第2話 異世界よ、死滅しろ

タカヨシは極度の潔癖症だ。


脅迫神経症ほどの病的なものではないが、一歩手前の状態ではあると本人は思っている。手の皮が溶けるほど石鹸で洗うこともなければ、鍵をかけたことを何度も確認することもないのだから。

ただ必需品は薄手の手袋。もちろんアルコックス制。そして何度も付け替える。決して素手では触らない。


周囲の反応としては微妙なところではあるのだが。

人には触れない、研究室のドアノブや電車のつり革を握れない、図書館などの貸し出される物には絶対に触れないなどの症状はあるが、日常生活が全く送れないほどの支障はきたしていない、と信じている。


だが、それは比較的衛生環境の整った日本だからだ。


ところが、なぜか気がついたら異世界にいた。それも丘の上で地面に転がるという自分が幼児であってもしたことのない状況で、だ。


ここが日本でないことはすぐにわかった。


二回目に目を覚ました時には青い月とピンクの月とが夜空に浮かんでいたのだから。月だと思ったが、月ではないかもしれない。

だが、地球では、絶対に見られない光景だとは瞬時に理解できた。


最後の記憶は、研究室のドアを誰が触ったのかと怒っていたところだ。全自動ドアの目の高さに指紋がベッタリとくっついていたのだ。勝手に開くのに、触る理由はなんだと憤った。


タカヨシは阿須間サイエンスラボという研究所に勤務しており、日夜雑菌と戦っていた。完全なる殺菌された研究室で、消毒液を作っているのだ。生活に潜む幾万の敵、目に見えない脅威である菌と戦い続ける孤独な仕事だが、天職といえた。


それが、どういう経緯でこんな土壌に転がっていることになるのか?


異世界といえば、普通は現実世界に不満を持つ者が行くはずの世界だろう。

確かに自分は両親とは不仲で、一人っ子で、独り暮らしで、社畜のような生活をしていて、友人もいない。一見孤独に見えるだろう。だが、決して仕事に不満があるわけではないのに……!!


「ありゃりゃ、こんなところで寝っ転がってどうしたの?」


意識が遠のきかけた瞬間、のんびりとした声がかけられた。

顔を覗きこまれたせいで、ばっちり相手の顔は見える。

金色に光る瞳は縦長で獣を思わせた。だがそれよりも赤毛の頭の上で二つの大きな三角の耳が左右にひくひくと蠢いている。視界の端にはにょろんと毛で覆われたしっぽが揺れる。


獣人?


つまり、動物だ。

人型といえど、毛皮があり動物に違いない。

しかも猫だ。

猫はポルデテラという人に移る病原菌を持っていることがある。それだけでなく、毛皮というのは細菌の温床だ。

どれほど綺麗にしたところで、全ての菌を死滅させることは難しい。

わかっている、わかっているが至近距離には近づいてほしくない。


こんな時は自社で開発した瞬間殺菌スプレーが役立つのだが、あいにくと手には何も持っていない。


「やめろ、俺に近づくなっ!」


仕方なく言葉で拒絶してみて、我に返る。


何故、言葉がわかるんだ?!

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