第9話 スヴャストラフ リヒテル

リヒテル・・・このピアノの達人、いや、「超人」ピアニストが登場するのが遅すぎはしないか?・・・と、書いている本人でさえ思う。だが、このウクライナ生まれのピアニストに僕は少々の遺恨いこんがあるのだ。

 リヒテルの演奏を最初に耳にしたのは、高校生の時。曲はRCAに録音された「熱情」と「葬送」の二つのベートーベンのソナタ。どちらも今なお1、2を争う名演の一つであると思う。なのになぜ、遺恨?といえばそれはやはり高校時代にさかのぼる。

 今から50年近く前の話である。


 僕の通っていた高校は男子校で、柔道、剣道の授業が一年生の時はどちらもあり、残りの二年はどちらかを選択して続けなければならないという、体育会系の気風が残る高校であった。そのくせ、突然進学校めいた動きを見せたせいで、僕の入学した年には生徒が1学年で千人近くに膨れあがったために、入学式当日に至っても初登校してきた親子に向かい拡声器で

「もし、どこか別の高校に合格していたならそちらの方へ入学された方が・・・入学金はお返ししますから」

 などとのたまわり、教育法人と思えないほどの「無計画性と杜撰ずさんさ」の馬脚ばきゃくを現してしまったのである。そんなことを入学式当日に発言しても、「ではそうしましょう・・・」などというお人好しは殆ど現れず、A組からR組、一クラス52人体制という「大艦隊」のような学年構成になってしまった。

 そのおかげできっと入学金と授業料が「うはうは」と入ってきたのであろう。何を思ったか、ある日突然「ピアノコンサート」を行うという学風と似合わない発表があった。

 そのコンサートのピアニストは中村紘子さん、今は余り知られていないかもしれないけれど、当時は大変人気のあった小説家の庄司薫氏と結婚されたのだが、その直前、からすの集まりとしか思えない我が高校に(朝礼とかで校庭に集まると黒い制服のせいか高みから眺めると誠に烏が群れているようで、「烏合うごうの衆」というのはこういうものなのだなとつくづく思った)いらしてくださったのである。もしかすると結婚資金調達の一環であったのだろうかしら?

 そのニュースにクラッシック音楽にはとんとうとい烏合の衆は最初のうち「?」と鈍い反応しかしなかったのであるが、中村紘子さんの容姿をどうやって知ったのであろうか、ピアノよりもピアニストに激しく反応し始めたのである。やはり「烏合」の正体はからすなのである。

 その烏合の衆を前に、演奏会当日の中村紘子さんは美しいドレス姿で現れた。今となっては記憶は曖昧であるが、濃いピンク色のドレスではなかったかと思う。プログラムはショパンの練習曲と夜想曲、それとベートーベンの「熱情」であった。講堂に集まった生徒たちのうちクラスの鈴木という男が僕の隣で

「俺の彼女がピアノを弾いててさ、ノクターンっていい曲だぜ」

 などと生意気なことを言った。発情している烏などに興味は無い。おかげでノクターンのこともちょっぴり嫌いになりそうであった。

 そして烏合の衆の前で中村紘子さんは手を抜くこともなく素敵な演奏を披露してくれた。ピアノはたぶん自前でヤマハの物だったと思う。烏合の衆の集まる高校の講堂にしてはとても立派なグランドピアノであった。クラッシック音楽の愛好者だけではなく、かなりの数の烏たちは様々な意味で興奮した。15歳の男の子なんて、まあそんなもので、教職員たちは

「演奏家の方に失礼にないように」

 と最後まで怒鳴り音楽会の雰囲気をぶち壊しそうな勢いであった。

 問題はその後である。あの燃えるような曲想を大切に家に持ち帰った僕は、何を思ったかリヒテルの「熱情」のレコードを掛けてしまったのだ。音楽の記憶は意外と簡単にoverwriteされてしまう、ということを僕はそのとき初めて知った。濃いピンクのドレスの美しい女性ピアニストの姿は、赤塚不二夫の書く「でこっぱち」に似た無愛想なピアニストへ変容し、舞台での華麗な「熱情」はレコードから流れてくるほとばしるような「熱情」にすっかりと置き換えられてしまったのである。それほどまでにリヒテルの演奏は強烈であった。

