Act.09 天使の決意
沈む。沈んでいく。
視界に広がる蒼。見たことはないけれど、なんとなく、ここは海の中のようだと思った。
+++
アジトへと帰ってきた“
ジョーカーは未だ目を覚まさないカルマを彼の部屋のベッドに横たえ、
残されたミカエルは自らカルマを看ていると宣言し、眠る彼の冷ややかな手を握っていた。
そうして半刻ほど時間が経った頃、部屋のドアが控えめにノックされた。
はい、と入室を促したミカエルが見たのは、水の入ったグラスを乗せた盆を持つ半獣人の少年……キリクだった。頭上で一つにまとめたライトブルーの髪が、さらりと揺れている。
「カルマは……まだ、起きないのか」
「あ……はい……」
沈んだ声で返したミカエルに、キリクは盆をサイドテーブルに置いてから眠るカルマを見やった。
沈黙が、三人を包む。
「僕……回復魔法、失敗したんでしょうか……」
「……傷は塞がっている。失敗したわけではないと思うが」
不安げな天使に、キリクはぶっきらぼうながらもそう言葉を返した。
「……そういえば、昔も」
ふと、キリクが思い出したように声を上げる。
ミカエルは隣に立った彼を見上げて、首を傾げた。
「……カルマは……昔も同じように、眠りに落ちたことがあった」
「……え? そうなんですか?」
天使の青い瞳にこくりと頷いて、キリクはぽつりぽつりと話し出す。
「……カルマの両親が殺された時……丸一日ほど、目を覚まさなかった。
ショックを受けたからだろう、とミライたちが説明していたが……」
悼むように目を伏せたキリクだったが、軽く息を吐いた後、話を続けた。
「……だが、目を覚ましたカルマは……元来の性格も、瞳の色も、名前も失っていた」
「え……!?」
驚いた声を出したミカエルを横目に、キリクは当時の状況を語る。
――三年前、カルマの両親が殺されたあと。
眠る彼を、“I'll”のメンバーたちは心配そうに見守っていた。
けれど、しばらくして目を覚ました彼の瞳は、生来の青と血のような赤を湛えたオッドアイに変わっていたという。
更に彼は、不安そうな仲間たちに“オレの名前はカルマだ”と名乗り……以前には使えなかった、闇属性の魔法が使えるようになっていたそうだ。
「人格が……変わった、とかでしょうか……?」
「……人格障害か。その線はオレたち……というより、ミライたちが疑っていたが……本人が言うには、気持ちの問題だから気にするな、と」
それ以降、彼は人が変わってしまったかのように無口になった。くるくると変わっていた表情も、絶望したような、それでいて強い憎しみに囚われたような色へと変化してしまった。
眠っている間に何があったのか。
“I'll”の仲間たちは幾度となく聞こうとして……触れるなと言わんばかりの拒絶に、いつしか尋ねることをしなくなった。
「……カルマは、眠りの中で“何か”を得て……そして、“何か”を覚悟したのだろう。
今のこいつは、時々見ていてとても不安になる」
悲しげに揺れるキリクのシアンの瞳に、ミカエルは手を胸元で握りしめる。
政府の存在がカルマを傷つけ、そして壊したのだ。
(カルマくん……どうしたら君を、救えるの……?)
「……だが」
無力感の波に飲まれかけたミカエルを、キリクの声がすくい上げる。
「だがカルマは……ミカ、お前が来てからこれでも少しはマシになったんだ」
「え……?」
思いがけない言葉に、ミカエルは顔を上げキリクを見やった。
そこにあったのは、彼の変わらない無表情……いや、口元に、ほんの少しの微笑みを湛えている。
「弟分が出来た、からか。お前が来てからのカルマは、どこか落ち着いたというか……安定して見える。
自分が連れてきたから、きちんと責任感を持っているんだろうな」
「弟分……僕が、カルマくんの? ……そう、なんですか……?」
キリクのその発言を受け、ミカエルは眠り続ける少年に視線を移した。
傷ついて、病んだ銀髪の魔術師。
自分の存在が、少しでも彼に安らぎを与えていられるのなら……。
「……どうか、良い夢を、カルマくん……」
+++
沈む。沈んでいく。
きらきらと、思い出と共に沈んでいく。
ふと、真横に現れた黒い思い出に触れた。
途端に流れ出す記憶。……ああ、それは、両親を亡くしたあとの記録。
『――チカラが、欲しくはないか?』
問いかけてきたのは、黒い髪の男。
血のように真っ赤な瞳が、ひどく印象的だった。
『肉親を殺した連中に復讐するだけのチカラ。全てを覆い尽くす、『闇』のチカラ。
全てを屠る、このチカラが……――』
それは甘美な誘惑。見え透いた、罠。
(ああ、けれどオレは、そうと知っていてその手を取ったのだ)
「……そのチカラ……受け取ろう、【魔王】ヘル」
焼けるように痛む右の瞳。【魔王】はにやりと
『ならば、ソレはお前のチカラだ。そのチカラで、復讐を果たすといい』
嗤う。
鏡に映った自分の青かったはずの右目は、いつの間にかあの【魔王】と同じ色をしていて……――
ふわり、と、世界が反転した。
落ちる。落ちる。落ちていく。
遠くから聞こえる、ざあざあと言った雨のような音に、瞳を開ける。
すると、視界に広がる一面の青。頭上からは淡い光が差し込み、足元には深くて暗い碧がどこまでも続いていた。
ふわふわと浮く感覚に、水中にいるのだとぼんやりと認識する。
けれど息はできるし、水は冷たすぎず温すぎず、ちょうどいい温度を保っていることから、ああ、これも夢なのだと理解した。
(ここ、は……――)
呟いた言葉と共に、息が泡になって水面を目指していく。
――……ここは、オレの精神空間だよ、■■■■――
突然帰ってきた声に振り向けば、そこには淡く光る青い髪を水中に遊ばせた少年が、いた。
(だれ、だ……?)
