第3話 恋の行方

 あれから数日が過ぎたが、優は猫神様から言われたことをずっと考えていた。


 神様には、人間の心のあり方を変えることはできない。


 (結局は、自分が変わらないと何も変わらない……)


「一歩を踏み出す勇気、か……」


 考えすぎて、図書室の当番の最中もついそんな言葉が口を出てしまう。


 図書委員は昼休みと放課後に図書当番を二人でやることになっているが、昼休みはともかく、放課後の図書室はほとんど人がこなかった。

 やることもなく、なぜかもう一人の図書当番の子もこないので、暇を持て余してついつい優は考え事をしてしまっていたが……。


「どうかしたの?」


「わわっ! 藤堂先輩!? どうして、……っ?」


 綾が突然目の前に現れて、優はガタタッと椅子から立ち上がる。


 優の学校では、一年生と二年生がペアになって当番をすることに決まっていたが、今日のもう一人の当番は綾ではなかったはずだ。

 予想外に想いびとが現れ、優は動揺が隠しきれない。


「今日の当番の子が風邪を引いてお休みらしいから、私が代わりにきたの。ごめんね、遅れちゃって」


 綾は理由を説明すると、椅子から立ち上がったまま座ろうとしない優に座るように促す。綾も優の隣の椅子に座り、当番の業務につくが、相変わらず図書室には人がこない。


「人、こないね。お昼休みに本を借りていく人がほとんどだからかな?」


「そ、そうですね……。ひまですよね……」


「そうね。でもね、私は静かな図書室でゆっくり過ごす時間も好きよ」


「そうなんですか……」


 気を遣ってくれたのか綾が話しかけてくれたが、優が即座に話を終わらせたため、少しも盛り上ることなく話は終わってしまった。


 (あああ……! 何をやってるんだ、僕は。せっかく先輩と二人きりというまたとないチャンスなのに! 話を終わらせてどうする)


 優は一人で猛省していたが、自分から話しかける勇気はもちろんない。


 ちらりと綾の様子を伺うと、手持ち無沙汰な状況にも関わらず綾は背筋を伸ばし、その横顔は凛として美しかった。


 綾はしっかりしていて真面目だけど、お堅すぎるわけでもなく、優みたいな一年生にも気軽に話しかけてくれる。やはり綾は、優から見たら完璧に見えた。


 優のようなごく普通の高校生にとっては手の届かない高嶺の花なのだろうか?


 (先輩と僕じゃ釣り合わないのは分かってる、けど……)


 叶わない恋だとは分かっていても、優は綾のことが大好きだった。このまま諦めるのは簡単なように思えるかもしれないが、簡単に諦められないからこそ神社通いまでしていたのだ。


 告白まではいかなくても、せめて少しでも親しくなれたら……。優はそんなことを思いながら何度も隣の綾に話しかけようとしたが、ギリギリのところで出かかった言葉が出てこない。


「何をやっておるのじゃ、お主は」


 優がうだうだと悩んでいると、どこからか猫神様の声が聞こえてきて、優はとっさに立ち上がって辺りを見回す。すると、綾と優のちょうど真上の辺りに猫神様が浮かんでいて、優は思わずあんぐりと口を開けてしまった。


「な、……!? どうしてここに……!?」


「水沢くん、どうかしたの?」


 優の目にははっきりと猫神様のお姿がうつっていたが、綾には何も見えていないようだ。立ち上がって、天井を凝視している優を不思議そうに見つめている。


「あ……いや、何でもないです」


 なぜだか分からないが綾には何も見えていないようだし、ここで猫神様がどうこうと言い出したら、完全におかしいと思われるだろう。


 優は苦笑いを浮かべながら椅子に座ると、今度は隣の綾に気づかれないように、口パクでこっそりと猫神様に話しかける。どうしてここにいるんですか、と。


「そんなことはどうでもよいから、早う話しかけよ。せっかくの好機じゃろう」


 (で、でも……)


「ええい、まだるっこしいやつじゃのう」


 まだうじうじしている優に猫神様は舌打ちしてから、思いきり優の背中を押した。体のバランスを崩した優は、隣にいる綾の肩に手を乗せてしまい、ちょうど呼びかけるような形になってしまう。


「ん? 何? どうかしたの? 水沢くん」


(うわー、うわー!! さすがにこれは強硬手段過ぎる)


 自分に出来るのは、人間が前に踏み出す勇気を与えることだけだと猫神様は言っていたが、まさかこんな物理的な手段だと思っていなかった優はパニック寸前だった。


 しかし、すでに綾は振り向いてしまっているし、何か話しかけなければいけない。


 (何か話題、話題、……、そうだ!)


 真っ白になりそうな頭で色々考えた結果、優の頭に浮かんできたのはたった一つだった。


「あの、あの、……、先輩は、どんな猫が好きですか!?」


「……それはないじゃろう」


 猫神様が大きくため息をついた瞬間、優本人もため息をつきたい気分だった。


(またやらかした……! いくらなんでも唐突すぎるだろ、僕。会話下手すぎない!?)


「そうねぇ、どんな種類の猫も大好きだけど、一番好きなのは短毛種の猫なの。三毛猫や、トラ猫が好きよ。活発でやんちゃなところもあるけど、元気でとっても可愛いでしょう?」


 またも優は猛省していたが、意外なことに綾は目を輝かせ、食い付いてきた。どうやら前情報の通り、根っからの猫好きらしい。


「ふむ……。綾は見る目があるのぅ。

最近ではおとなしい長毛種も人気なようじゃが、三毛やトラは日本古来から親しまれている日本猫じゃからの。日本人には一番馴染みのある猫じゃろう」


 猫神様も綾の答えを聞いて、納得したように何度も頷いている。


「え、あ、ですよね……! 毛が短い方が手入れしやすそうですし、さっぱりしてていいですよね」


「ふふ、夏はとくにそうよね」


 相変わらず優はから回っていたが、それでも綾は大好きな猫の話を出来るのがよほど嬉しいのか、楽しそうにクスクス笑っている。


 それから、図書室が閉まるまでの間、綾はイキイキと猫の話を続け、優は会話を膨らませるまではできなかったが、盛り下げないようにひたすら相づちを打ち続けた。


「今日は楽しかったわ。私ばっかり話していて、ごめんね?」


「いえいえ! そんな! 僕もめちゃくちゃ楽しかったです。勉強になりましたし! あ、あの……」


 図書室の施錠をしながら、綾に笑顔を向けられ、優も即座に返事をするが、そこでいったん言葉をとめた。


 (ここで何も言わずに別れたら、また昨日までと同じだ。せっかく猫神様が勇気をくれたんだから、僕だって……)


 優は一大決心をすると、大きく息を吸い込む。


「……、もしよければ、また猫のこと教えてくれませんか?」


「何をやっておるのじゃ、お主は……。そこは連絡先を聞かぬか!」


 上を見なくても、猫神様が盛大にずっこけている様子が目に浮かぶようだったが、それは優の精一杯の勇気だった。


「ええ、もちろんよ。また猫の話をいっぱいしましょうね?」


 ふわりと笑った綾は今までで一番綺麗で、優はその笑顔に釘づけになってしまった。


「想像と違ったが、まあ良いか。一歩前進じゃのぅ?」


 猫神様が優に話しかけていたが、嬉しさと綾の美しさに固まってしまった優の耳には、それは届いていなかった。

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