 なんだか失恋にも似たあの感情をリヒテルの写真を見るたびに思い出す。遺恨というのはこの事で、今なおリヒテル、中村紘子、熱情のどの単語にも引っかかって苦く思い出されるのである。

 

 閑話休題。

 

 このエッセイ(リヒテルだけではなく他のピアニストを含めてであるが)を書くに当たって、ベートーベンのピアノ協奏曲を纏めて聴く機会があった。1番から5番まで、聴けば聴くほどに全て名曲である事が理解できる。1番はモーツアルトからの旅立ちを予感させる曲で、2番は最も地味で演奏も少ない気がするがよく聴けば滋味じみ溢れる曲である。4番、5番は言うまでも無い。そして名演奏揃いの曲でもある。だがこと3番、c-moll op.37に関してはバックハウス、ポリーニ、ミケランジェリなど数々の巨匠の演奏を聴いてもリヒテルの1963年の演奏に勝るものはない。とにかく最初から最後まで、どの音一つとっても正確無比で文句のつけようのない演奏というのは珍しい。指揮はザンデルリンク、オーケストラはウィーン交響楽団、超一流とまではいえないが、協奏曲を支える役者としては申し分ない、いや却って望ましい面子めんつであるとも言えよう。ちなみにあれほど有名で優秀なピアニストであるにも関わらずリヒテルはウィーンフィルとベルリンフィルとの共演は殆どない。なんでかしら?(ベルリンとは後述するベートーベンのトリプルコンチェルト、ウィーンフィルとはムーティ指揮でのライブでシューマン、くらいのものであろう)


 それはともかく、この3番の名演を聴けば聴くほどにこの名ピアニストがあの「皇帝」をなぜ録音しなかったのか、という強烈な疑問を僕は持つ。5番だけではなく彼は4番も録音していない。ベートーベンのピアノ協奏曲の傑作の双璧といえば、この2曲であるがリヒテルはかたくなと言えるほどこの2曲の録音を拒否しているのである。その代わり1番と3番は複数回録音しており、2番も残っている。

 4番については曲想が自分向けでないと感じたとしても多少理解できるが、5番はむしろリヒテル向きの曲ではないか?なぜ彼が「皇帝」を演奏しなかったのか、僕には調べるつてもないし、ちょっとばかり調べてもその理由が明確になることはなかった。演奏会でも弾かなかったのか、よく分らないがその関連の記事も殆ど無い。いや、それが話題にさえなっていない。

 だが、きっとそこには僕らの知らない「明白な」理由があり、きっとそれはリヒテルという稀代きたいのピアニストの本質を知る「何か」なのだろうと思う。


 もう一つ、録音ではあれほど堅い演奏をするピアニストはライブではかなり思い入れの深い演奏をしていた。リヒテルが西欧に登場したのが1960年、その2年後にイタリア各地を転々とした時に演奏した録音が残っている。どういう経緯でどのような形で録音されたのか、不思議なことにバッハの平均律の第8番だけがモノラルという謎があるのだけど、この演奏を聴くとベートーベンのソナタや協奏曲を演奏した人間と同じピアニストか、と思うほど演奏スタイルが違っている。ここからは演奏者の思い入れたっぷりの音が響いてくる。その一方で指の強さや運指の見事さは些かの相違もない。まるで同じメカニックが違うソフトウェアで動いているかのような気がする。

 ショパンのポロネーズ、エチュード・・・一つ一つを吟味するような音を入れ込みながらその指は鍵盤を削るようにして音楽を構築していく。のみで削られるように弾かれる音楽がショパンの音楽である事に変わりは無い。ショパンの音楽はそれほど弱くない。だが、その向こう側でショパン自身は打ちのめされたようにうつむいている。音色はまるでベートーベンのように聞えると言っても過言でない。そういえば続いて弾かれるドビュッシーの「版画」はラフマニノフの「音の絵画」のように響いてくる。