――オレは……ナイトメア。うん、そう呼んでもらって構わないよ――
ナイトメア。……悪夢。
そう名乗った彼は、なぜか自分のことを本名で呼んできた。……遠い過去に手放した、本名を。
(……なぜ、オレの名前を……そもそも、なぜオレは、ここに……?)
問えば、彼は困ったように眉尻を下げ微笑んだ。
――きみが、【魔王】の夢を見ていたみたいだったから。飲み込まれすぎてはいけないよ、■■■■……ああ、今は“カルマ”だったかな?――
本名を呼ばれ眉を顰めると、ごめんね、と訂正してくる彼……ナイトメア。
まあ、別に構わないが、とため息を吐いて、カルマは再度彼を見た。
――今はあまり、話せる時間がないから……ごめんね。……【魔王】は、きみのココロを狙ってる。だから……気をつけて――
単刀直入に告げられたそれに、カルマは思わず薄く笑う。
ああ、だって、そんなものは。
(最初から、わかっている。……罠であることも、全部。だが、それでもオレは……)
何もかもを壊してしまうほどのチカラを、心の底から欲したのだ。
――……そう。きみが後悔をしていないのなら……それで、構わないけれど……――
憂いを帯びた青い瞳を伏せ、彼は短く息を吐いた。
そうして気を取り直すように頭を軽く左右に振って、再度カルマに視線を向ける。
――……そろそろ起きたほうがいい。きみのことを心配してる人たちがいるしね――
(……お前は?)
こちらを気遣うような彼に、カルマは気がつくとそう尋ねていた。
――オレのことは気にしないで。……きみが、【魔王】のチカラを手放さない限り……オレたちは、また逢えるから……――
そんな痛みを堪えたような声音と共に、カルマの視界はゆらゆらと揺らめき始める。
そして、体がふわりと浮き上がった。眠りから醒める、その時のように……――
+++
「っカルマくん!」
ハッと目を開けると、まず自室の天井が見えた。
次に名を呼んだ声の主へと視線を巡らせる。……心配そうな顔でこちらを見つめるミカエルとキリクの姿が、カルマの瞳に映った。
「……ミカエル、キリク……?」
「カルマくん、大丈夫ですか!? ごめんなさい……僕を庇ったせいで……っ!!
い、痛いところはありませんか!? 回復魔法は施しましたがなかなか目を覚まさないから何か間違えたのかと……!!」
「ミカ、落ち着け」
泣きそうな声で捲し立てるミカエルをそっと制して、キリクがカルマの顔を覗き込む。
顔色は悪いが大丈夫そうだな、と呟いて、彼はそのままミライを呼んでくる、と部屋を出て行ってしまった。
残されたミカエルは、閉じられたドアをしばらくぽかんと見つめていたが、ハッと我に返りカルマへと向き直る。
「あ、えと、カルマくん、その……」
「……悪い」
何か話題を、と言葉を探すミカエルを遮って、カルマが唐突に口を開いた。
「……え?」
「……迷惑をかけたな。……すまない。それから、助かった」
それが傷を負った際、回復魔法をかけ……今の今まで看病をしていたことを指しているのだと気づいたミカエルは、慌てて首を振る。
「そんな!! ……むしろ、僕が謝るべきなのに……!!
ごめんなさい、ごめんなさいカルマくん……!!
僕、何もわかってなかった……“戦うこと”の意味なんて、全然わかってなかったっ!!」
「……わかる必要なんて、ない。戦うことに、慣れなくて……いい」
涙を瞳に浮かべ叫んだミカエルに、カルマは言葉を重ねた。
ただ静かに……何かを諦めたかのような、そんな声音で。
「……カルマくん」
「お前は、お前のままでいろ……ミカ」
お前は、オレの希望だ。天使に手を伸ばして、そう呟いたカルマ。
ミカエルはその手を取って、ぽつり、と瞳から雫を零した。
+++
しばらくしてやって来たミライたち医療班にカルマのことを任せ、ミカエルは中庭に出た。
(弟分……希望。僕は……君の救いになれているの……?)
風が吹く。ハリアが、ジョーカーが、ヒサメが……そしてカルマが残した言葉が、頭から離れない。
(戦うこと。守ること。……この街のこと……)
(ヒサメさんやカルマくんはああ言ってくれた、けど。……僕はきっと、きちんと知らなきゃいけないんだ)
見上げた夕空は、血のように紅く紅く染まっていて。
(その先に、ラファ、君がいるのなら……)
「戦う覚悟を、決めなきゃ……」
天使の吐き出した決意は、夜の帳に吸い込まれていった。
Act.09:終
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