Act.19 君が望んだ、蒼穹の果て。

 ――ゆっくりと陽が傾く。

 カルマはジョーカーに連れられ、街外れの丘に来ていた。


「ここは、君のお気に入りの場所だったね」


 傾いていく太陽に、眩しそうに目を細めながら、ジョーカーは呟いた。


「……街の喧騒から離れてる中で、一番空に近いからな」


 静かに風が吹く中、カルマはその場に座りながら答えた。


「どうして空が好きなの?」


「……昔は単純に、流れていく雲を見るのが好きだったからな。

 今は……」


 そっと、空へ手を伸ばしながら、カルマは再び口を開く。


「……今は、空の向こうに、死んでいったみんながいるような……気が、するから」


「リアはロマンチストだねー」


 カルマの隣に座り、クスクスと笑うジョーカー。

 そんな彼を睨み、それからカルマは悪かったな、と顔を背けた。


「あはは、ごめんごめんリア」


 宥めるように頭を撫で、その肩を抱き寄せて……ジョーカーはまたぽつり、独り言ちる。


「……僕も、君に見上げてもらえる青空そらに、なれるかな……?」


「……は?」


 怪訝そうに聞き返したカルマに、ジョーカーはふわりと笑った。


(痛みを堪えるような、下手くそな笑顔だったなんて)


(気付いていれば、どれだけ、……――)


「あのね、リア。

 僕はね、君みたいに復讐だとか、みんなみたいに正義の為に戦っていたわけじゃないんだ」


 ゆっくり、ゆっくりと、太陽が堕ちていく。

 オレンジ色の光を浴びながら、“殺戮者”であった彼は、懺悔を吐き出すように言葉を紡ぐ。


「ただ……殺すのが楽しかった。

 最初は確かに君と同じで、カナデさんとアザレアさんの復讐だったと思うけど……次第に、そうじゃなくなっていったんだ」


 ヒトを屠ることに快楽を覚え、ただただ殺した。

 ジョーカーは膝に額を押し付け、とつとつとそう語る。


「でも、殺すべき相手はもういない。

 ……だけど、いつか僕は……快楽を求めて、街の人たちを襲うかもしれない。

 ……それが……怖いんだ」


「ジョーカー……?」


 急に不安になって、カルマは親友である彼の名を呼ぶ。

 彼は顔を上げ、【制裁者】たる少年を見つめた。


「ごめんね、リア。

 君に背負わせたくないけど……ううん、これも僕のエゴだね。

 リア……《カルマ》、僕を、ころして……?」


「……な、に」


 あかい。

 あかい夕焼けが、二人を照らす。

 ……ジョーカーが何を言っているのか、よく、わからない。


「僕を断罪して、殺して、カルマ!

 僕はこれ以上壊れたくない、平和になった街に僕のような殺人鬼は必要ない! 君に……っ無様な姿を見せたくないんだ……ッ!!

 だからお願い、僕を殺して……!」


「……ッ!!」


 何故?

 何故気付かなかったのだろう?

 ここに来てからずっと、ずっと、彼が哀しそうな表情をしていたことに。

 血の気が引く。手が冷たくて、呼吸も上手くできない。


「ねえ……僕を裁いてよ……。

 ねえ……殺してよ……!!」


「……っい、やだ、嫌だ、何で、そんな」


 切羽詰まった彼の声に、カルマは思わず立ち上がり後退する。

 嫌だ、と何度も首を横に振りながら。


「オレは、オレも、これ以上誰かを殺したくない……!!」


「カルマ……お願い……。

 君はもう、僕がいなくても平気でしょ? 僕なんて……必要ないでしょ……?」


 泣きながら、笑いながら、カルマに近づく彼に、それでも嫌だ、と首を振り続けた。


「っそんなことない! オレは……お前が、いないと……っ!!

 ジョーカーがいるから……いてくれたから……!!」


「お願い……メモリア。お願い……おねがい……っ!!」


「ジョーカー、嫌だ、オレは、オレは……っ!!

