばっかりのやつか」


 息子の死に泣いていたおばさんが一瞬だけ笑った事件。ごめんね、詞。すでに貴方の秘密は親族中に広まっているよ。


「ずるいよな、兄貴は」


「え?」


 後ろから一緒に手紙を読んでいたはずの奏が、回り込んで来て私を見つめる。


 貴方の瞳が私を見つめた。


「ずっとふざけた目してたけど、随分ましな顔になってるぞ」


 貴方の声が私を呼んだ。


「行くか、墓参り」


 貴方の手が私を撫でた。

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