第18話 アレクシス ワイセンベルク (Alexis Weissenberg)

 ワイセンベルクやベルマンといった、「遅れてやってきたヴィルトゥオーゾ」タイプのピアニストが、そうしたピアニストを好んだ指揮者ヘルベルト フォン カラヤンの評価の低下に巻き込まれたが如く、世評が低迷しているのは残念なことである。

 ピアニストだけではなく、どんな楽器も一人の演奏者が「全ての音楽をカバーする」ことは到底出来ない。曲に応じてヴィルトゥオーゾタイプのピアニストを時代は常に必要としている。とはいえ、こうしたピアニストが万能では決して無く、彼ら自身のレパートリーもそれを反映したものとなっているわけで、これはマネージャーや音楽配給会社の意向ではなく、彼ら自身が自覚しているものなのだ。

 だが・・・ワイセンベルクというピアニストは意外と広い分野で録音を遺していてバッハ、モーツアルト、或いはショパン・シューマンを始めとするロマン派、ドビュッシーやラベルなどの想像していたより多岐にわたっている。ブルガリア生れのこのピアニストはどちらかというとロシア・東欧系(リストやショパンを含む)の作曲家のスペシャリストかと思いがちであるが、彼自身はそう思っていなかったのであろう。僕はその全てを聞いたわけでは無いし、全てを聞きたいと望んでいるわけでもないが、彼には「確実な」名盤・名演奏がある。その幾つかの演奏には僕を強烈に惹き付ける力がある。それが彼自身の力なのか、或いは曲の力を彼が無意識のうちに引き出しているのか・・・?

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、フランクの交響的変奏曲、ムソルグスキーの展覧会の絵・・・これらは並み居る偉大なピアニストの演奏に優るとも劣らない素晴らしい演奏である。

 その一方でどうも納得できない演奏というのもあって、その優劣が結構激しいのもこのピアニストの特徴である。


 例えば1970年にパリのサレ ヴァグラムで録音されたチャイコフスキーのピアノ協奏曲。

 一見、ワイセンベルグの得意そうな曲である。ピアノの独走は派手だし作曲家はロシア。不足はなさそうな組み合わせである。カラヤンの指揮はベルリンやウィーンではなく、珍しくパリ管弦楽団であるが、聴き始めればオーケストラもピアノも良く鳴っている。

 暫く耳を澄ましてみる。一つ一つの部分を聴いているとよく出来た演奏のように聞えないでもない。だが、全体を通して聴いている中でどうしても発生する違和感はどこから生まれるのだろうか?

 そこには同じカラヤンがリヒテルと、1962年にムジークフェラインザールで録音した時の、あの緊張感がどこにもないのである。ピアノはオーケストラのパートとして取り込まれ、その点良くも悪くも「協奏」ではあるのだけど、チャイコフスキーは「そういう曲を書いたのではない」と言うのではないか。

もっともこの違いはリヒテルとワイセンベルクの違いと言うよりその8年の間にカラヤンの中に生じた違いなのかもしれない。というのはこの録音の1年前、カラヤンがリヒテルらと演奏したベートーベンの三重協奏曲で感じた違和感に相似したものがそこにあるからである。おそらくカラヤンはその数年の間に「世界一の指揮者」という称号と自信を得たのであろう。それと同時にとりわけ「協奏」という場合に於いてソリストとの関係が変化していったように思えるのだ。


 ならば、なぜそれよりも後に録音されたラフマニノフやフランクにはそうした違和感を感じないのだろうか?