 オデッサでデビューしたとき、リヒテルはショパンのみを演奏したと言うことからも分るとおり、ショパンは彼の重要なレパートリーなのであろう。一方で彼のショパンの演奏は殆どがライブのもので、(これは彼の年代のピアニストではよくあることなのだけど)エチュードもプレリュードも「全集」としての録音は無い。彼自身がそれを望んだのか、あるいはレコード会社の都合だったのか、背景は分らない。

 彼のショパンをどう評価するのか、ホロビッツ、ルービンシュタイン、サンソン・フランソワ或いはコルトーなどと比べてどう位置づけるか・・・ショパン好きの人ほど判断が難しいところであろう。

 ベートーベンのコンチェルトといい、ショパンといい、彼の演目にはやはり大きなエニグマが存在するし、彼自身が多くのレーベルを渡り歩いていることでその真相は更に分りにくくなっているように思う。


 そしてリヒテルもまたスタジオレコーディングを嫌ったピアニストと言われるが、個人的にはリヒテルのスタジオ録音の方を僕は高く評価している。その点、同じく気難しいピアニストではあったがライブの方が面白いミケランジェリと正反対だ。(例えばミケランジェリのドビュッシーやショパンのスタジオ録音は素晴らしい演奏ではある物の、面白いかと言えば面白くはない)それでも1950年代から60年代にかけて、西欧にデビューしたての頃にはリヒテルもスタジオ録音を拒否してはいない。1961年ロンドンでスタジオ録音されたリストの協奏曲はモスクワ生れでありながら当時のソ連に芸術的な反旗を翻しつつあったキリル コンドラシンがロンドン交響楽団を振った物だ。

 この翌年コンドラシンはショスタコーヴィチの「バビ ヤール」の初演を手がけ、同時代のソ連の指揮者、ムラヴィンスキーと別の道を歩むことになる(亡命は1978年)。おそらくリヒテルも心情的にはコンドラシンと似たものがあったであろうが、ドイツ人であった父親をスパイ容疑で銃殺された彼にコンドラシンと同じ道を歩む選択肢はなかっただろうし、おそらくはKGBによる監視は厳しかったであろう。この時代海外に出ることを許された芸術家は寧ろKGBに一定の行為(スパイとまでは言えないがそれに近いような行動)を要求されていたとしても何の不思議もない時代であった。

 西欧に亡命しアムステルダムコンセルトヘボウの常任指揮者になったコンドラシンも、謀殺された疑いが残っているのである。そんな物騒な状況では、リヒテルは明白な政治的メッセージなど出しようもなかったであろう。

 まあ・・・それはともかくとして、二人とも聴衆のpathos(情念)を引き出すのがとても上手な演奏家であり、リストの二つの協奏曲は(その性格が違っているにも関わらず)二人にとって格好の協奏曲であったことは間違えない。素晴らしい演奏である。


 それにしてもリヒテルは協奏曲を録音する指揮者のパートナーがばらけるピアニストである。バックハウスはベーム、シューリヒト、インセルシュテットなどドイツ系統の指揮者と組むケースが多く、ポリーニは同郷のアバドと組むことが多かったし、アバド亡き今はティーレマンと組んでいることが多い。ミケランジェリはチェリビダッケやジュリーニ以外でがやはりイタリアの指揮者と組むことが多かったし、晩年は我が儘を通し続けた。

ひるがえって、グールドとかアルゲリッチは余り共演者を選ばないタイプである。グールドはバーンスタイン、アルゲリッチは昔ならアバドと演奏する事が多かったが、所属したレーベル(それぞれソニー、グラモフォン)の都合によったものであろう。リヒテルはロシアから現れたピアニストということもあり、ギレリスと同様、一つのレーベルと固定的に組むことはなかったのも指揮者が一定しなかった一つの理由かもしれない。それにしても、カラヤン、マタチッチ、カルロス・クライバー、ザンデルリンクなどという実力派であろうと、ロヴィツキ、ヴィスロツキ(どちらもワルシャワ国立フィルとの共演であるが)というどちらかというと無名の指揮者であろうと自らの力を奮うことが出来るピアニストであった、とも言える。


