入道雲の向こう
源 侑司
第1話
バイト先のコンビニの店長に、外のゴミ箱の袋を取り換えるよう頼まれた。嫌だな、と思ったけど仕事だから仕方ない。言われたとおりに外に出ると即座にうだるような暑さの風に襲われて、やっぱり断ればよかったと後悔した。
今年の暑さは例年になく、異常らしい。毎日のように最高気温を更新したというニュースが流れている。
強い直射日光に、じりじりと肌が焦げるような音が聞こえてきそうだ。皮膚から汗がにじみ出て、湯気になってしまうんじゃないかと思う。
何でこんな日に働いてるんだろう。部屋でエアコン効かせてごろごろしたい。まぁせめて、早くゴミ箱を入れ替えて涼しい店内に戻ろう。
と、ゴミ箱に目を移した時、その光景に驚いて思わず飛び退く。
駐車場の車止めのところに、人がうなだれるようにして座っている。見た目には生気が感じられなくて、正直死んでいるんじゃないかと疑った。
こんな真夏の真っ昼間に? だとしたらとんでもない事件かもしれない。
そう思いながらおそるおそる近づいてみたけれど、どうやら息はしているらしい。大事ではなさそうで、ほっとした。
「……ん? 大石くん?」
よく見ると、その人物はクラスメイトの大石くんだ。白いTシャツの下に、浅黒く焼けた肌が透けている。がっしりとした体格にお似合いの色だった。
「……おぉ、遠野か」
私の呼びかけに応えるように、ゆっくりと顔を上げながら、大石くんは私の名前を呼んだ。
「何、ひょっとして、ここでバイトしてんの?」
コンビニ指定のユニフォームを着た私の姿を見て、そう尋ねてくる。
「そうよ。そんなことよりどうしたの? 体調悪そうだけど、大丈夫?」
私が心配してそう尋ねると、大石くんは手を振りながら無理やりのような笑顔を浮かべた。
「大丈夫。ちょっと水分不足だったかもな。ふらついたから、休ませてもらってたんだ」
「水分不足ぅ?」
私は眉を寄せて繰り返す。
確かに今日は特に暑いし、ちょっと油断したらすぐに体内の水分がなくなってしまうかもしれない。
とりあえず、そのままにしておくのは忍びない。私はすぐに店内に戻り、スポーツドリンクのペットボトルを一本取って大石くんに手渡した。
「はい、これ」
「悪い、お金はあの自転車のバッグに入ってるから」
大石くんはペットボトルを開け、勢いよく飲み始めた。大石くんが親指で指した先に視線を向けると、そこにはスピードの出そうな細いタイヤの自転車が停めてあり、その自転車には大きなバッグやロール状に丸めた寝袋のようなものがくくりつけられている。
どう見ても、その辺に出かけるような装備じゃない。
「ねぇ、どこ行くつもりなの?」
「九州だけど」
「は? 自転車で? 嘘でしょ?」
冗談かと思って何度も聞き返す。ここから九州なんて、日本の半分を走ることになる。何日かかるんだろう。いや、そもそもそんなことできるのだろうか。
「嘘じゃない。せっかく夏休みで学校もないんだし、普段じゃできないことをやろうと思ってさ」
どうやら本気らしい。確かに一ヶ月以上休みはあるけれど、それでも行けるものなのか、私には見当もつかなくて呆気にとられるばかりだった。
「何しに行くの? 観光?」
「それもいいけど、一番の目的は星かな。先輩に教えてもらったんだけど、九州にすごくいい星空が見える場所があるらしいんだよ。それを見てみたくてな」
「え、ただ星を見るだけのために自転車で九州まで? 別に、電車か飛行機で行けばいいじゃない」
わざわざそんな苦労しなくても。でもそう言うと、大石くんはしばらく考え込むような仕草をして、口を開いた。
「まぁ、金がなかったし。それにこうやって行けば、行く先々でもいろんな星空が見られるかもしれないだろ」
「大石くんってそんなに星が好きなの?」
素朴な疑問だ。大石くんには悪いけど、正直いかついこの体格から、星空好きのイメージは生まれない。
「一応俺、天文部だからね」
「うっそ、そうなの? それが一番驚きなんだけど」
てっきりどこかの運動部に入ってるものだと思ってた。それがまさか天文部とは。見た目で判断してはいけないなと反省する。
「じゃあさっきの先輩って、天文部の?」
「そうだよ。さすがに自転車で行くって言ったら、笑われたけど」
「当たり前じゃん」
私はそう言いながら何だかほっとした。私の感覚は正常だ。
「さて、じゃあだいぶ休ませてもらったし、そろそろ行こうかな」
大石くんが立ち上がって飲み干したペットボトルをゴミ箱に捨てた。そうだ、私はこのゴミ箱を取り換えるよう頼まれてたんだ。そろそろ仕事に戻らないと、さすがに怒られてしまう。
「ありがとう、これドリンク代な」
大石くんがバッグから取り出した小銭を受け取る。
「……うん」
手のひらにコインの冷たさを感じながら、私はふと思い出していた。
九州といえば昔、家族旅行で行ったな。残念ながらその一回限りで、どこに行ったのかも覚えていないけれど、楽しかった記憶はある。
また行ってみたいけれど、さすがに無理だしなぁ。バイト代で、もう買いたいものも決まってるし。
遠くの空を見上げると、鮮やかな青い空に、巨大な入道雲が見えていた。距離も大きさも計りきれない夏の風物詩。でも、あれは確実にどこかの地の上に浮かんでいる。九州はあの下ぐらいだろうか。それとも、もっと先の空の下だろうか。
そうだな、やっぱり私も、見てみたいよ。
「ごめん、ちょっと待ってて」
大石くんにそう言って、私はまた店内に戻る。そして今度は大きめのスポーツドリンクのペットボトルを手に取り、大石くんに差し出した。
「これ、私のおごりでいいわ。ちゃんと水分、取ってよね」
そう言うと、大石くんは申し訳なさそうに笑って受け取った。
「その代わりなんだけど、私も連れてってくれない?」
「はっ?」
私のお願いに、大石くんが露骨に戸惑った表情を浮かべる。そうだよね、とその様子がおかしくて笑えた。
私はポケットからスマホを取り出して、大石くんの目の前に掲げる。
「これよ。星空を見る邪魔にならない程度でいいから、景色とか写真撮って送ってもらえないかな。そうしたら、私も行った気分になるでしょう? だから、連絡先交換しよう?」
そう言うと大石くんはほっとしたようにうなずいた。わかった、と大石くんもスマホを取り出し、連絡先を交換する。
「それに、大石くんが元気なことも確認できるしね」
にこりと笑ってみせると、大石くんは照れたように顔をかく仕草をした。
「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」
自転車をこぎ出す大石くんに、私は大きく手を振って見送った。
大きなバッグを背負った背中が、剥き出しのふくらはぎに力を込めて、遠い道のりのスタートを切る。
「あーぁ、うらやましいな」
小さくため息をついて、私はひとりごとをつぶやく。
大きな大きな入道雲。そこに向かってまっすぐ進んでいく大石くんの背中は、すぐに小さくなった。
その向こうに何があるのか、君は確かめに行くんだね。
勇猛果敢な後ろ姿に、私はちょっとだけ憧れる。
最初の写真が届くのを心待ちにして、スマホをぎゅっと握った。
入道雲の向こう 源 侑司 @koro-house
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