 そのヒントはショパンの協奏曲にあるかもしれない。ショパンの二つの協奏曲の伴奏はスクロバチェフスキー。地味ではあるがショパンと同じポーランド生れの実力者で、来日も多いので日本の聴衆にはよく知られている指揮者である。オーケストラはパリ音楽院管弦楽団、録音は1967年なので、同年アンドレ クリュイタンスの死去と共に解散した(一部の団員はパリ管弦楽団に移ったが事実上は解散)この楽団のほぼ最後の録音に相当する。

 ショパンのピアノ協奏曲はなぜか有名オーケストラや実力指揮者に好まれてはおらず、これは「ショパンの管弦楽作曲能力は低い」という一種の「常識」のようなものにしばられた結果であろう。(ショパンが生きていた頃からオーケストラに好かれていなかったのは事実だけど、それはピアノとオーケストラの配分の問題で、ピアノを立てすぎる余りオーケストラを常に伴奏扱いにしたのが嫌われている理由である)今でこそ、ウィーンフィルやベルリンフィルでも(団員たちの心境は知らないが)演奏・録音され始めたが、1900年代、フルトベングラーやカラヤン、ベームなどが仕切っていたドイツ・オーストラリアのオーケストラではほぼほぼ演奏はなく、録音など一切されていなかった。さすがにショパンの縁が深いパリではそこまで邪険じゃけんにはされず、パリ音楽院管弦楽団にもクリュイタンスやクーベリックなどが指揮した盤が残っており、オーケストラ側にも多少手慣れた感がある。その掉尾とうびを飾ったのがワイセンベルクの演奏である。それも二つの協奏曲だけではなく「アンダンテスピアナートとグランデポロネーズ」(op.22)を初めとして4つのピアノと管弦楽の為の比較的珍しい曲(op.2/op.13/op.14)が収められているので、ショパン好きにはお勧めの2枚である。

 ワイセンベルクの指は実に「華麗」に動いており、こうしたショパンもとてもいいものだ、と感じさせてくれる。そこには悩める青年であるショパンはいない。ピアノというものに自分の全てを掛けた自信に満ち、明朗で闊達かったつな音楽家がいる。リヒテルの演奏のように作曲家を打ちのめすような演奏でもない。とりわけ協奏曲の一番や「アンダンテスピアナート」の曲想もそうした演奏にぴったりで、人によって好みはあろうが僕はとても良い演奏だと思っている。ショパンというとどこが幻想的、悩みの深いもったいぶった演奏が多いけれど、彼自身はおそらくそういうタイプではなかったのではないか。ジョルジュ サンドとの報われぬ(というか喧嘩別れの)恋、彼を苦しめ死に至らせた肺結核など、どこか儚げで悩ましげな音楽家像は実情はかけ離れていて、ショパンは生来強情で図太い人間であり、むしろ同じ1810年に産まれた作曲家であれば自殺を試みたシューマンの方がよほど悩み深い性格であった。そんなショパンの実情にはこうした演奏の方が似合うかもしれぬ。とにかく騙されたと思って聴くが良い。

 そんなショパンの協奏曲が教えてくれるのは、このピアニストが「真のピアノヴィルトゥオーゾタイプの作曲家」の作った曲に真骨頂しんこっちょうを見せる、という事実である。ラフマニノフが天才的ピアニストであったのは周知の事実であるが、オルガン奏者として名をはせたフランクがピアノからオルガンに転じたのは、オルガニストの方が生計が立てやすかっただけで実はピアニストとしての方が才能があったと言われている(ムソルグスキーは二人ほどではないが、リストを弾くほどのピアニストであったと言われる)。

 

 となると・・・ベートーベンはどうであろうか?ベートーベンはピアノを得意としていたがその難度は「弾く技術」よりも「解釈の難度」が高い曲で「ヴィルトゥオーゾタイプ」とは別の世界にある。となると、このピアニストとの相性はやや悪そうな気がする。もっともそう言う意味での難度は後期のソナタに極端に顕現けんげんするのであるが・・・。

 しかしカラヤンとワイセンベルクはかなり時間を掛けてこの「悲観的な」予想を覆そうとしたのではないだろうか?「皇帝」がラフマニノフの3年後、他の曲は更にそれから3,4年掛けて録音していったその時間のかけ方にその一端が垣間見えるような気がする。

