サキュバスネード

武州人也

サキュバスネード

 一人の若い男が、低い声で怪しげな呪文を詠唱していた。男の目の前の床には白いチョークで魔法陣が描かれており、その中央には白い皿が二つある。一つには赤い液体が、もう一つには獣の肉の塊が置かれている。

 

「ふぅ……これでいいのか?」


 痩せぎすのその男は呪文の詠唱を終えると、疲れたのか溜め息をついた。


 この男――ジャスティンは、オタクnerd、低収入、彼女なし、ひ弱な肉体、ハンサムとはいえない顔貌……という、恵まれない男性である。

 そんな彼はある時、インターネットで悪魔崇拝者のホームページに辿り着く。そこで悪魔崇拝コミュニティの人々と出会い、何度か主催者とメールでやり取りするようになった彼はある時、主催者に「悪魔の書」をプレゼントされた。自宅に届いた書の大きさはA5版ほどで、表紙にはラテン語と思しき言語で題が記されている。

 めくってみると、ラテン語の文の下に、後から付け足したかのように英語が書かれている。古文調の硬い文体の英語であったが、ジャスティンは頑張って読み解いてみた。


 ――これは、淫魔サキュバスの召喚儀式が書かれた書物だ。


 そこに記されていたのは、サキュバスを現世に呼び出すための召喚儀式の手順であった。魅力的な女性の姿をしており、人間を性的に誘惑すると言われる悪魔の一種であるサキュバス。それを呼び出すための本なのだ。

 この時、彼の内に、よこしまな欲望が鎌首をもたげた。


 ――どうせ、このまま生きていても異性との縁はないであろう。


 だから、女の柔肌に手を這わせる機会をくれるなら、人ならざるものが相手でも構わない。そう思ったジャスティンは儀式に必要なものを集めると、頃合いを見計らって実行に及んだ。

 この頃、大型ハリケーン「ギャレス」が東海岸を北上していた。外は嵐で、出歩く者は誰もない。ハリケーンによって発生した竜巻トルネードが雑多なものを巻き上げている。


 男が詠唱を終えると、チョークで描いた魔法陣が、紫色の光を放って輝き出した。それを見たジャスティンは目を見開き、歓喜の笑みを浮かべた。


「さぁ出てくるぞ……爆乳デカケツ淫魔来い!」


 それが、この男の遺言となった。暴風によって飛来した自転車が窓を突き破って部屋に飛び込み、彼の頭を思い切り打ったからだ。

 これだけでは致命傷にならなかったかも知れない。しかし、ジャスティンを襲ったのはそれだけではなかった。割れたガラスが飛散し、それが彼の喉に突き刺さったのである。


 男は死んだ。しかし、召喚者が命を落とした後も、魔法陣はまだ紫の光を放っていた――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る