 彼がのこした幾つかの協奏曲の中で不思議なのはベートーベンの三重協奏曲とドボルザークのピアノ協奏曲である。前者は1969年ベルリン、後者は1977年ミュンヘンでスタジオ録音されたものである。最初にこの二つを片付けよう。

 まず、三重協奏曲のカバー写真を見ると、ロシアの三人の演奏家はにこにこと笑みを浮かべ、カラヤンだけがどこか不満げに脇を見ているのだが、どうも演奏を聴いているとそう単純なものではない。バイオリンのオイストラフだけは始終機嫌良さそうな音色であるがロストロポーヴィチもリヒテルも・・・もちろん技術的には卓越しているのだが、ノリが今ひとつ悪いのである。このメンバーは当時の管弦楽団、ピアニスト、バイオリニストとチェリストの最高峰を集めたと言って過言ではないのだけど、どうもそれほど素晴らしい演奏に聞えない。

 およそソリストと言えばくせ者揃いの音楽家たちが多いのに指揮者・ピアニスト・バイオリニスト・チェリストと4人も気持ちを揃えさせるのは至難の業であろう。色々と情報を見ると、この演奏の背景を知ることが出来、なるほどと思わせるものがあるが、興味があれば調べてみると良いのではないか。色々と裏話があって、それの殆どはリヒテルがぶちまけた不満(ソリストの意見を無視するカラヤンの傲慢ごうまんさとバイオリニストとチェリストのお人好しさに対して)から発しているようだ。但しこの演奏の背景を以てリヒテルとカラヤンの仲が悪いとまで結論をつけるのはどうか。カラヤンはリヒテルがスタジオ録音を複数回行ったコンチェルトの伴奏者の数少ない一人である。

 いずれにしても、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであったカラヤンの不遜ふそんな態度にリヒテルが反発したのは分るし、リヒテルが「カバー写真に文句を言った」、というのは真実であろう、と笑える。ほんとうにあの写真にはなんだかカラヤンの意図的なもの、を感じるのである。

 その上カラヤンがこの8年後ムター、ヨーヨーマ、ゼルツァーという若手と再録音しているところを見ると彼は必ずしもこの演奏を決定盤と思っていなかったのだろう。もしかしたらロシア人演奏家との組み合わせでこの曲を録音することは彼自身の本意でなかったのかもしれない。だが彼の行為全般はロシアの三人の大家に対してリスペクトを欠いているような気もする。特に後年の録音においてピアニストにゼルツァー(決して敬意をもたないではないが、しかし他の演奏家に比較してやはり軽量なのは疑いを入れない)を持ってきたあたりはうるさ型のピアニストを避けたいという思いが透けて見える。そんな背景を思いながら聴くと、この演奏もなかなか味わい深いものがある。


 もう一つのドボルザークのピアノ協奏曲・・・。カルロス・クライバーという稀代の名指揮者とバイエルン放送交響楽団の組み合わせでなぜ・・・ドボルザークなのだ?他にもいくらでも選択肢があったであろうに。(ちなみにこの選択は恐らくリヒテルによるものであろう。そして彼はこれが初めての録音ではない。即ち彼のレパートリーの一つなのだ)

 しかし・・・正直言って本来ピアノ弾きではないドボルザークのピアノ協奏曲は弦の協奏曲に比べて今ひとつである事は否めまい。地味というわけではなく、第1楽章でもオーケストラを十分鳴らし、どこかボヘミアを思わせる曲調であり、なんとなくブラームスっぽい感じもするのだけど、「素晴らしい曲」とまでは何度耳にしても思えない。敢て言えば第2楽章の中盤で聞えてくるピアノのため息にも似た音色が切ない。そんな感じだ。

