第33話「遠のく野心」

 どうして、こうなってしまったのだろうか。

 こんなはずではなかったと、混濁する意識の中で呟く――。


 ロレンツォ・コンカートこと私は、いわば叩き上げである。

 この村で生まれ育っているが、両親は地位の高い役職には就けなかった。つまり私も地位が高くない。

 十年前に亡くなった妻にも、取り立てて愛情はなかった。決められた相手だから結婚し、共に過ごしただけである。

 子どもには恵まれなかったため、私には跡継ぎはいない、


 幼い頃にいた司教の姿を見て、大きな壁とコンプレックスを抱いていた。戦闘はおろか、マジーアやプレギエラの才もなかった自分では永遠に届くことのない存在。

 この村で一生を過ごすと思うと、人生に嫌気が差していた。


 そんな思考から変わったのは、前任の司教の死がきっかけだった。どんな人間でも死ぬのだと思えた時、一つの思いが胸に宿った。


 どうせこの村から出られないなら、なれるとこまで成り上がってやる――。

 

 そう決意した日から、自分なりに分析して努力してきた。

 体を黒く焦がし鍛え上げ、うわべだけでも大物感を出すようにした。強い言葉を使って、少しでも余裕を見せるようにした。

 人間関係を裏で操って、有利に事が運ぶようにした。人当たりの良さを磨きあげ、親しみを持てるようにした。

 何も持てない自分には、それしか成り上がる術が思いつかなかった。

 

 私にとっての障害になるような人物や出来事は、容赦なく排除してきた。

 五年前のジュストは、まさに自分の地位を脅かす厄介者であった。


 彼を始末するために懇意の村人のみを集めて、貶めることを提案した。概ねの村人は同意していた。

 しかし、チーロは優しさを見せて反対してきた。懲らしめるのであればまだしも、貶めることは許容できないと。ジュストが祈りの後の事でフェデリコに頼み事をしていると報告を聞いた時に、それを利用してクリスタンテ家には失墜してもらうことを決めた。


 シルベストリ家もそうだ。

 やたらとジュストに気に入られているテーアは危険人物と考えていた。ジュストが司教になってしまうような事態があれば、テーアは自分にとって不利な動きをしかねない。

 会議の後にわざわざジュストへ忠告している場面を見て、同様に失墜してもらうことを決めた。

 

 五年前の祈りの日は、これまでの村の生活で一番危ない橋を渡った。


 祈りが終わった後、ある程度予想はしていたがジュストだけが出てこなった。私は、フェデリコが教会の扉の前で立っているのを監視していた、ジュストが出てきた後に、二人が会話をしている所を取り押さえるためだった。

 しばらく待っていると、ジュストが出てきた。が、様子がおかしかった。顔が青ざめており、いつもの傲慢さがない。

 どういうことかと二人の会話のやり取りを見ていると、ジュストが話し始めた内容に理由があることが分かった。それこそ、この村の根幹に関わるような話題であり、穏便に済ませられるようなものではなかった。


 このままフェデリコが内容を覚えてしまうのは、まずい――。


 そう頭の中で思った頃には、気付けば握り拳は血に染まっていた。

 拙速だった、と内心ひどく焦っていた。フェデリコに正体がばれたらどうしようかと思い、執拗に殴り付けた。そもそも、私のお面を装着している時点で意味がないことにも気付く余裕はなかった。

 あの時ジュストも殴り付けようとしたが、人の気配を感じたため逃げざるをえなかった。自宅に戻った後、この一件が明るみに出ることを怯えていた。

 目を覚ましたフェデリコが、記憶に著しい問題を抱えてくれたのは、不幸中の幸いだった。


 そこまでは完璧だった。

 司教を生み出すことなく、村長としての信頼と尊敬も揺るぐこともなく過ごしてきた。


 そのはずだったのに、今の自分にはもう何も残っていない。

 どこで失敗したのだろうかと、記憶を辿ってみる。思い起こされるのは、たった一つの過去。


 村長として、時折出張できることがある。あの時――レベッカが産まれる前に、近隣のジェニトーリへと行った。教会を持つ村の代表として、他の場所へ天使様の布教に行く。

 そんな名目ではあるが、実のところ遊びを堪能するのが本当の目的だ。


 初めて見る他の町は、楽しかった。食べたことのない食べ物や、村では会うことのないような人との出会いがあった。


 カリーナと出会ったのは、そんな最中の出来事であった。

 名前の通り可愛いらしい容姿に、どこか男を惹き付けて止まない妖しげな色気があった。

 

 彼女と過ごす時間は何よりも楽しかった。頭は良くなく不器用ではあったが、純粋で屈託のない笑顔を見せてくれる女性だった。当時妻はいたが、初めて女性と楽しく過ごすという経験をした。

 二人きりでの出会いを重ねていれば、肉体関係まで進むのは時間の問題だった。一度濃密な時を過ごしまえば、次からは会うたびに躊躇することも無くなっていた。


「ロベルト。私、妊娠したの」


 カリーナから嬉しそうにそう告げられたのは、二人が親密になってそう間もない頃であった。同時に、彼女自身が悪魔であることも知らされた。

 

 どうせ、一定期間が経てば村に戻って何食わぬ顔で生きていく立場である。それでも、自分の子どもであることには間違いがない。表立っていなくても協力できることがあれば、とは思っていた。


 それが、さすがに悪魔となると――。


 関わっていたころが明るみに出れば、私はこれまで積み上げてきたものを全て失ってしまう。

 カリーナには悪いが、悩んだ末に黙って村を去るしかなかった。

 天使の祝福を受ける村から仕事のために来ているということまでは言っていたが、彼女にはロベルトと偽名で名乗っていた。カリーナの頭脳を考えれば、自分の身元まではバレることはない。

 罪悪感からなのかどうかは知らないが、カリーナからもらったペンダントだけは持ち帰っていた。 


 まさか産まれた娘が、レベッカだったとは――。


 そのレベッカが私が貶めたジュストと結託し、私に反感を持っていた村人を引き入れた。さらにはフェデリコに私が犯人だと言わせてみせた。

 これぞまさしく、因果応報なのか。力の持たない者が、分不相応の地位や力を望むのはそんなに許されざることなのか。

 今となっては、もう何も考える気など起きなかった。


 最後に思いを巡らすのは、あの忌まわしき旅人がどのような策略で自分を貶めたのか、ということだけだった。

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