 そもそもカラヤンはベートーベンの交響曲をあれほど何度も録音したにも関わらず、協奏曲の録音は意外と少ない。相性の問題もあろうし、ソリストにしてもカラヤン、ベルリンフィルという組み合わせはなかなか相手として手強いのであろう。ポリーニ、アルゲリッチ、ブレンデル、グルダ、ゼルキン・・・錚々たる同時代のピアニストは誰も彼と正式な録音をした形跡がない。

 オーケストラのみの際の演奏と、協奏曲の場合の演奏で指揮者がどの程度演奏の方法を変えるのか、というのは結構面白い題材だと思うが、カラヤンは共演者に対して余りそうした配慮をするタイプではないようだ。リパッティやらリヒテルなどのソリストから苦情がでるのはそうした背景もあるのであろう。一方で若き日のカラヤンと「皇帝」を共演したグレン グールドが死ぬ直前までカラヤンとの共演を画策した事を考えると、グールドくらいの変人になるとカラヤンに対抗する事が可能だという事かもしれない。

 いずれにしろ、カラヤンがベートーベンのピアノ協奏曲を録音したのはグレングールドとの「皇帝」(ライブ)とクリストフ エシェンバッハの1番くらいであり、バイオリン協奏曲もフェラスとその後かなりの時を経てデビューしたばかりのムターの2枚しかない。どちらかというと小粒(ムターはその当時まだ16歳であるから、その後の成長を考慮に入れなければ)で余り強い主張のなさそうな(実際はそんなことはないのだけど)共演者を選んでいる。(唯一ギーゼキングとの4番、5番は例外だけどこの演奏の頃<1951年>は圧倒的にギーゼキングの方が格上であった)

 つまり頂点に立った頃のカラヤンは共演者の主張を「余り取り入れたくない」タイプの指揮者となっていたのであろう。そんなカラヤンが唯一のベートーベンのピアノ協奏曲全集のパートナーにワイセンベルクを選んだというのは実に納得のできる選定であった。そしてその関係をカラヤンが意外と重視していたのも事実であり、この孤独な(少なくとも協奏曲のパートナーを探すという意味では)帝王はワイセンベルクは貴重な友人であったのではないだろうか?

 オーケストラも「細心の注意」を払っていおり、ピアノもオーケストラに埋もれることはない。とは言ってもハ長調の出だしなんかは「モーツアルトの28番」の感じなどはさらさらなくて、「皇帝-4番」的に始まり、それはやはり3楽章まで続くのだけど決してピアノの邪魔はしないように配慮されている。1番に限らずカラヤンの指揮はどの曲も悠揚迫らぬテンポで、それが好き嫌いをはっきりさせている原因でもあると推察される。(悠揚迫らぬテンポというのは、場合によってどこかムード音楽を連想させてしまい、それがある種の聞き手と相容れないことは予想される)とは言っても、あのチャイコフスキーほどの違和感は(曲の構造もあるが)取り除かれている。ラフマニノフやフランクのように、「ベストに推すことを躊躇わない」ほどではないけれど、想像よりはずっとピアニストが肩の力を抜いて良い演奏をしている、と思う。

 ただ、ワイセンベルクの「ヴィルトゥオーゾ的な演奏」が貫かれているか、というとそれは影を潜めていて「余裕を持ちながら淡々と」というスタイルで演奏されており、これは3番以降の「弾きようによってはそう(ヴィルトゥオーゾ的に)聞かせることも出来る」部分にも徹底的に適用されていて、これは指揮者と話し合いながら決められたスタイルなのであろう。

 非をつけようもないテクニックなので、この演奏を否定するのは「いちゃもん」でしかない、と感じるのだが、ワイセンベルクらしくはない(というのもいちゃもんであろうか?)