 こうした感想はメンデルスゾーンやハチャトリアンのピアノ協奏曲でも思うのだけど、一つは耳慣れないのが理由であることは明白なのだ。人間の脳と耳は驚くほど単純で聞き慣れている曲を素晴らしいと思いがちである。だからこそ、つまらない曲であろうとテレビで(昔は有線で)がんがん流し続けるのが歌謡曲の勝ちのスタイルなのである。

 でも、同じ回数聴いても、残る曲とそうでないのはやはりある。弦楽の演奏家であったドボルザークで言えばチェロは素晴らしい名曲、バイオリンは何度か聴くと良い曲に思えてくる。が、ピアノはどうも何度聞いても腑に落ちてこない。

 これはそんな曲の「名演」である。名演であることは疑いを入れないのだけど、どこか釈然としない。名演が名曲を作ることは確かにあるのだけどそこまで届いている風にも思えない。どことなく中途半端なのである。リヒテルが「皇帝」を捨てこの協奏曲を取った(というと言い過ぎかもしれないけど)理由を本人に確かめてみたいのは僕だけではなかろう。


 ちなみに多少問題のありそうなこの二つの協奏曲にEMIがおまけのようにしてリヒテルのソナタ演奏を付けているのはなんとなく微笑ましい。ベートーベンのテンペスト、シューベルトの「さすらい人」、どちらも名演である。特に「さすらい人」はこの曲の演奏のベストの演奏の一つである。


 さて再び協奏曲に戻ろう。シューマンの協奏曲は(正式には)計3回録音しているらしいが、僕が持っているのは1959年のロヴィツキとの共演、1974年のマタチッチとの録音の二つである。

 59年のものはリヒテルが西欧にデビューする直前、グラモフォンがポーランドに乗り込んで(リヒテルはまだ西欧へ出ることを許可されていないため)録音したいくつかの演奏の一つ。指揮者はロヴィツキ、オーケストラはワルシャワ・(国立)フィルハーモニー管弦楽団、フルシチョフがアメリカを初めて訪問して「雪解け」という言葉がマスコミを踊らせたその時点でギリギリ許される組み合わせだったのだろう。オーケストラは努めてcrispな即物的な調子で演奏を進めていく。ただやはりオーケストラパートは今ひとつ弱い。ショパンコンクールではこのオーケストラが伴奏を務め。歴史も古いのだが特にソロパートになると、どうしても実力が出てきてしまう。それに比べるとマタチッチの指揮はだ気宇きうに溢れオーケストラも優れた演奏である。モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団というのは聞き慣れない楽団であるが。マタチッチが2年前から音楽監督を務めその実力を図ることもあっての録音であろう。マタチッチの前はマルケヴィッチが音楽監督だというから、事務方はそうとう音楽に精通した渋い好みのオーケストラである。

 ピアノ自体は15年の時間を経ても驚くほど同じ印象の演奏であるが、オーケストラを考えると(録音は意外としっかりとしているが・・・)59年のものはリヒテルのデビューを記念する歴史的演奏として捉えるのが良さそうである。

 ちなみにマタチッチのものは組み合わせがグリーグのピアノ協奏曲で、シューマンとグリーグというロマン派ピアノ協奏曲の目を瞠るようなオーセンティックな組み合わせである。前年にルプゥ、その後暫くしてツィマーマンとカラヤンが掉尾とうびを飾るこの組み合わせを、最も力強く演奏してロマン派の幻想を分解したのがリヒテルの演奏であり、ツィマーマン以降この組み合わせが解けたのは個人的には好いことだと思っている。

