僕はきっと、ヒーローじゃない
嘆き雀
ヒーローになれなかった僕
それは不意に来る。ピンッと張り詰めたような空気。辺りを見回さずとも一瞬で分かった。
音がないのだ。
エアコンの稼働、教師の滔々とした眠りに誘う調べ、それに誘われぐうすかする隣人、勉強家の板書という紙への書き殴り。
これら全てがない。身じろぎさえないものだから、人の気配も消え去っている。
何がどうなっているんだ!
……なんてね。馬鹿らし。
学習机にべったりと張り付く。ノートは閉じた。顔面に文字を写すというやらかしは経験済みだ。この『時止まり』も。
意味はまんまである。僕だけがこの現象を知覚する。例外は見たことない。誰かいないものかな。目下だらけこき、世界中を探し回る勇気のない性根だから、思うだけに留まる。
息を吸って、吐く。ただそれだけで僕が異端である証左だ。異端を示し続ける。誰か気付いてよ。証人いないとどうにもならないだろ?
心臓が動いている。僕の行為以外何も発生しない世界だ。ドクンドクンと一定のリズム。馴れてしまったな。乱れが一切ない。音がないせいで、特別大きく脈打っているように聞こえる。
小学の頃からだ。時止まりが始まったのは。
最初の頃は一瞬だったなあ。
感慨に耽り、溜め息を吐く。今回はどのくらいの長さになるのか。僕に配慮せず、一秒の端緒から何時間とも延びた現象だ。ほんと、嫌になる。僕だけ置いてけぼりだ。
誰も理解してくれない。気味悪がれる。僕は過去に叩きのめされた。イカれてるとか、もう知ってるよ。勝手に想起し、落ち込む。
僕だけが持つ能力だ、という心意義はない。あって、ヒーローになりたいと思っていた時代は終わってる。だって悪党いないし。歓声を上げるヒロインもいない。
ただ独り、何と戦い続ければいいのだ。孤独か? だったら勝負はついている。僕の圧倒的なる黒星だ。こんな何もできず、うだうだしているのだ。
内容は隠すが昔は悪戯してはいた。が、倫理観や罪悪感で止めた。いいや、違うか。僕は普通に溶け込みたかった。こんな異端者じゃなくて、そこら辺にいる一般人に。特に青春を謳歌している奴。
羨ましい。僕は時止まりのせいで捻くれている。友達と言える者はいない。陰キャだ。女子と会話するのにまごつきはしないが、接点がなければそれを披露することはできない。話しかける勇気もないへっぽこなのである。流石、ヒーローになれなかった僕。臆病者だ。
◒
始まりはいつだって突然だ。だから時止まりに気付かないことだってある。そう、まさに今回のように。
スッキリとした目覚めだった。けたたましいアラームに起こされることなく、夢まで見た気がする。
室内は杳が広がっていた。カーテンからは旭光は漏れていない。時計を見遣ると短針は四時を指している。
「リズム狂うなあ。慣れてるけど」
ぐっと伸びをする。
二度寝する気はおきなかった。いつも以上に眠っていたから当然だ。
「何をしよう。弁当作りはまだ早いし」
高校生にして一人暮らし。親は存命である。僕達ての希求で現状だ。質素倹約を迫られることになったが不満はない。
時止まりの際は人がいない方がいい。何も気に掛けることなく自由にできる。
僕は平凡だ。異端ではない。なんて自分に言い聞かせ、見せかける。
小学の失敗以来、誰にも時止まりのことは話さなかった。両親にもだ。信じてもらえなかった事実はそれだけにトラウマになっている。
僕はスケッチブックを手にとる。ページを捲ると色彩に富んだイラストが現れる。かなりの上出来だと思う。時止まりの暇潰しなのでありふれた風景ばかりだが、妙な体勢で時止まりになった教師のだけは特別滑稽だ。落ちたペンを拾おうとしただけなのにぎっくり腰の人になっている。
ふっと笑みを溢し、真っ新な紙まで辿り着く。鉛筆を持ち、さあ夜明け前の町並みでも書きに行くぞと玄関を開ける。そのとき、聞こえたんだ。
――――ォォ
唸る獣のようなもの。
僕は家を飛び出した。どこだ。どこにいる。
微かな残響を頼りに、ボロアパートの二階の欄干を掴み身を乗り出す。方角はあっている。だが、あまりに音の発生源から遠すぎた。
乱暴に階下まで駆け下りる。自分の息が五月蝿くて、音がちっとも聞こえやしない。呼吸を止めると次は心臓だ。流石に鼓動を止めれはしない。
クソ、と吐き捨てる。だが、まだ希望はあった。再び音が発生する。最初から聞けたからか、先程よりよく聞こえる。
猛然と奔りながら血眼になって探す、探す、探す。
僕一人じゃなかった。時止まりでも動ける者がどこかにいる。もしかしたら音の主も同胞を探しているかもしれない。明らかに人間ではないが、獣でもいい。この気持ちを分かち合いたい。孤独を、寂しさをどうかなくして。僕を救ってくれ。
音は既に絶えていても、街中を駆け回っていた。普段運動なんてしないもんだから、足が覚束無い。体力をつけておくんだった。
「う、わッ」
狂った平衡感覚と昏い視界が相まる。躓き、思いっきり地面に衝突することになった。
呻き声を漏らす。ポタリと雫が滴り落ちた。
まだだ。
奮い起こし、僕は爪を立てながらも力を入れる。片膝を立てたその瞬間、陽光が差した。
絶望が僕を満たす。もう時は進んでいたのか。知らず駆け回り、挙げ句いい年にもなって転んだことに情けなさも募ってくる。
犬を連れ散歩する婦人に通りがかりにも不審な目で見られ、やっと行動を起こす。家に帰ろう。今日も学校だ。いつもの日常は続けなければならない。
休むという選択肢はなかった。平凡に溶け込まなくてはならない。そんな頑なまでの執念が、ズル休みから発生するだが直ぐに薄れるだろう注目を避けた。
後ろ髪を引かれ、歩む足を止め振り返る。陽光の眩しさに目を細める。住宅街がなければ遠方でも見えるのが海だった。
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