第18話「告白の瞬間」
「何をしとるんじゃあ、アンナ!」
それを見た瞬間、考えるより先に体が反応する。
「ヴェローチェ!」
移動速度を加速させ、アンナへと飛び掛かる。
アンナが、頭部ほどのある土の塊を持つ右腕を振りかぶり、そのまま目の前の両膝をついている男の頭部を狙い、粉々にするために振り落とされる。
「ヒィッ!」
自身の最期を理解し、男は目を瞑りながらその瞬間を待つ。
はずなのであったが、土の塊はいつまで経っても男の頭部に落ちてくることはなかった。アンナは驚いた表情でこちらを見つめてくる。
「ル、ルキ様……」
間一髪。振り落とされた右腕を、加速した左手が受け止める。左手は右腕の手首の部分を掴み、そのまま力を込める。痛みに耐えかねて力を失った右手が開き、土塊が解放される。
私はその右腕を掴んだまま、アンナと向き合う。
「アンナ、お主は自分のしようとしたことが何事が分かっておるのか!?」
悪魔が人間の罪を問うとは、なかなかにシュールである。しかし私は本気であり、逃げることを許さない真剣な眼差しでアンナを睨み付ける。
彼女はこちらを見つめてくるが、瞳に映っているのは虚無であった。別れ際までに存在していたはずの聖人君主振りは、どこにも存在しない。
「何があったのじゃ。妾とイブキに話すのじゃ!」
今度は右腕で彼女の左腕も掴み揺さぶりながら、問いかける。
虚無の瞳はそのままに、上顎部の歯で下唇を噛みながら、耐え忍ぶような表情で無言を貫く。
噛み続けた下唇からはやがて血が滲み出し、一滴、一滴と下唇から溢れ流れ出す。その行為はどの感情を表現しているのか、推し量ることができない。
「なんとか言わんか!」
両腕を揺さぶり、更に言葉を急かす。ようやくアンナの瞳の中から虚無が消え失せるが、次に姿を現したのは困惑。瞳は焦点が定まっておらず、何かを求めて彷徨っている。
少なくとも、すぐに答えが返ってくる気配はない。それでも聞かなくてはならない。
「アンナ、後生じゃ。せめて話せることだけでも……」
「――もう、いいんです」
消え入るような声でアンナはそう呟くと、一瞬の隙をついて捕まれていた両腕を振りほどく。
抵抗はしないと油断していた私は、事態を理解できずに一瞬思考を失う。
「マッサ」
アンナは再び右手に土塊を生み出し掴むと、瞳に狂気を宿しながら私に向かって振り上げてくる。
私は悪魔であり、反撃は容易い。とはいえここまで協力してくれたアンナに鉄槌など――。
「ヴェローチェ」
成り行きを見ていたイブキが背後から加速し、駆け寄ってくる。
私の肩を掴み、思い切り倒してくる。思考が止まっていた私の体は呆気なく地面に倒れてしまう。
アンナの前に立ったイブキは、私の目の前で土塊の直撃を受ける。
ガコッ。
「ぐぅ……」
くぐもった声を上げ、うずくまるイブキ。身長差が幸いし、頭部ではなく左肩を打っただけであり、辛うじて致命傷は免れている。
それでもパートナーの危機であり、プチン、と私の頭の中で何かが千切れる。
「アンナァァァァァァ!」
すぐに立ち上がると、怒りに我を忘れマジーアも何も使わず、悪魔としてのスペックのみでアンナへ渾身の右ストレートをお見舞いする。
アンナは咄嗟に右手で持っていた土塊で防ぐが、所詮は人間が作り出した二級品。衝撃を受け止め切れず、土塊ごと体が吹き飛びアンナは壁に叩きつけられる。
「きゃあっ!」
アンナは悲鳴を上げ、壁にもたれかかりながら倒れる。
「パッラ【palla:球】」
私は掌から火球を生み出し、アンナへと近付く。この状況を生み出した理由に加え、こちらに牙を剥いた理由について聞かなければならない。
アンナを見下ろし、少々手荒な手段ではあるが火球を脅しの道具としてちらつかせながら、要求を投げかける。
「もう一度だけ言う。何が起きたのか妾とイブキに話すのじゃ」
「申し訳、ございません。もう、私は……」
そこから言葉を詰まらせると、涙を流し咽び泣く。既に瞳には生気が戻っている。しばらく待ってみるが、それでも涙が止まる気配はない。
「これでも答えぬというのであれば……」
「ここを出るぞ」
イブキは立ち上がると、顔を歪めながらも激痛に耐え私の隣まで歩いてくる。
「イブキ、何戯けたことを言っておる! こやつからまだ何も聞いておらんぞ!」
「もう、いいんだ」
アンナと全く同じセリフを吐いてみせる。
聞いた瞬間、掌の火球が消えていく。冷酷とも薄情とも違う、全てを放り投げ出したかのような機械的な声。
「良いわけがなかろう! イブキが成し遂げたことは、町の為になるはずなのじゃ!」
「いや、無意味だ。アンナは復讐を果たした結果がこれだ。それ以外には何も無い」
努めて冷静な声を発するイブキ。いつもとは違う表情を見せているが、その原因は痛みだけではあるまい。
そして、何も無いというのは本当にそうなのであろうか。涙を流しながら無言で見つめてくるアンナを見ていると、とても復讐を果たした人物には見えない。
なんで、こんなこと、したの。
不意にあの言葉が脳裏に蘇る。アンナはそう言っていないはずなのに、彼女の涙が、この町の惨状が、そうだと訴えてくる。
イブキとアンナを見ていると、その内私は体が熱くなってくるのを認識する。この体の奥底から沸き上がる情動が、一つの結論を確信させる。
「まさか――」
二人は絶望しているのである。
理由は分からないが、両者共にもういいのだと諦めている。
片方は涙を流し、もう片方は何らかの感情を押し殺している。
私の心の中で、二つの欲求がせめぎ合う。
もっとこれを見せてくれ。
もうこんな思いはしたくない。
こんな場面を見て、心の中でそんな葛藤をしている私は最低最悪なケダモノだ。やはり悪魔なのだと自覚してしまう。
私は絶望する人間が大好きで悲しんでいる人間を見たくない悪魔という、二律背反を背負っている。
体はこれ以上ないくらい上気し、悪魔としての本能に身を委ねたくなるが、もう一つの本能がそれに必死で抗う。
ようやくたどり着いた答えは、一瞬でも早くその絶望から逃げ出すことであった。
「――イブキの言う通り、町を出るしかないのう」
先程の提案に乗る形で、足を動かし始める。イブキもそれに同調する。
私はもうアンナを見ていられない。目線を反らしながら、背を向けて歩きだした。もう返ってくることはないであろう、その無言から逃げるように。
「私です……」
否、背後からぽつりとアンナがこぼす。私の体からは徐々に熱が抜けていく。
「私が、全て……」
絞り出すように吐き出した言葉は、自分自身とこの町そのものが犯した罪の告白に他ならなかった。
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