 グリーグの演奏はシューマンに輪を掛けて劇的で抒情性を重んじる聴衆にはどうかと思うけど、そもそもこの2曲をロマン派情緒的組み合わせと取ること自体、必然性がない(グリーグがシューマンにインスパイアされて同じ調性で作曲したとしても)ので、それをリヒテルが破壊してくれた(というのは本人の意思ではなかろうが)ことは好ましく思っている。(同じくらいリパッティがこの組み合わせを発明?したことも好ましく思っているけど、何もみんなが一緒にするほどのことはない。この組み合わせはリパッティだからこそ、である)


 ラフマニノフとチャイコフスキーは今まで聴いたことの無かった演奏で、リヒテルの項を書きながら買い求めた物である。世評の高い演奏であるが、今まで聴いたことはなかった。

 ラフマニノフはワイセンベルグがカラヤンと、チャイコフスキーはホロビッツとトスカニーニの二枚、そしてアルゲリッチがコンドラシンと演奏したものである意味十分で、買い増しをするほど曲に惚れている訳でもなかったことが理由である。(ちなみにワイセンベルクは同じくカラヤンとチャイコフスキーを演奏しているのだけど、ラフマニノフに比較するとどうしてこんな演奏になってしまったのだろうと疑問符がつくような演奏であった)しかし、リヒテルについて論じる以上、彼が西側に衝撃を与えたというラフマニノフとチャイコフスキーを聴かないわけにはいかないだろう。

 どうやらそれは正解であったらしい。まずラフマニノフの協奏曲。冒頭、遠くで聞えるタイタンの足音はたちまち聴衆に追いついてくる。恐れに満ちた視線の先にはロボットのような大きな手をした鉄人がピアノを破壊せんとばかりの勢いで黒鍵を叩いている姿が見え、その向こうで髪を振り乱し、一世一代といった姿で指揮棒を振う男の姿が見える。あっという間に聞き手はそんな不可解な情景の中へと投げ込まれるのだ。

 ラフマニノフはどちらかというとアメリカで評価された作曲家である。それは彼自身がアメリカで頻繁に演奏したこともあるが、ホロビッツ、カペル、ルービンシュタインなどのアメリカで活躍したピアニストが彼をレパートリーに取り入れているのに対し、ケンプ、バックハウス、コルトー、フィッシャー、グルダなど欧州系の主要なピアニストが殆ど彼の作品を録音していない事からも明白であろう。特に第二次世界大戦後、事実上共闘したソ連に微妙な友愛関係を感じていた時代、ラフマニノフ、ハチャトリアンなどのロシアの作曲家はアメリカで意外に人気があったのだ。余りヨーロッパで録音されていなかった(ゲザ アンダやタマシュ ヴァシャーリなど渋好みのピアニストは除いて、だが)この曲で欧州の音楽界に衝撃を与えたことは言をたないし、その影響は未だに尾を引いていると言っても過言ではない。


 そしてチャイコフスキー。この演奏を評価しない理由が分らない。中にはカラヤンとの共演というだけで嫌う人もいるのだろうけど、ちょっとそういうのは悲しすぎる。

 カラヤンの指揮はワイセンベルクとの共演のものと比較すると格段に良い。とにかくここでは指揮者とピアニストの会話が恐ろしく高いレベルで成立しているのだ。その上ウィーンシンフォニカーも驚くべき演奏レベルである。

 ホロビッツとトスカニーニが演奏途中で(明らかに)喧嘩しているのも面白くはあるし、アルゲリッチの情熱的な演奏も素晴らしいが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のベストはこれかもしれない、と今更ながら思わせてくれる。こういう事があるからクラッシック音楽は楽しいのである。


 ちなみにリヒテルはバイオリンやチェロの伴奏も好んで行うピアニストである。その点ではミケランジェリやホロビッツという巨匠たちと一線を画している。

 西側にデビューして間もない1961年に同胞のソ連のチェリスト、ロストロポーヴィチと共演したベートーベンのチェロソナタは名盤としてよく知られている。ベートーベンに関してピアノソナタ、協奏曲であれほどの名演奏をするリヒテルであるから、もちろん立派な演奏である。ロストロポーヴィチのも恰幅の良いチェロを朗々と響かせる。

