魔法少女“クソッタレ”カナコの絶望と希望
小川草閉
ヤバいのがやってくる!
魔法少女血盟会連合局本部──通称“当局”の白く長く続く廊下をカラフルな少女の一群が静かに進んでいる。色も服装もバラバラ(魔法少女は基本的に他人に合わせることをしない、魔法少女なので)な彼女たちだったが、それぞれが同じような数と種類の濃紺の魔女のエンブレムの階級章をぶらさげていた。つまり、それなりの強さと実績を持つものしかここにはいない、ということだ。
その人数66。音も立てずに殺気立って歩く隊列のちょうど真ん中に、ぽつんと1人だけ、塗り忘れたように真っ白な装いの少女がいた。足に錘を、手首に青黒い錠を、その他各種拘束具にぐるぐる巻きにされた彼女は、ギロチンを待つ罪人のごとく項垂れている。
というか本当に罪人なのだ。
むしろ私だ。
遠見に飛ばした視野をゆっくり自分のところになじませる。客観的な描写から主観的なビジョンに切り替える。案の定ていうかなんていうか、ある高度以上は飛ばせなかった。何かに阻まれたのだ。それでも人数は把握出来たけど。多分ここにいる誰かが一生懸命やってるんだろう。フリルのボンネットがかわいいあの子かな。紫のひらひらの裾が綺麗な彼女かな。私も昔はみんなみたいにカワイ〜服を着てたはずなんだけど、ある時からこんな地味になってる。
ああ、それにしても久しぶりの娑婆だ。
私は胸を膨らませて、ちょっと大袈裟なくらい吸ったり吐いたりした。なにしろ毒もなんもないまっさらな空気は久しぶりだったのだ。収容槽にびっしり生えてる飢貝苔のウンザリするほどじめじめした匂いとも少しだけおさらばして、私は偉い人のところに向かっている。
向かった先にはご馳走が待っている、わけがなく、普通に刻まれたり煮られたりする。破壊実験というやつだ。なんせ私ってば13の国・地域・機関から抹消要請が出てるのよね! とんだVIP待遇だ。無い胸を張ってはみたが虚しいだけだった。
ところで猫に七生って諺ご存知だろうか。あれはガチ。魔法少女にもそういうのがある、と、言われている。たまにいる異常な再生速度の魔法少女が誇張されてそう伝わったみたいな説もあって、実際はわからん。でも魂を容れ物──わりとなんでもいい──に定着させる術式はある。知ろうとしただけで罰則で片腕もがれるけど。
下手に殺して魂だけ飛ばれても困るし?が当局のスタンスだけど、要請は無視できない。「やってますよ〜」という姿勢を見せるために私は定期的に半殺しにされるってわけ。
今回は何かなあ。前回は最新の設備でひっくり返されたりしたので、ここは伝統的に火あぶりだろうか。あれは結構楽な方だ。さいしょはメチャ痛いけど終盤になってくると何も感じなくなってくる。そこまでいくと神経すら焼ききれているらしい。まあ消し炭になっても再生しちゃうけど……。
消し炭のところで前行った食い物の店を思い出した。炭火でじゅうじゅう焼いた肉の串も素晴らしかったが、一番良かったのはタコヤキだ。ぱりぱりの丸い表面を食い破るととろっとした熱い中身が飛び出してきて、その中心にはやたら弾力のあるなんかの肉が入っている。ソースの匂いがまざまざと蘇って、腹が寂しくなった。そう言えば最近固形物を胃に入れてない。
またあれ食いたいな。終わったら食わしてくれないかな……と思ったが、皆真面目な顔をしていてそういう雰囲気じゃなかった。退屈な行軍は進む。窓からはさんさんと日が差し込んでいる。世はこともない。青く澄んだ空からはタコヤキのように丸い物体が降下してきて──
──は?
