第2話「その村はクレメンツァ」

 そこは、ポーヴェロとは似ても似つかない村であった。


 緑が広がるのどかな風景にレンガ造りの建物が並んでおり、そこに貧しさは見えてこない。無駄のない質素な佇まい、といったところであろうか。

 色そのものは建物ごとで異なるものの、いずれも屋根は赤色で統一されており、村の一体感を際立たせている。


 眠そうにしていたイブキも、ポーヴェロとはまた違う風景に目を凝らしているようである。

 私はというと、無用なトラブルを避けるため心の中に戻っている。


 村の中に入ってみると、イブキに気付いた一人の女性が近付いてきて声をかけてくる。


 黒と白から成る修道服を着ている。

 頭部のベールが邪魔をしているため髪が紫色であることまでは分かるが、髪型が分からない。うっすらと体のラインが出ているが、どう見ても胸部がとんでもなく盛り上がっている。


 それ以上の情報としては、顔しか判断材料が無い。

 鼻筋は通っており、パッチリとした二重の目の中には、紫色の瞳が収納されている。右目側にある泣きボクロと、厚ぼったい唇がただならぬフェロモンを漂わせる。


 神聖なる修道服のはずなのに、危険な色香を振り撒く女。そしてあの独特の雰囲気。

 初対面であるが間違いない、こいつは色々な意味で私の敵である。


 そう伝えたいところではあるが、今のイブキには会話と対話の二重処理はできないと判断し、静観を決め込む。


「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。私は案内人の一人、レベッカ・トンマージと申します。ここは、天使様の慈愛を授かる村、クレメンツァです。旅人様がこれまでの苦難を乗り越えられ、更にこの先も天使様への祈りを捧げながら進むのであれば、必ずや天使様の祝福が待っていることでしょう」


 どう考えてもテンプレート的なセリフを、感情を込めず淡々と流れるように話している。これはそう、業務マニュアルである。

 以前の転生者も、仕事とやらをしている時には必ずマニュアルがあるとか言っていたしな。


「これから、この村のご案内をさせていただきます。私は旅人様が村に滞在される間、担当案内人を務めさせていただきます。ご用がありましたら、何なりと」


 見事なまでに一言一句滞りなくテンプレートセリフを言い切ると、レベッカは恭しくお辞儀をする。


「ここの村人は善良なる天使様の忠実な信徒ですので、旅人様や他の場所からお越しいただいた方々に、祝福をもっておもてなしさせていただいております。旅人様のご希望を、どうかお聞かせ下さい」


 あ、ここまでがテンプレートセリフか。

 もう少し砕けた表現でその先を語るのであれば、ご飯にするかお風呂にするか、それとも私にするか悩んでもいいのかもしれない。


「泊まれる宿だ。それと、すぐに昼寝がしたいからできるところへ案内してくれ」


 イブキはそのいずれでもなく、即座に睡眠を選択する。


「かしこまりました。それでは、早速ご案内させていただきます」


 そう言うと、レベッカはゆっくりと歩き出し、目的地へと案内を始めた。


「目的地に着く前に、いくつか聞いてもいいか?」


 眠そうな眼を擦りながら、情報を集めようとイブキは質問を試みる。


「ええ、何なりと」

「外部の人間を無条件で受入していたら、いつかは資源が底を尽きるはずだ。そこらへんはどうしてるんだ?」


 ポーヴェロを見てきたからであろうか。確かにあそこを見てきた上で、無償の愛を提供するなどという話は到底信じられるものではない。


「天使様の祝福ですよ、旅人様。祝福によりこの地には豊かな農作物ができます。それこそ我々村の民だけでは消費仕切れぬほどに、です。天使様は他者へ施すようにと、そのような祝福を為されているのです」


 すげーな天使様。悪魔だったら契約で何かを犠牲にしないと、絶対そんな能力くれないぞ。

 理不尽な契約でイブキの浮気防止をしている私としても、素直に感心するしかない。


「天使パワーは万能だな。天使様が祝福してくれれば何でもできるのか?」

「ええ、大抵の奇跡は起こして下さいます。唯一不可能なのは、死者の蘇生です。それと……」


 イブキの嫌味ったらしい質問にも純粋な忠誠心で回答する。

 その後の話が続かないのか、悩ましげな表情をしながら言葉を詰まされる。


「それと、何だ?」

「――いいえ、何でもありません。私としたことが、旅人様を前につい他の考え事に気を取られてしまいました。気になさらず、どうぞお話を進めて下さい」

「そうか。それにしても、さっきから天使様天使様って……俺がもし悪魔でも信奉していた場合どうするつもりだ?」


 信奉どころか契約している身分で、イブキは先程よりも嫌味ったらしい質問をぶつける。


「フフ……旅人様は面白いことを仰るのですね。本当に信奉されていらしたら、そんなことは口が裂けても言えませんからね。それと、悪魔そのものは村の中には入れませんが、どんな信仰をお持ちでも人間であれば、どなた様でもお受け入れいたします。ですので、旅人様がどのような人間であっても問題はありません」


 修道服には似つかわしくない妖しげな微笑みを浮かべながら、レベッカはそう答える。その表情は一瞬であり、すぐ真面目な担当案内人に戻り話を続ける。


「相当寛容だな、この村は。そこまで誰でも受け入れてたら、トラブルの一つや二つ、起きても不思議では無さそうだが?」

「フフ……身を案じておられるのですか? 私達は何をされても構いませんが、天使様がお許しになりません。信徒は天使様からの祝福によって守られ、そしてその祝福に報いねばなりません。他者への無償の愛です」


 変わらぬ天使への忠誠心。どんなことがあろうとも天使が救ってくれて、それに報いるため奉仕する。余所者が立ち入れない価値観。


「そうか。そこまで言うのなら、きっとこの村はさぞ安心できそうだな」


 これ以上の疑問を挟むことについては無意味だと感じたのか、イブキは適当な結論に落ち着けて話題を区切る。


「旅人様、一つだけ大事なことをお伝えしておきます」


 その結論を聞いたレベッカが、今までとは異なる真剣な表情で忠告してくる。


「確かにクレメンツァは善良なる村でご安心いただいて良いのですが、祝福を見極める目も重要です」

「それはどういう――」


 意味深なフレーズにイブキが質問をしかけると、レベッカは人差し指をイブキの口元に当てて、言葉を塞いでくる。

 おいおい、それ以上近付いたら理を司る悪魔から知識じゃなくてワンパンを授けるぞ。


「フフ……旅人様といると、うっかり口を滑らせてしまいそうになりますね。いかに担当案内人であろうとも、それはいけないことです」


 妖しげな笑みを浮かべながら、怪しげなセリフを並べ立ててくる。

 話題を切り替えるかのように、さあ、と前置きしてから目の前の建物を見据える。


「こちらが宿になります、旅人様。至急での対応でしたので私の家になってしまいますが、どうかご了承ください」


 気付けば目的地となる宿である、レベッカ宅に到着していた。

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