 個人的に言えば、この曲集はフルニエがグルダと共演した演奏を好んで聴いているが、もし最初にロストロポーヴィチ・リヒテル盤を聴いていたらもしかしたらこちらの演奏を選ぶのかもしれない、と考えてもみたがやはりそうはなるまい。というのはチェロソナタという音楽形式によるものだろう。聴衆は室内楽にどこか、intimateな響きを求めるものである。交響曲やオペラを聴くとき、ピアノソナタを聴きに行くとき、室内楽を求めるとき、耳も心も形が少し異なっているとでも言ったら良いのだろか?リヒテルとロストロポーヴィチのソナタは室内楽のintimateな雰囲気から少し外れているように聞えるのだ。

 しかし、そんなリヒテルが(当時)若手の新進気鋭バイオリニストであったオレグ・カガンと共演したモーツアルトのバイオリンソナタを聴くと、既に老境に入りつつあった彼がとても新鮮に、そして軽快に演奏をしていることに耳が洗われる思いがする。当時カガンは29歳、60歳のリヒテルにしてみれば息子のようなものであったのだろう。ライブレコーディングであるが、それと感じさせないほどの完成度の高さを感じさせる演奏である。

 カガンは僅か45歳で癌のために死去するが、よほどリヒテルはこのバイオリニストを買っていたと思われる。彼らが良く出演したWildbad Kreuthの音楽祭に彼の名を冠し、リヒテルが主催した話はよく知られている。この演奏はWildbad Kreuthのものではなく、フランスのTouraineでリヒテルが主催していた音楽祭のものであるけれど、こんなに優しく美しいモーツアルトが彼の手からつま弾かれるとは、と本当に感心する。ぜひ聴いてみて欲しい名演奏の一つだ。


 そして最後に記すべきはバッハの演奏、平均律クラヴィア(僕が聴いたのは第一集のみ)とフランス組曲・イギリス組曲の演奏である。リヒテルというのはある意味非常に常識的で、賢い人間で、「全てが素晴らしい人間も作品集もない」という定見をはっきりと持っていた。そして「であれば仮令作曲家が編集したものでも全曲を演奏する意味はない」と主張していた(と思われる)。ベートーベンの協奏曲であろうと、ソナタであろうと、ショパンだろうが、モーツアルトであろうが・・・、その個別の理由は、ベートーベンの皇帝をなぜ演奏しなかったのか、という以前の疑問に戻って、やはり分らないのだけど、確実に存在するのであろう。

 そのリヒテルが「全曲」を録音したのは平均律クラヴィアとベートーベンのチェロソナタ、それに敢て加えればリストの二つの協奏曲だけ(逆にこの二つを同時に録音するピアニストは珍しい)である。

 だが・・・聴いた人はなぜリヒテルがバッハの平均律クラヴィアをどの曲もomitすることなく、弾ききったのか躊躇ためらい無く理解するであろう。そこにはこの曲集の持つ完全さとリヒテルの演奏の完全さが同居している。何を足すことも何を引くことも必要ない、というより何を足しても何を引いてもいけない、そんな存在である。

 これに似た完璧さを感じることは音楽の世界では少ない。むしろ数理の世界で構築されているような演奏である。バッハの堅牢な楽譜をリヒテルが大きな手と確かな指捌きで音楽にしていく。全てが完全なのでそこから引くことも足すことも出来ない、とリヒテルが考えたのが平均律クラヴィアなのではないか。

 フランス組曲、イギリス組曲の演奏はもう少し気軽で、リラックスした物である。平均律クラヴィアの21年後(1991年)、ドイツの小都市(ボン、ノイマルクト)でのライブ録音で、曲終わりには小さなホールでと思われる拍手が響く。ピアノを弾いて小さな街の教会で音楽の行商をしたい、と言うようなことを常々口にしていたリヒテルらしい晩年(この時76歳)の演奏であるが、その指の確かさは若い頃からいささかの衰えも感じられない。リヒテルは最後まで衰えを感じさせないピアニストでもあった。