拘束が解ける。解かれる、それを認識しないうちに飛び退いて、巨大な質量な着地するのを見た。それはただの、あまりに芸のない、丸い鉄塊だった。それでも人間の骨格をすり潰すには十分だった。衝撃波で柱が割れる。ガラスが粉々になる。一瞬にして間抜けな子が何人か死んで、ここは修羅場になった。怒号が飛ぶ。空気がピキピキと鳴るほど大量の図象式が展開される。まだ見えない。いや。
うしろにいる。
その子はフツーに見えた。
銀色の髪も黒い目も珍しいもんじゃない。
それでも私は目を奪われた。
これは。この子は。
強く差し込んだ頭痛に呻く。当局肝いりの魔法少女どもが張った結界がその細腕でどんどん破られる。待ってあれ物理でやってない? そんなんできるの? あまりに文字通りの力技に見とれてすらいる。敵意は感じないけど、私なんかものの弾みでなんとなく殺されそうな気がする。
ぼーっとしてたら視界が揺れた。腹を押されて喉がぐうと鳴る。腹を抱えて高いところに移動させられたのだ。水色のふわふわの髪が顔にあたってくすぐったい。ああニニカちゃんだ。
懐かしいなあ。まだ死んでなかったんだ。こっち見てすらくれないけど、懐かしい人に会うと嬉しいね。
奥の方からわらわらとまた懐かしい顔が出てきた。ライラ、プキュ、ターキニア……魔法少女は殉職率が高くて、そんで死ぬやつは大体ルーキーだ。弱いやつは死ぬ。逆説的に、生き残るようなやつは強くならざるを得ない。魔法少女は実力社会だから、強いやつは偉くなる。必然的に古株が上の方に行くのだった。
ヤバいのが来たって連絡が偉いのにまで行ったんだ。
プキュちゃんが何か言って、攻撃の手は強くなったようだ。笑えるくらい効いてない。ヤバいの(仮)がこっちに向く。大きく息を吸って、その体がたわんだ。さらに殺気立つ。炎か光か弾幕か、予備動作の大きさからして凄いのが来る。
それは。
「カナコ殿! カナコ・イスカブラ殿!」
めちゃくちゃでっかい声だった。
……は?
皆がちょっとだけぽかんとした──いや、でも、ただの大声だ。ビリビリくるけど、マジで魔力とかみじんも感じられない。こっちへの攻撃の意思は、ない? ヤバいのは私の名前を呼んで、私に向かってひたすら叫んでいる。
「名乗りもせず突然押しかけてもうしわけない! 拙者、貴殿に会いたく参上した!」
拙者ってなに? 遠雷が飛ぶ。霙が降る。その全てを拳で──拳で!?──防ぎ砕きながら、ヤバいのは私に向かい少しずつ、だが確実に進んできた。
くっついてるニニカちゃんの鼓動が早くなるのを感じた。ビビってるんだろうか。確かに怖い。
「この状況では、わけは詳しくは、言え、ない、が!」
ヤバいのが踏み込んだ衝撃波で第1陣から5陣までの血界式が破損した。血を失って蝋のように青白くなった何人かが倒れるのが見える。血液を媒介するシステムのところって大変だなあ、と、現実逃避のように思う。
「どうか! どうか!」
召喚された八百万の砲門がやばいのに覆い被さる。お行儀よく円形に並んだそれはまるで黒くつやつやとした花弁のように見えたが、一瞬にして破られた。蕾から飛び出す妖精の姫のように彼女は舞い上がる。
その双眸がニニカちゃんを捕らえた。
「拙者と共に──」
空気が震える。
「手始めに、ここを」
ブッ壊すでござる!