 個人的にはこの全集の中で最も好きなのはト長調で、これは曲の好みもあるのだけど、カラヤンとワイセンベルクによるアプローチが最も適していたのがこの曲だということもある。1楽章のカデンツァ(この全集ではカデンツァは全て作曲者自身によるものである)の部分の淡々とした美しさは特筆すべきものだろう。曲の特色でもあるのだがオーケストラも全体的に控えめというか、ピアノと対峙する事が少ない。

 皇帝は極めてオーソドックスな演奏で、ピアノも良く鳴っていて悪くはない。この演奏はチャイコフスキーに比べれば「ピアノ付き協奏曲」などとそしられるいわれはないと思う。ただグールドやミケランジェリ、或いはホロビッツのデモーニッシュな演奏やポリーニの隅々までの完璧さに比べてやや特長に欠ける。そう言う意味でこの全集がベートーベンのピアノ協奏曲のベストなのか、と問われると首を傾げ腕を組んでしまうのだ。まあ、ベストを決める必然性など無いのだけど、耳の肥えた聴衆にはどこか物足りないものがあるのかもしれず、その一つの要素はやはり緊張感とかパトスとか、そうしたもので、もしかしたら東京でのライブ(3番と5番)にはそうしたものが聴けるのかもしれない。(録音は1977年であるからスタジオ録音と極めて近接している。残念ながらまだ聴いたことは無い)

 ついでにいうとおまけについている独奏曲の中でピアノのための輪舞曲(Op.51.1) がとても良い演奏である。ショパンのおまけもなかなか良いがベートーベンのおまけはそれを上回り、ヴィルトゥオーゾタイプのピアニストと思えぬ実直で素直な響きが好ましい。

 

 では、僕がまだ耳を通していない演奏に食指を伸ばすとしたら、と考えると、なんとなく「バイオリン協奏曲を書いた作曲家は違うかもな」という感じがする。変な言い方だけど、ピアノに拘った作曲家の方がワイセンベルクに合うような気がする。そう言う意味ではバッハとかモーツアルト、ブラームスやシューマンではなくリストとかドビュッシーなのかもしれないなどと妄想している。そしてワイセンベルクはそうした妄想を許容してくれそうなピアニストでもある。


 いつか、心と懐とCDを置く棚に余裕が出来たときに手を伸ばしてみようかな、とそう思っている。


*SERGEI RACHMANINOV Piano Concerto No.2 in C minor Op.18

CESAR FRANK Variations symphoniques pour piano et orchestre

BERLINER PHILHARMONIKER HERBERT VON KARAJAN

EMI CDM 7 69380 2


*PETER ILYICH TCHAIKOVSKY Piano concerto No.1 in B flat minor Op.23

MODEST MUSSORGSKY Pictures at an Exhibition

Orchestre de Paris HERBERT VON KARAJAN

EMI CDM 7 69381 2


*LUDWIG VAN BEETHOVEN

Klavierkonzert Nr.1 C-dur, op.15

Klavierkonzert Nr.2 B-dur, op.19

Klavierkonzert Nr.3 C-moll, op.37

Klavierkonzert Nr.4 G-dur, op.58

Klavierkonzert Nr.5 Es-dur, op.73

Rondo a capriccio G-dur op.129 "Die Wut uber den verlorenen Groschen"

Bagatelle a-moll, WoO59(G.173)"Fur Elise"

Rondo fur Klavier C-dur op.51.1

32 Variotionen uber ein eigenes Thema c-moll, WoO80(G.191)

BERLINER PHILHARMONIKER HERBERT VON KARAJAN

EMI CZS 25 2172 2


*FREDERIC CHOPIN

CONCERTO No.1 POUR PIANO ET ORCHESTRE en mi mineur Op.11

VARIATIONS SUR "LA CI DAREM LA MANO" DE DON GIOVANNI (MOZART) pour piano et orchstre, en si bemol majeur, Op.2

ANDANTE SPIANATO ET GRANDE POLONAISE pour piano et orchstre en mi bemol majeur Op.22

Orchestre de la Societe des Concerts du Conservatoire, Paris

STANISLAW SKROWACZEWSKI

EMI CDM 7 69751 2


*FREDERIC CHOPIN

Piano Concerto No.2 in F minor Op.21

Fantasy on Polish Folksongs in A major. op.13

Krakowiak

Orchestre de la Societe des Concerts du Conservatoire, Paris

STANISLAW SKROWACZEWSKI

EMI CDM 7 69036 2





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