<レコード>

*ベートーヴェン

ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 作品57 「熱情」

ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 作品26 「葬送行進曲」

  RCA RGC-1030


<CD>

*LUTWIG VAN BEETHOVEN

Konzert fur Klavier und Orchster Nr.3 c-moll op.37

Wiener Symphoniker KURT SANDERING


ROBERT SCHUMANN

Konzert fur Klavier und Orchster A-moll op.54

Symphonie-Orchster der Nationalen Philharmonie Warschau

WITLOD ROWICKI

Deutsche Grammophon 427 198-2


*SVJATOSLAV RICHTER RECITAL

フレデリック・ショパン 

 ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61

 12の練習曲 作品10から 第1番 ハ長調/第12番 ハ短調≪革命≫

 バラード 第4番 ヘ短調 作品52

クロード・ドビュッシー

 版画

アレクサンドル・スクリャービン

 ピアノ・ソナタ 第5番 嬰ヘ長調 作品53

ヨハン・セバスチャン・バッハ

 平均律クラヴィーア曲集 第1巻から

 プレリュードとフーガ 

  第1番 ハ長調 BMW 846 /第2番 嬰ハ短調 BMW 849/第5番 ニ短調 BMW 850

第6番 ニ短調 BMW851/第8番 変ホ短調/嬰ニ短調 BMW 853

フランツ・シューベルト

 アレグレット ハ短調 D915

17のレントラー D366から

ロベルト・シューマン

 アベッグ変奏曲 作品1

セルゲイ・ラフマニノフ

 前奏曲 第23番 嬰ト短調 作品32の12

セルゲイ・プロコフィエフ

 束の間の幻影  作品22から

 第3曲/第6曲/第9曲

 Tower Records/Universal Music PROC-1078/9

 

*ペーター・チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン交響楽団

セルゲイ・ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18

 スタニスラフ・ヴィスロツキ指揮 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

 ユニバーサル クラッシックス UCCG-4602


*グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品54

 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団 指揮:ロヴロ・フォン・マタチッチ

 ワーナーミュージック・ジャパン WPCS23037


*ANTONIN DVORAK Piano concerto in G minor, Op.33

Bayerisches Staatsorchester Muenchen conducted by CARLOS KLEIBER

FRANZ SCHUBERT Fantasie D.760 "Wanderer"

EMI CDC 747967 2


*LUITWIG VAN BEETHOVEN

Konzert fur Klavier, Violine, Violincello, und Orchester C-dur op.56("Tripelkonzert")

Piano Sonata No.17 in D minor, Op.31 No.2 "Tempest"

DAVID OISTRAKH violin/MSTISLAV ROSTROPOVICH cello

BERLINER PHILHARMONIKER conducted by HERBERT VON KARAJAN

EMI CDM 7 69032 2


*LUITWIG VAN BEETHOVEN

 The Sonatas for Piano and Cello

No.1 in F Op.5/1 No.4 in C Op.102/1 No.5 in D Op.102/2

No.2 in G minor Op.5/2 No.3 in A Op.69

MSTISLAV ROSTROPOVICH violoncello

PHILIPS 412 256-2


*WOLFGANG AMADEUS MOZART

Violinsonate D-dur, KV 306/Violinsonate B-dur, KV 378

Andante & Allegretto C-dur,KV 404/Violinsonate B-dur, KV 372(Unvollendete)

OLEG KAGAAN, violine

EMI CDZ 7 67056 2



*Johann Sebastian BACH

Le Clavier bien tempere - Livre 1 24 Preludes and Fugues

RCA 82876 623152


*JOHANN SEBASTIAN BACH

English Suite No.3 in G minor BWV 808, No.4 in F minor BWV 809, No.6 in D minor BWV 811

French Suite No.2 in C minor BWV 813, No .4 in E flat major BWV 815a, No.6 in E major BWV 817

Tocatta in D minor, BWV 913, in G major, BWV 916, in C minor, BWV 906

DECCA 475 8631

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