 お前を、殺したくなんて……ッ!!」


 殺したくない。

 だから殺されたい。

 殺したくない。

 だから願いを叶えてやれない。


 似ているようで違う、二人の想い。


 ――カルマにとってジョーカーは、何よりも大切な親友だった。

 両親が拾ってきた孤独な子どもに、《ジョーカー》と言う名を与えたのもカルマ……メモリアだった。


『メモリア、彼はね、家族の暖かさも、優しさも知らないの。

 だから……お友達に、なってあげてね』


 優しかった母の言葉に頷いて、メモリアはジョーカーに引っ付いて回った。

 無表情だった彼が、次第に困惑したような表情になって、最終的に笑顔を見せてくれるまで、ずっと。


『ジョーカーはね、オレの一番のともだちなんだよ!』


 兄のようなハリアとも、姉のようなミライやフィーネとも違う関係性。

 それが純粋に、嬉しかった、のに。



「どう、して……」


 たったひとりの親友に、殺して、と頼まれるなんて。


(いたい。痛い。心臓が、こころが、張り裂けてしまいそうだ)


「お願い……僕を、裁いて……?」



『リーアっ! 今日は何して遊ぶ?』


『ジョーカー、えっとね……――』


 笑顔を覚えた彼と過ごした時間は、そう短くない。

 ……親友以上の関係性になった後も、カルマが笑顔を失った後も、彼はただ変わらない笑顔で接してくれていた。

 ……かつて、自分がそうされたように。


『そばにいるよ、リア。君が僕にしてくれたみたいに、君が歩き出せるまで……ずっと、ずっと』


 その無邪気な笑顔の裏に、殺戮に快楽を感じ、それ故に自身の終わりを望んでいる面があることくらい、気付いていた。

 ……気付いて、いたのに――



「君は【制裁者】。僕は【殺戮者】。

 平和になったこの街に、僕は必要ないんだ、カルマ。

 だから君の手で殺して、お願い、死にたいんだ、もう……!」


 縋るように、泣き叫ぶように、ジョーカーはカルマの手を握る。


「あ……いや……いやだ……」



「僕を殺して、お願い、メモリア」



 壊れていくのは、なんだったのだろう。



「――……それがお前の、望みなら」



 闇が生み出す黒い魔法が、剣の姿を模って【制裁者】の手に握られる。紅く染まった両目・・・・・・・・が、ジョーカーの瞳に映った。

 【殺戮者】はそれに、心の底から安堵の笑みを浮かべ……――



「ごめんね、メモリア。

 ……だいすきだよ」



 夕陽が差し込む、丘の上。

 太陽の赤と彼の紅が、丘の緑を染めていく。



(おれ、は、いま、なに、を)



 ハッと我に返る。手を見ると、血に塗れた剣と返り血。

 笑顔のまま、動かない、彼。


『この街にもう、【殺戮者】は必要ないだろう?』


 ああ、冷たく笑う【魔王】の声が、脳裏に響く――


「あ……ああ……ジョーカー……? ジョーカー……ッ!?

 やだ、いやだ、置いていかないで……!!」



『リーアっ!』


 そう、名を呼んでくれる、君の声が聴きたい。

 笑ってくれる、君の笑顔が、見たい。

 君のぬくもりに……触れたい。

 どうして。どうして、どうして……――



「あああああああああああッ!!」



 ころした。自分が、たった一人の親友を、殺した。

 いたい、いたい、いたい、いたい。

 彼の亡骸に縋り付いて、カルマはただ、泣いた。



(ごめんね、メモリア……助けて、あげられなくて)


(だけど、忘れないで。その痛みの分だけ、きみは強くなれるから)


(今は泣いていいから……立ち上がれるようになる、その日まで……)



「ごめん……ごめんなさい……ジョーカー……っ」


 冷たくなっていく、彼の身体。

 もう微笑まない、記憶の中の彼。

 遠のく在りし日の温かな思い出。


「……ごめんなさい……っ!!」


 君が生きたこと、君の思い出、君の笑顔、君の声、君の全てが……痛くて、重たい。


『僕も、君に見上げてもらえる青空に、なれるかな……?』


 数分前の彼の言葉を思い出して、カルマは空を見上げる。

 夕陽はもう、堕ちていて……真っ暗なそこに、瞬く星すら見つけられなかった。



(彼はきっと、幸せだったよ)


(君の親友でいられて、きっと)


 半透明の姿をした蒼の髪の少年が、二人の傍に寄り添う。


(だから彼の全てを、忘れないであげてね)


 ――風が吹いた。

 その丘にはもう、誰も……――



(……さよなら、メモリア)



 Act:19 終

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