第17話「血で染まる町」

 起床したイブキと共に、町へと向かう。

 その表情は至って平常であり、睡眠時のような苦悶は見受けられなかった。


 途中で睡眠を取ったこともあり、森を抜ける頃には夕陽が沈みかけていた。このオレンジ色の空の光景は地球とも変わらないと、以前の契約者が言っていた。


 森を抜けて町へたどり着くと、出発時と変わらない静寂が私たちを迎えてくれた。更に進めばどうなるかは分からないが、近くを見る限りでは人影もない。

 変わらない、というのは想定していた事態を考えると、異常事態である。人々が走り回り、歓喜に湧く、そのはずだったのであるが。


「な、なんじゃ、これは一体……」


 予想だにしない静寂に、驚きを隠しきれない。それ以上の言葉を失いそのまま呆然と立ち尽くす。もしや、ラニエロとアンナは戻っていないのでは、そんな懸念も頭に浮かぶ。

 とはいえ、町から城までは一本道である。道中でトラブルが起きれば、遭遇しているはずである。

 思わず手から汗がじわりと滲み、握りしめる。


「一番考えたくなかったパターンだが……先に進むしかない」


 表情を変えずにそう呟いたイブキが、立ち尽くす私の手を強引に握り歩きだした。

 手を繋いで歩くなど、願ったり叶ったりのシチュエーションであるはずだが、握ってきた手もまた汗がじわりと滲んでおり、何も言うことができなかった。


「な、なんじゃ、これは一体……」


 しばらく歩いた所で、到着時と同じ発言をしてしまう。

 しかし、町の中心部と思われる場所に到着した今は、全く異なる意味合いを持った発言となる。


 そこは円形の広場のような場所であった。

 町民の憩い場であったのか、不規則に木製のテーブルと椅子が置かれている。地球の人間であれば、広場の中心に噴水が思い浮かぶかもしれないが、中心部には何も無い。


 規則正しく並ぶ建物の中に存在する、無機質な広場。城も含めて貧しいこの町の光景の一部である。

 余計なものがないというより、余計を生み出す力の無さ。この無機質さからは洗礼などではなく飢えを感じる。


 以前までは、そのはずであった光景を見渡す。オレンジ色の空に照らされて、無機質さとは無縁の異様な光景に対し、その目で立ち向かう。


 赤い。どこを見ても赤い。

 地面も建物もテーブルも椅子も全てが赤い。愉快ではない赤は、それが本能的に忌避感情を呼び起こすことを知っている。


 続けて臭い。顔をどこに向けても臭い。

 この空間に存在する全ての空気から臭いがする。逃げられない匂い。それは、普段では起こり得ないことを知っている。


 ああ、血だ。

 こんなにたくさんの血が付いているなんて。この正体が何なのかは知っているのに知りたくない。


 そして眼前に広がるのは、その広場を埋め尽くさん限りの死体。

 顔が潰れていたり、腕が潰れていたり、色々なところが潰れている。その潰れかたと血の広がり様は、まるでトマトのようだ。

 そうでも例えておかないと、あまりの凄惨さに直視できない。


 広場の中心地にはあからさまに死体が積み上げられており、まるで一種のモニュメントのような異質さを放っている。

 この異質さに一度気付いてしまうと、この不快感にはもう抗えない。


 目に映る死体の群れ、本能が見てはならないと叫んでいるのに、理性がそれを拒む。逃げたくて別の場所を見ても、そこには死体。

 流れる血に飛び出る臓器。頭から溢れている物は、かつて脳であったものであろうか。

 何も考えたくないのに思考が自動的に延々と垂れ流しになり、自身の感情を蝕む。


 ずっと見ていても見慣れるなんてことはなく、むしろ目線が揺らいでひどく目眩がする。それだけでも耐え難いというのに、次は血の悪臭が襲う。

 ひどく刺激的な臭いに思わず鼻を押さえ込んでしまう。それでも悪臭は去ってくれず、反射的にえずいてしまう。

 時間と共に胃から内容物が逆流してくるが、口から漏れ出てしまうことだけは防ぐため、鼻だけではなく口も押さえ込む。


「ううっ……」


 契約するのは久しぶりである。この世に実体化できなかった頃は、臭いも何も感じとることはできなかった。

 外部の異常に体が反応すること、これこそがそもそも生物として生きている実感である。悪魔だからといって、基本的な構造は人間とそこまで変わらないことを体で思い出す。


 長年生きているだけの悪魔では実感できない特殊な感覚。人間と契約を重ね絶望を喰らい、他者の死に対して麻痺してしまったそれらとは異なる存在。

 一方でそれは、人生経験を重ねた人間よりも脆弱な感受性を持っていることに他ならず、この場の刺激には耐えられないことも意味する。


「イブキ、この臭いは、もう駄目そうじゃ……」

「ちょっと黙ってろ」


 私のギブアップ宣言に対しイブキはそう冷たく突き放すと、表情一つ変えずこの光景を見続けている。相変わらずどちらが悪魔なのか分からない。

 しかし体中から汗が吹き出ており、手先も僅かながら震えている姿を見てしまうと、決して感情を失った人間ではないことが読み取れる。

 想像力が豊かなだけかもしれないが、明らかに不調を来している私への心優しい配慮なのかもしれない。


 そうして暫く立ち尽くしていると、イブキは急に目を閉じて集中し始める。その意味を理解できずに呆然と見ていると、やがてその意味が理解できた。


 どこかで人の声がする。うっすらではあるが、叫んでいるような声である。

 気づいたイブキは音がする方向へと走り出す。私も遅れまいと走り出し、後ろから付いていく。血で染まり続けるいくつかの路地を抜け、息を切らしながらようやく声の主へとたどり着く。


 そこには、果たして。


「や、やめて下さい。どうか、どうか。俺が悪かったんです。許して下さい」

「それでは……命をもって償っていただきましょう」


 泣きながら両膝をつき両手を合わせ拝みながら命乞いをする哀れな男と、土の塊を持った右腕を振り上げながら死の宣告をする、アンナがいた。

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