多分そう言ったんだろうと思うけど、単純に音としてデカすぎて認識できなかった。一拍遅れて衝撃波が来る──ニニカちゃんが私を手放した。いい判断だ。これくらいじゃ死ねないし。私の保全より敵の撃破を優先したんだろう。
私は落ちる。
地に落ちるまでの時間は奇妙に引き伸ばされていた。
誰も私を見ていない一瞬がある。
ライラちゃんがゆっくりこっちに向いて、ゆっくり顔を顰めた。
私は反転する。
ライラちゃんの悲鳴じみた声が上がる。
「おい! あいつの口を塞げ!」
「もうおそい」
ぱかっ、と、いっそ気の抜ける音がして。
私の口かせは外れた。
血が歓喜にふるえる。
唇は呪文を紡いだ。
『
瞬間、光は炸裂する。
さりさりと螺鈿を擦るような音がする。
花が散る。全ての女の上に花びらが舞う。
花びらは指向性をもって私以外の心臓を目指す──何人か倒れた。クソッ。やっぱなまってるよ。昔はもっと、こう……
まあいいや、と空を蹴る。体が羽のように軽い。血流は沸騰して、心臓は早鐘を打った。うれしい。うれしい。うれしい。人が何人死んだって魔法を使えるのがうれしい。長年の収容生活は私の目を曇らせていたみたいで、さっきよりも奔流する魔法の流れがよく見えた。みんな非効率な部分があって綺麗じゃない。速さも足りない。たまにオッと思うのがあって、それはライラちゃんとかプキュちゃんとかターキニアちゃんとか、あと知らない人もいたけど、とりあえず偉いんだろうなって人達だった。
『
『
キラキラと呪文が聞こえて、私のいた座標に牙が生える。テコで押しつぶされる。危ない。またたきしてたら死んでるところだった。再生速度も間に合わないからガチで死んでた。
あのステキな殺意はターキニアちゃんとプキュちゃんだ。振り返って顔を合わせる。2人ともすごい形相だ。
「戻れカナコ・イスカブラ!」
「もう、カナコって呼んでくれないんだ」
「だまれ“クソッタレ”!」
「あ゛!? やめてよその呼び方!」
ターキニアちゃんは変わらないなぁ。
プキュちゃんはもうちょっと冷静だった。
「カナコ。わたしたちの“最高傑作”。きみの首にはきみ自身にも払えないたくさんのものがかかっている。どうか──戻ってくれないか」
「“最高傑作”って言われるのも、それはそれでいやだなあ」
「たのむ。きみを壊せば多分、寝覚めが悪い」
プキュちゃんはそう言ってから目を見張った。
私の服が黒い光を纏って変化し始めている。
──魔法少女は、黒くない。
いつかそう教わったのを思い出した。
いくつもの魔法少女のさきがけを孕んでいた、始祖とも呼べる“はじめの魔女”でさえ、纏っているのは濃紺だった。
魔女なんてこれまでもこれからも産まれないのに“はじめの魔女”なんて呼ぶのは、わたしたち魔法少女が彼女を最初で最後だと信仰しているから。
魔法少女は黒を選ばない。
魔法少女は黒くない。
たしかに、私のフリルは黒ではなかった。
なのに今、私のパニエは黒く染っている。
胸には肉よりも赤いルビーが光る。
腰に差された細身の刀は、湧き出す蒼い血でしとどに濡れる。
カラフルな惨劇の中で、私だけが墨を垂らされたように真っ黒だ。
魔女の置き土産。レガシー。特別収容犯。最高傑作──クソッタレ。
私は、何なんだ。
「カナコ殿!」
その時、もうおなじみになった大声が聞こえた。
私は思い出す。
なんでこんなことになったんだっけ。
そうだ、めちゃくちゃなやつが飛び込んできたんだ。
当局ブッ壊すでござるとか言ってんの。
そいつめちゃくちゃ強いくせに。
無理やり殺したりとか、あの時は出来そうだったのに。
わざわざ私に許可とってきたんだ。
おもしろいやつだなぁ。
顔が、似てるんだ。
手、取ってもいいかな。
そういや名前知らないや。
私は彼女に手を伸ばした。
彼女はにっこり微笑んだ。
気を失いそうなほどの高速飛行。
当局の長い廊下の残骸でライラちゃんが叫ぶ。
「カナコ! カナコ・イスカブラ! ベルゴヴェール条約第2条により当官権限で貴様に殺害許可を出した!
当局は、いや、私は! お前たちを必ず殺す! どこにいてもだ!」
よくそんなの覚えてるな。
私は叫んだ。
「喘ぎ声がうるさすぎる! 仮にも収容犯の近くで夜な夜なそんなことしないで! って、元嫗院のおばあちゃんたちによろしく!」
ライラちゃんが顔を真っ赤にした。
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