第三十七話 「ヴィオレッタ・シルバーブルーム」

ヴィオレッタ・シルバーブルームは、魔法世界で最も古く、最も力のある家系の一つに生まれた。

シルバーブルーム家は代々、最高位の魔法使いを輩出し、魔法省の要職を務めてきた。


そんな家に生まれたヴィオレッタは、幼い頃から完璧な淑女になるべく厳しい教育を受けてきた。

毎日、背筋を伸ばし、優雅に歩く練習。魔法の杖を扱う作法。上品な言葉遣いと礼儀作法。そして、純魔法の修練。ヴィオレッタの日々は、常に誰かに見られ、評価される緊張の連続だった。


「ヴィオレッタ、あなたは私たちの誇りよ」

母の言葉は優しかったが、その裏には重圧が隠されていた。ヴィオレッタは、その期待に応えるべく必死に努力を重ねた。その結果、彼女は純魔法学部でトップの成績を収めるまでになった。

しかし、ヴィオレッタの心の奥底には、常に満たされない何かがあった。

華やかで洗練された世界の中で、彼女は息苦しさを感じていた。本当の自分を表現する機会も、心から打ち解けられる友人もいない。


そんなある日、ヴィオレッタはエステルを見かけた。

剣術の練習をしている彼女の姿に、ヴィオレッタは息を呑んだ。しなやかで力強い動き、凛とした表情、そして何より、自由に自分を表現しているように見えるエステルの姿に、ヴィオレッタは心を奪われた。


「あんな風に、私も」

その思いは、日に日に強くなっていった。廊下ですれ違うたび、遠くから見かけるたび、ヴィオレッタの心臓は高鳴った。

しかし、エステルに話しかける勇気はなかった。違うクラス、違う学部。そして何より、自分の立場がそれを許さなかった。


ヴィオレッタは、誰にも言えない秘密の想いを胸に秘めたまま、日々を過ごしていた。エステルへの憧れと恋心は、彼女の心の中で静かに、しかし確実に大きくなっていった。

そんな中、学園でミスコンの開催が発表された。ヴィオレッタは当初、そんなものに興味はなかった。しかし、周囲の期待に押され、否応なしに参加することになってしまったのだ。


「シルバーブルーム家の誇りにかけて、ヴィオレッタ様なら必ず優勝できます!」

取り巻きたちの声に、ヴィオレッタは苦笑いを浮かべるしかなかった。そして、彼女の心に新たな不安が芽生えた。このミスコンで、エステルと対立することになるのではないか……と。


ミスコンの準備が進む中、ヴィオレッタの心は複雑な感情で揺れ動いていた。エステルもミスコンに出場すると知った瞬間、彼女の胸は高鳴りと不安で一杯になった。

「エステルさんと競争するなんて…」

ヴィオレッタは、鏡の前で微笑みの練習をしながら、心の中で呟いた。彼女にとって、エステルは憧れの存在であり、密かな恋心の対象だった。その人と敵対するなど、想像もしたくなかった。


しかし、周囲の期待は日に日に大きくなっていった。

「ヴィオレッタ様、あなたこそルミナスの星姫にふさわしい方です!」

「エステルなんかに負けるわけにはいきません!」

取り巻きたちの熱狂的な声に、ヴィオレッタは押しつぶされそうになった。彼女は、エステルを貶めるような言葉を聞くたびに胸が痛んだ。でも、そんな気持ちを表に出すことはできなかった。


ある日、廊下でエステルとすれ違った時のこと。ヴィオレッタは勇気を振り絞って微笑みかけようとした。しかし、その瞬間、取り巻きたちが彼女を囲み、エステルに敵意のある視線を向けた。

ヴィオレッタは、自分の気持ちを伝える機会を失ってしまった。

「本当はエステルさんと仲良くなりたいのに……」

夜、自室のベッドで天井を見つめながら、ヴィオレッタは心の中でそう叫んだ。


エステルへの想いと、周囲の期待との間で板挟みになり、彼女は苦しんでいた。

ミスコンの日が近づくにつれ、ヴィオレッタの悩みは深まっていった。彼女は、エステルの強さと美しさを心から尊敬していた。その人と競い合うなんて、本意ではなかった。でも、家族や学園の期待を裏切ることもできない。


「どうすればいいのかしら……」

ヴィオレッタは、魔法の練習をしながらも、常にエステルのことを考えていた。

彼女の凛とした佇まい、真摯な眼差し、そして時折見せる優しい笑顔。それらすべてが、ヴィオレッタの心を捉えて離さなかった。


ミスコン前夜、ヴィオレッタは決心した。たとえ敵対する立場になったとしても、自分の気持ちは伝えたい。

エステルへの尊敬と、密かな恋心を。

考えようによっては、ミスコンの舞台は自分を彼女に見てもらえる最高の舞台でもある。

そう心に言い聞かせ、ヴィオレッタは眠りについた。明日への期待と不安が入り混じる中、彼女の夢には、いつものようにエステルの姿が現れた。


そしてミスコンが始まった。ヴィオレッタは緊張しながらも、エステルに近づく機会をうかがっていた。

今こそ、自分の気持ちを伝える時。たとえ拒絶されたとしても素直な気持ちを伝えることが、彼女にとっての一歩になるはずだった。


ヴィオレッタはミスコン初日を迎え、胸の高鳴りを抑えきれずにいた。鏡の前で最後の身だしなみを整えながら、彼女の頭の中はエステルのことでいっぱいだった。

「今日こそ、エステルさんに話しかけるわ」と心に誓いながら、会場へと向かった。


会場に到着すると、そこは既に熱気に包まれていた。参加者たちが次々と名前を呼ばれ、ステージに上がっていく。ヴィオレッタは待機列に並びながら、エステルの姿を探していた。

「ヴィオレッタ・シルバーブルーム」

名前を呼ばれ、ヴィオレッタは深呼吸をして立ち上がる。


優雅な歩き方で舞台に向かう彼女に、観客から大きな拍手が沸き起こった。

ウォーキングを始めると、長年の練習が自然と体を動かした。背筋を伸ばし、顎を引き、視線は遠くを見つめる。彼女の動きは、まるで気品ある白鳥のようだった。

しかし、ヴィオレッタの心はざわついていた。

エステルはどこにいるのだろう。自分の姿を見ているだろうか。


自己アピールの時間になり、ヴィオレッタは優雅に一礼した。

「私の趣味は、古代魔法の研究です」

彼女の声は、清らかな鈴の音のように会場に響いた。

「特に、失われた癒しの魔法に興味があります。将来は、その知識を活かして多くの人々を助けたいと思っています────」


スピーチを終え、観客からは感嘆の声が上がった。しかし、ヴィオレッタの目は客席を探っていた。そして、ようやくエステルの姿を見つけた瞬間、彼女の心臓は大きく跳ねた。

エステルは、真剣な表情で彼女を見つめていた。

その視線に気づいたヴィオレッタは、思わずつまずきそうになった。しかし、すぐに体勢を立て直し、最後まで優雅に歩ききった。


舞台裏に戻ると、ヴィオレッタは大きくため息をついた。「エステルさんの前で恥ずかしいところを見せてしまいましたわね」

しかし彼女は勇気を振り絞り、エステルの元に行こうと決意した。ところが、

「ヴィオレッタ様、素晴らしかったです!」

「さすがシルバーブルーム家のお嬢様ですね!」

取り巻きたちに囲まれ、ヴィオレッタはまたしてもエステルに話しかける機会を逃してしまった。

彼女は心の中で悔しさを噛みしめながら、明日こそはと誓うのだった。

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