第二章「導く天使とクレメンツァの村」

第1話「アンジェラ・モデスタ」

 二人の男女が森の中を歩いている。


 女性はピクニックでも出ているかのような上機嫌ぶりであり、スキップを混ぜながら歩いている。

 一方の男性はムスっとしており、不機嫌そうな様子を隠さず歩いている。その足取りは少しばかり早く、隣の女性を明らかに置いていこうとするペースである。


 前置きはそこそこにしておくとして、ルキこと私はそんな不機嫌な男性である、イブキのご機嫌取りをすることにした。


「イブキ、どうしたのじゃ? そんな面構えでは、天使を滅ぼし尽くすことなどできぬぞ?」

「誰が滅ぼし尽くすと言った。俺は快楽殺人犯か。あくまで契約を履行すると言っただけだ」


 ボサボサな頭、良く言えば無造作ヘアを片手でいじりながら、そう答える。残念ながら、これ以上の問答は答えてくれなさそうである。

 イブキが不機嫌になっている原因は単純明快なことで、いわゆる睡眠不足である。

 ちなみに私がこうして隣で歩いているのは、眠くて心の中での対話が面倒極まりないから、というひどく勝手な理由からである。


 ポーヴェロでの一件が終わった後、日が沈んだ後に泊まれそうな場所がなく、野宿せざるを得ない状況であった。

 これについては近くに宿泊できる候補地すらなかったため、私の宿確保能力の無さが露呈することはなかった。


 私自身は世界を宛もなく彷徨うことが日常茶飯事であったため、野宿には何ら抵抗は感じなかった。

 しかし、こちら側から見れば生粋の異世界人であり、温かい布団で寝ていたイブキはそうもいかず、十分な睡眠時間が確保できなかったようである。

 夜中に何度も寝返りを打ちながら、「枕と布団が欲しい」という叶うはずのない願いを繰り返していた。


 そんな経緯もあり、現在の最優先事項は天使を滅ぼすことでもなく、私への愛を確かめることでもなく、宿を確保することになってしまった。

 ここはモンドレアーレの西側であるということ以外には情報が無いため、行く宛が無い。


 どうしたものかと森の中をしばらく歩いていると、木々を切り倒して作ったであろうスペースへととたどり着き、とある石像が置かれていた。


 先程までの私であれば、もう一晩野宿を提案せざるを得ないレベルであったのだが、運はどうやら私に味方をしたようである。


「これは、天使か……?」


 石像を見たイブキがそう呟く。以前の転生者と話していた時もそうだったが、どうやら地球とこちらの世界の天使は大体同じイメージをしているみたいなのである。


 真っ白な羽衣を纏った女性が、両手を広げてこちらを包み込むような、そんなポーズをしている。石像であるにも関わらずその表情は慈愛に満ちており、背中には両翼が備わっていることから、この見た目は間違いなく天使である。

 そして天使の胸部には、独特の紋様が刻み込まれている。


「ご明答、まさしく天使じゃ。そしてこの天使がいるということは、宿の確保が容易となったことに他ならぬ」


 まるで、想定内でしたとばかりにそう答える。


「どういうことだ……?」

「この石像は、近くに天使を信仰している集落があることを意味しておる。その集落の大小までは分からんがのう。そして、その集落には一つの特徴がある」

「泊まれる」


 寝不足と思考回路の鈍りからくる、究極に欲求のみを表出させた、どうしようもない答えが返ってくる。今のイブキはここが異世界であることを忘れているかもしれない。


「その通りなのじゃが……その言い方はどうにかならんかのう?」


 そう返したものの、イブキはこちらを鈍い目で見つめながら、無言で髪をかくのみである。


「……まあ、良いか。とにかく、この世界には天使を信仰している信徒が数多存在するのじゃ。それは決して珍しいことではないが、中でも天使から受ける施しを万物に分け与えるべし、という慈愛に溢れた連中が集まっている場合があってのう。そのような場所であれば、大抵は無料で宿泊ができるのじゃ」


 宿泊、という言葉にのみ目が鋭く反応するイブキを見て、反応を気にせずに話を続けることにした。


「それで、このポーズの石像はアンジェラ・モデスタ【angela modesta:謙虚な天使】じゃな。どの辺りが謙虚なのかは知らぬし、慈愛とかの言葉の方が合っていると考察しておるが、とにかくこれがあるということは、この先に例の連中の集いがあるというサインじゃな」


 異世界初心者のイブキにも分かるように解説する。

 このアンジェラ・モデスタは、砂漠におけるオアシスのような存在であり、本来は見つければついつい小躍りしたくなるような代物である。さすがに悪魔は泊まれないため、人間限定ではあるが。


 しかし、どうやら今のイブキには喜びよりも億劫さが勝るようである。


「成る程。ところで、後どれくらい歩けば着くんだ……?」


 とにかく短絡的。ポーヴェロでの彼は、一体どこに行ってしまったのであろうか。これではただの普通の人である。


 目的地へ迅速に到着し、昼寝でもすれば戻ってくれるはず。

 そう信じて、イブキの腕を掴みこちら側に引き寄せる。平時であれば抵抗するはずなのに、無抵抗でこちらに体を預けてくる様を見ていると、嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちになる。


「サルゴ【salgo:乗】」


 ヴェントの一種であり、風に乗り高速移動を可能にするマジーアを唱える。唱えた瞬間、二人の体は文字通り風に乗り、ビュンと音を立てて移動する。


 かつて契約していた転生者に、車とか自転車やらはないのかと質問されたことがある。残念ながら、こちらの世界での移動手段はヴェントを駆使することが一般的である。

 そのためマジーアが使えなければ、長距離移動は困難であり高いリスクが付き纏うというのが、モンドレアーレでの常識である。


 風に乗った私たちは、ものの数十分ほどの移動時間で目的地へと到着した。

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